千の天使がバスケットボールする

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「性と暴力のアメリカ」鈴木透著

2006-11-22 00:12:24 | Book
この刺激的なタイトルは、他国には理解しがたい超大国である米国への疑問をついている。
最も進んだ科学先進国でありながら、大統領選挙戦の争点に同性愛や妊娠中絶の是非になること。女性解放運動とともに、性の解放もすすんでいるかのように見えながらも、婚前交渉を禁止する運動をすすめる保守的な宗教団体の存在。
また1992年ハロウィーン・パーティの日に訪問した日本人留学生だった服部剛丈君(当時16歳)への、過剰防衛とも言える射殺事件に見られるような、今や2億挺を超える過激な銃社会。そして欧州では死刑制度を廃止しているにも関わらず、(つい最近まで未成年者も含んだ)今なお残る死刑制度。
これらの性と暴力は、人為的な集団統合を宿命づけられた多人種アメリカでは、性の問題が単なる男女関係の次元だけではなく、人種との複合問題であり、白人男性の黒人男性への性に対する恐怖の感覚、脈々と米国社会に流れて、しばしば暴力の行使へと発展し、性と暴力を結び付けているというのが、著者の理論である。

本書にある暴力、フロンティア精神からくる共同体の安全という大義名分による”排除”から”リンチ”へと発展する変質への記述、そして白人と黒人間の性的接触を意味する”miscegnation”という単語から、あまりにも内容が衝撃的で2度と観たくない映画を思い出した。
それは実際に起こった事件を映画化し、ヒラリー・スワンクが主演女優アカデミー賞を受賞した「ボーイズ・ドント・クライ」である。
1993年、ネブラスカ州フォールズシティにやってきた青年ブランドン(ヒラリー・スワンク)は、ラナ(クロエ・セヴィニー)と出会って、彼女に恋心を抱くようになる。礼儀正しく誠実な青年に、ラナも少しずつ惹かれていくのだが、ブランドンは性同一障害をもつ女性だったのだ。この事実に気がついた街の住民は、態度を豹変していく。それはやがて、ラナの母親の恋人とその子分による凄惨なリンチへと発展していくのだった。

この映画を、性同一性障害への無理解と偏見に目を向けがちだが、本質は異なるのではないかと、いうのが本書を読んで気がついた感想だ。偏見だけだったら、いくらなんでもあのような残酷な行為に及んだだろうか。
米国は、男性性がまさった国である。女性でありながら、ここで自分たち男性より劣る性、女性の分際で綺麗な女の子ラナを好きになり、恋人にするということに対する彼らの怒りの爆発は、19世紀半ばまで黒人男性の白人女性への性的接触を許しがたい行為として、白人による黒人男性へのリンチという暴力行為に及んだ過去とその動機は同じである。今でもO・J・シンプソン事件のように、ミシジネーションはタブーに近いデリケートな部分である。
さらに、リンチを合法的に慣行したのが死刑制度であるというのが著者の見方である。
こうした「暴力特異国」としての米国の歩みの歴史に、日本への原爆投下、環境問題、そしてイラク戦争がつながり、今こそその経緯を再検討するべきだという点で、現代を考える方には最適な一冊である。
性と暴力の特異国の全体像を見直し、米国の国是である「より完全なる統合」という、この国が見失いかけている目標を取り戻すべきなのだろう。
それにしても、著者が慶応義塾大学法学部での「地域文化論」の講義が、本書の元になっているとは。その講義は、きっとおもしろかったはず。それに多くの映画を題材にしているため、米国映画の背景を見るためにも役に立つ。


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4 コメント

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Unknown (小昨)
2006-11-23 12:23:27
樹衣子様、米国の衛星国家日本の一国民として、無関心ではいられない問題を孕んでいます。いまだに米国行きが実現していないのも米国の実態を把握していないことからくる不安によるもの。それは米国の表\と裏のギャツプからくる不安なのです。         ナチズムの前身といえるネオダーウィニズムは米国の人種差別を正当化するのに利用されました。正当化の先進国家なのです。
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小作さまへ (樹衣子)
2006-11-25 23:10:47
>無関心ではいられない問題を孕んでいます

だから米国は他国から嫌われたり、揶揄されたりするのです。おおいなる関心の裏返しですね。
えっ?、小作さまは米国の地を踏んだことはない?私もです。
でも、いつか行ってやりますNY。笑

>ネオダーウィニズム

あっ、本書によると今でも優生学的な部分を維持していますね。
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RE: (waremokou)
2006-11-27 09:23:14
今はもう本土に戻られましたが、横田基地にお住まいの語学の先生がいて、「lady's day」というのがあるから来ないか、と誘われました。
それは男性によるストリップショーで、普段は基地で医師やその他の職についている男性がスカウトされて出演しているのでした。アメリカ女性たちは胸元に札束をはさみ、「口でとれ」と支持したり、男性のブリーフにお金を挟んだりして熱狂してましたが、それを観つつも日本人グループはどうにも盛り上がれない。何がどう楽しいのか、全然共感できないのでした。
樹衣子さんは盛り上がるタイプでしょうか。

でも、帰り道すがら思ったのです。平素、男性からの露骨な口笛などの性的アプローチを受けている女性たちなら、逆襲の喜びがあったのだろう、と。
暴力にさらされていると、暴力的な感性ができてきてしまうのではないかしら。
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男性ストリップねえ・・・ (樹衣子)
2006-11-28 22:13:49
>日本人グループはどうにも盛り上がれない

確か鈴木透さんの著書でも似たような記述がありました。(本は図書館に返却してしまったので確認できませんが。)
多分、私もしらけると思うのです。日本人は、恥じらいの文化です。特に女性の場合、、、。

>男性からの露骨な口笛などの性的アプローチを受けている女性たちなら

日本人女性があくまでも可愛らしさで勝負するとしたら、米国女性は10代半ば頃からいかに自分がセクシーに見えるかというおしゃれに余念がないそうです。日本女性の魅力のポイントが、若さと可愛らしさだったら、米国女性は色気ですね。

>逆襲の喜びがあったのだろう

この観点は、すごくおもしろいですね。変な話ですが、職場でセクハラを受けると男性上司にセクハラ逆襲したくなることありますもの。実際逆襲してましたっけ。

>暴力にさらされていると、暴力的な感性ができてきてしまうのではないかしら

このご指摘は、まさにそうのとおりだと思います。DVを受けて育った子供は、親になったらやはり自分が受けたのと同じようにこどもを虐待することと同じですね。
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