千の天使がバスケットボールする

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「世界でもっとも美しい10の科学実験」ロバート・P・クリース著

2007-01-12 23:56:12 | Book
かって18世紀初頭から19世紀初頭にかけて、ニュートンがプリズムを使って太陽の光を分解した実験に成功すると、詩人や画家たちは、虹は神秘を奪われたとニュートンを批判した。さらに詩人のトマス・キャンベルの「虹に」という作品は、科学者をステレオタイプの情緒に欠ける冷徹な印象を世間に与えている。
「科学が、森羅万象の顔から、魅惑のヴェールを引き上げるとき、うるわしき想像力の居場所は、冷ややかな物質の法則に譲り渡されるのだ!」と。。。
それでは、科学は自然現象を含む美を破壊するのだろうか。そもそも科学分野において、「真の美は抽象的なもののなかにしか存在しない」という哲学的定義の存在、科学者が研究発表の場で”美しい”という主観的な感想を述べない社会的規範や理化の授業における授業計画における道具としての実験の位置付けから、実験は「美しい」といえるのだろうか。殆どの科学者たちは、実験を評して美しいと感じているのだが。
著者によれば、美の基準は意外性、必然性、効率のよい経済性、シンプルさ、議論の余地のない明白さ、衝撃の大きさが挙げられる。これには、科学者からも全く異論がないだろう。

本書は、N・Yの哲学科の大学教授による「フィジックス・ワールド」という物理学誌の読者投票で選ばれたもっとも美しい実験から、「科学実験の美しさ」を主題にしたまるで展覧会の絵を鑑賞するようにしあげた作品集である。展示されている作品は、全部で10点。

①世界を測る―エラトステネスによる地球の外周の長さの測定
②球を落とす―斜塔の伝説
③アルファ実験―ガリレオと斜面
④決定実験―ニュートンによるプリズムを使った太陽光の分解
⑤地球の重さを量る―キャヴェンディッシュの切り詰めた実験
⑥光という波―ヤングの明快なアナロジー
⑦地球の自転を見る―フーコーの崇高な振り子
⑧電子を見る―ミリカンの油滴実験
⑨わかりはじめることの美しさ―ラザフォードによる原子核の発見
⑩唯一の謎―一個の電子の量子干渉

いずれも高校物理や理化の授業でなんとなく記憶にあるような有名な実験である。
各実験の章の最初に、実験の具体図がわかるような科学者自身の図や絵を並べて当時の実験をわかりやすく説明し、科学者の人間くさいエピソードも紹介しながら、最後に何故その実験が美しいと言えるのか、美の概念を展開していきながら展示されている。またInterludeの章も読み応えがある。科学と哲学を融合させたようなところに特徴があり、読んでいて知的な楽しみと喜びを与えてくれる。
またこの一風変わった画廊にある作品を順番に時系列に鑑賞すること自体、科学史を学ぶような趣すらある。

私がこれらの中でもっとも美しいと心底感心した実験は、英国の科学者ヘンリー・キャヴェンディッシュ(1731~1810年)の地球の重さを量る実験である。
彼は人づきあいが非常に苦手で、近隣の挨拶さえ苦痛で散歩の時間を夜に変更したぐらいだ。また徹底的に几帳面で「星の運行を支配する法則のようにゆるぎない」法則に従って日常生活を遂行したという変人である。しかし、より深く、よりシンプルな美に心をひかれた彼は、精度の高い測定のセンスがあった。
この実験は、ニュートンの二つの物体を引っ張る重力の大きさは物体の密度に比例するという法則から、ふたつの金属球のあいだに働く引力を測定しようという発想からうまれた。天井から吊り下げた竿のようなワイヤーの両端に二つの小さな球を取り付け、さらにもう少し大きな球を同じようにさげて重力による振動を測定して、二つの球の間に働く引力の大きさと球と地球のあいだに働く引力の大きさから、地球の平均密度を求める実験である。この装置に改良を続け、きわめて高い精度で地球の重さを量ったのだ。著者は、”端整に切り詰められた簡素な美”と評しているが、私は地球の重さをわずか5㎝ほどの球から測ったという究極の対比、しかも実験対象がそれぞれ円形という永遠性を感じさせる美に感動した。

また次点としては、地球の自転を証明したフーコーの振り子であろう。パンテオンに設置された振り子の荘厳な動きを想像するだけで、時をゆっくり刻む優雅さにため息がでる。しかももっとも簡単な装置で、こどもでも理解できる。
いずれも本書を読むことで日頃からよく何気なく、直感的に美しいという言葉を使うが、美の概念、美の力、美の役割、美そのものを考えるきっかけにもなった。

プラトンは名著「饗宴」で、美は目に見える領域にイデアが燦然と輝き出したものだという言葉を残した。
すなわち自然界の秩序は、知を愛する者たちに対し、美によって自らの存在を告げる。それゆえ知を愛する者たちは、美を求める心をないがしろにせずに深く育まなければならない。なぜならばその行為は、真を求める心を育むことになるからだ。

だったら科学実験は、美しいと言えるのか。その解は、自明だろう。
美しさを理解できるあなたには、この展覧会に行かれることをお薦めしたい。★★★★★