千の天使がバスケットボールする

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「舞台裏の神々」ルーペルト・シェトレ著

2007-01-07 22:44:16 | Book
「あけましておめでとうございます。」

さて、2007年の音楽シーンの幕開けは、今年も世界中に衛星中継されるウィーンフィルのニュー・イヤー・コンサート。今年度の指揮者は、1990年に初めてこの特別なコンサートの指揮を務めて、4回めの登場となるズービン・メーター(Zubin Mehta)である。”いかにもウィーンっ子”という風貌で固めた楽団の中央に位置するインド出身の彼であるが、1954年にウィーン国立音楽大学に留学し、59年にウィーン・フィルを指揮して大成功をおさめた。その後、ウィーン・フィルとは円満な関係を続け、2001年にウィーン・フィルの名誉会員にもなっている。出自がどこであろうと、彼の棒はニュー・イヤー・コンサートを登場するにふさわしい団員への説得力をもっているのであろう。ウィンナ・ワルツの独特のリズムにウィーンっ子はうるさいのだ。もっともあのカラヤンに言わせると「嫌がるダックスフントを無理やり散歩に連れて連れて行く時の感じ」らしいのだが。

その完璧主義のヘルボルト・フォン・カラヤンですらもこんな楽団を振るのは、多くの意味で大変だっただろうと思わされたのが「舞台裏の神々」での指揮者と楽員の楽屋裏話である。著者のルーペルト・シェトレは1957年ドイツ生まれのチェリストで、83年以来ウィーン国立歌劇場とウィーン・フィルにて演奏活動を行っている。年齢的にも音楽家として油がのっている時期でもあり、貫禄をつけつつあるキャリア20年超という親父世代、またフリーランサーという立場からその楽屋オチの話題には遠慮がない。我が敬愛なるcalafさまをしてモーツァルトのレクイエムの原点とまで言わしめたカール・ベームを「グラーツ生まれの田吾作」とまで言い切り、そのペン先はめっぽう鋭い。ベームという特殊な?指揮者とオーケストラの関係を楽員の立場から超激辛のこんな笑い話で解説している。(ちょっと過激ですが、著書からそのまま引用)

「指揮者とかけてコンドームと解く。その心は?あった方が安全、ない方がずっと気持ちよい!」
・・・そうだ。。。
多くの楽員たちは今日でもベームのモーツァルトのすばらしい演奏に心を打たれる。とはいえ、残念ながら彼は彼らから好かれてはいなかった。その理由は、本書を読めば納得もいくだろう。それに比較して、900点にも及ぶディスクの市場占有率が同業者全部の合算の二倍にも達するという実績からCDを頭上で輝かせて表紙を飾ったカラヤン(←)は、百戦錬磨の楽員を御し、尚且つ「ウィーン音楽」にも無比の腕前を示して最高の音楽を導き楽員から尊敬された。
また日本人指揮者の小澤征爾がウイーン・フィルを率いて、ヨーロッパツアーをしていたときのこと、ストラヴィンスキーの難しい「春の祭典」を暗譜で指揮したことがある。しかし、八回の演奏の間、たった一回ミスをした。演奏会が終わると小澤は、大喝采している聴衆をよそに、楽員たちに自分のミスを詫び、自分自身への拍手を受けることを謝絶したというエピソードも披露されている。

音楽という芸術分野でのフィールドからあくまでも”ユーモア”を死守し、今年のトップ・バッターのズービン・メーターやカラヤンだけでなくすでに伝説になった指揮者や演奏家のアネクドート(逸話)が楽しく綴られ、所謂暴露話という下品さからはまぬがれている点からも、本書はクラシック音楽愛好家にもお薦めできる。そして哀しいかな、指揮者という最高のオシゴトの難しさも皮膚感覚で感じとれる。ウィーン・フィルを振るということは、実に恐ろしいことなのだ。

最後に私の好きなエピソードを紹介したい。
指揮者として遅咲きのオットー・クレンペラーが、高齢になった時のロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでの演奏会の直前、トイレを探したが女性用しか見当たらなかった。大慌てで女性用トイレにかけこみ用をたしたが、運の悪いことにやはり慌ててトイレに駆け込もうとした淑女と遭遇してしまった。腹をたてて黄色い声で、「あなた、ここは婦人用ですよ!」と抗議するその女性に向かって、指揮者は慌てず騒がず自分のズボンの股上を指してこうのたまった。

「ここも婦人用ですよ!」

今年も宜しくお願いします★