(以下には、三島由紀夫の小説・『豊饒の海』のストーリーに関する記述が少しあります。これから読もうとする人には、一応、『ネタバレ注意』としておきます)
「豊饒の海」4部作は、三島由紀夫の最後の大作だ。
第1部では、主人公の親友が死ぬ。まだ、20歳だった。その愛と死が、全編に桜の花吹雪を散らしたような、なんとも美しい文章でつづられる。
第1部で死んだ親友が、第2部では、なんと、別の人に生まれ変わった。本人にその自覚はなかったが、主人公はそれに気づいた。でも、やっぱり20歳で死んだ。
毎回、20歳で死んでは、生まれ変わって別の人になる。第3部では、かわいい美少女に生まれ変わった。そして、やっぱり20歳で死んだ。
その間も、主人公はずっと生きていて、だんだん、年を取っていく。「生まれ変わり」を、ただ見守るだけ。どうすることもできない。生まれ変わりごとに、年の差が大きくなっていく。自分がお爺さんになるにつれて、「永遠の若さ」が、うらやましくなってくる。
第4部ともなると、「過去の生まれ変わりでは、いずれも20歳で死んだらしい」というウワサが、本人の耳にも入ってくる。そして、「ということは、オレも、20歳で死ぬのかな?」と、気にし始める・・・。
三島由紀夫は、晩年になるほど仏教思想に傾倒し、とくに「唯識論」を熱心にやっていた。「豊饒の海」も、後半になると、唯識論の話がしきりに登場するようになる。
唯識論というのは、古代インドの仏教哲学が生んだ、とてもフクザツな、輪廻転生の理論。 「唯識3年、倶舎8年」(・・・合計11年も勉強して、やっと理解できる)と言われるほど、難しいことで知られる。
なんで、そんなに難しいのか。
それは、仏教では、基本的に「霊魂」というものを認めていないからだ。
仏教では、「霊魂」というのは、「いつわりの自我」とされている。それは本当の自分ではなく、錯覚であり、実在しない。
修行者たるもの、そんなものに執着してはいけない。霊魂、すなわち「永遠の自我」への執着は、解脱のさまたげになるのである。「ボクは、死んでからも、肉体を抜け出した霊魂となって、永遠に生きていきたいな」というのは、世間の一般人ならともかく、修行者としてはアウトなのだ。
でも、だからといって、輪廻転生もないのかといったら、そういうわけでもない。それとこれとは、別の話になる。
つまり、霊魂は、存在しません。それは、アナタが作り出した幻影です。でも、輪廻転生はしています。・・・そこが、ややこしいところ。
じゃあ、「霊魂が無いのなら、何が輪廻しているのか?」となるのが、当然の疑問というものだろう。
古代インドでは、当時の最高の知性たちが集まっては、この議論に明け暮れた。これほど熱く盛り上がるテーマは、他になかった。
とはいうものの、もともと前提からして無理のある議論なので、やればやるほど、理屈がややこしくなっていった。
この問題の結論を言えば、「阿頼耶識」(アラヤシキ)が輪廻しているのだ・・・ということになる。いや、輪廻を作り出しているのだ・・・と言うべきか。
アラヤシキとは何なのかといえば、表面意識の奥にある、深層意識の中のコアの部分。
スピリチュアル風に言えば、「自分専用の、小さなアカシックレコード」といったところか。
これは高性能な記録装置で、ここには、あらゆる情報が書き込まれている。自分自身の過去はもちろん、過去世の転生履歴も、すべて記録されている。ついでに、地球生命系の歴史までが記録されている。
アナタが死んでも、この記録装置は残る。そこには、すべての情報が記録されている。
なんと、この情報を元に、アナタの新しいバージョンが再生されるのだ。
そこでアラヤシキは、映写機に変身する。世界というスクリーンに、「生まれ変わった、次の人生」という、映画を投影する。なんたって、ここには、あらゆる情報があるのだ。それを元に、スクリーンに映せばいいだけ。
そんなこんなで、要するに、阿頼耶識のおかげで、人は輪廻転生している。いや、「輪廻転生という、夢を見ている」というべきか。
晩年の三島由紀夫は、文学仲間たちと過ごした別荘で、唯識論の話に夢中になっていた。2枚の皿を手に持って、生まれ変わりの原理を、熱く語っていた。それを見た渋澤龍彦は、「お前、それじゃアラヤシキじゃなくて、サラヤシキじゃないか」と言ったという。
「豊饒の海」に出てくる、「若くして死に、そのたびに生まれ変わる」という話は、三島由紀夫の理想だった。
それくらい、三島由紀夫は、年を取りたくなかった。彼の美的感覚からいって、年を取った人間は、それほど美しくなかったのか。
いや、正確にいえば、年を取った人間が美しくないというより、年を取ってから死んでも、その死は美しくなかったのだ。
未完成なまま死んでこそ、その死は鮮やかに光り輝く。
永遠に未完成の繰り返し、「同じものの永遠なる回帰」(byニーチェ)が理想だったのかもしれない。
まさしく、体を張って、自分の人生そのものをアートにしようとしていた・・・。
ただし、本人も、死ぬことの虚しさは知っていた。
あるとき三島由紀夫は、インド旅行して、ガンジス川のほとりの火葬場を見た。そこでは、無数の死体が、ゴミ焼却場のように、黙々と焼かれていた。そこで三島は、「これが、人間の末路なのか・・・」と、なんともいえない無常観にとらわれたという。
そんな三島由紀夫が死んだのは、45歳。自衛隊の駐屯地で、壮烈な割腹自殺を遂げた。
三島にとって、45歳は、もうギリギリ、ガマンできる限界だった。40歳をすぎた頃から、「これ以上は、年を取るわけにいかない。一日も早く、死ななければ」というくらいの、奇妙な切迫感があった。それは、いろんな友人への言葉や、手紙などに表れている。
それ以上に年を取ってから、壮烈な死を遂げても、カッコ良くないのだった。だから、なんとしても、45歳のうちに死ぬ必要があった。
割腹して介錯された三島の無残な姿に、現場を目撃した人は、「これが、あの大作家の末路なのか・・・」と、なんともいえない無常観にとらわれたという。
筆者も、このブログを書き始めてから7年にもなり、いつのまにか、三島由紀夫が死んだのと同じくらいの年になった。まあ、人間の寿命が延び、高齢化が進んだので、昭和40年代とは、年齢に対する感覚があまりにも違うんだが・・・。
今では、むしろ、ここまで来たら、「いっそのこと120歳くらいまで生きてやろうか」というくらいの気持ちでいる。それなら、まだまだ先は長い。その頃までには、アンチエイジングが高度に発達して、かえって今より若返ることになるだろう。
以前から、「われわれが生きている間に、人類は500歳まで生きられるようになる可能性がある。ということは、あと500年近くも生きるということだ」と、周囲の人には言っている。まあ、それは冗談なんだが。
いや、本当にそうなる可能性はあるのだが、自分自身が、そんなに長く生きたくない(笑)。
そこまで長生きする意味はないけど、予定よりも早く死ねば、それだけ、地球での人生が中途半端なものになる。ここで、キッチリ予定を完了しておけば、あと腐れなく地球とオサラバできるというものだ・・・。
(続く)
「豊饒の海」4部作は、三島由紀夫の最後の大作だ。
第1部では、主人公の親友が死ぬ。まだ、20歳だった。その愛と死が、全編に桜の花吹雪を散らしたような、なんとも美しい文章でつづられる。
第1部で死んだ親友が、第2部では、なんと、別の人に生まれ変わった。本人にその自覚はなかったが、主人公はそれに気づいた。でも、やっぱり20歳で死んだ。
毎回、20歳で死んでは、生まれ変わって別の人になる。第3部では、かわいい美少女に生まれ変わった。そして、やっぱり20歳で死んだ。
その間も、主人公はずっと生きていて、だんだん、年を取っていく。「生まれ変わり」を、ただ見守るだけ。どうすることもできない。生まれ変わりごとに、年の差が大きくなっていく。自分がお爺さんになるにつれて、「永遠の若さ」が、うらやましくなってくる。
第4部ともなると、「過去の生まれ変わりでは、いずれも20歳で死んだらしい」というウワサが、本人の耳にも入ってくる。そして、「ということは、オレも、20歳で死ぬのかな?」と、気にし始める・・・。
三島由紀夫は、晩年になるほど仏教思想に傾倒し、とくに「唯識論」を熱心にやっていた。「豊饒の海」も、後半になると、唯識論の話がしきりに登場するようになる。
唯識論というのは、古代インドの仏教哲学が生んだ、とてもフクザツな、輪廻転生の理論。 「唯識3年、倶舎8年」(・・・合計11年も勉強して、やっと理解できる)と言われるほど、難しいことで知られる。
なんで、そんなに難しいのか。
それは、仏教では、基本的に「霊魂」というものを認めていないからだ。
仏教では、「霊魂」というのは、「いつわりの自我」とされている。それは本当の自分ではなく、錯覚であり、実在しない。
修行者たるもの、そんなものに執着してはいけない。霊魂、すなわち「永遠の自我」への執着は、解脱のさまたげになるのである。「ボクは、死んでからも、肉体を抜け出した霊魂となって、永遠に生きていきたいな」というのは、世間の一般人ならともかく、修行者としてはアウトなのだ。
でも、だからといって、輪廻転生もないのかといったら、そういうわけでもない。それとこれとは、別の話になる。
つまり、霊魂は、存在しません。それは、アナタが作り出した幻影です。でも、輪廻転生はしています。・・・そこが、ややこしいところ。
じゃあ、「霊魂が無いのなら、何が輪廻しているのか?」となるのが、当然の疑問というものだろう。
古代インドでは、当時の最高の知性たちが集まっては、この議論に明け暮れた。これほど熱く盛り上がるテーマは、他になかった。
とはいうものの、もともと前提からして無理のある議論なので、やればやるほど、理屈がややこしくなっていった。
この問題の結論を言えば、「阿頼耶識」(アラヤシキ)が輪廻しているのだ・・・ということになる。いや、輪廻を作り出しているのだ・・・と言うべきか。
アラヤシキとは何なのかといえば、表面意識の奥にある、深層意識の中のコアの部分。
スピリチュアル風に言えば、「自分専用の、小さなアカシックレコード」といったところか。
これは高性能な記録装置で、ここには、あらゆる情報が書き込まれている。自分自身の過去はもちろん、過去世の転生履歴も、すべて記録されている。ついでに、地球生命系の歴史までが記録されている。
アナタが死んでも、この記録装置は残る。そこには、すべての情報が記録されている。
なんと、この情報を元に、アナタの新しいバージョンが再生されるのだ。
そこでアラヤシキは、映写機に変身する。世界というスクリーンに、「生まれ変わった、次の人生」という、映画を投影する。なんたって、ここには、あらゆる情報があるのだ。それを元に、スクリーンに映せばいいだけ。
そんなこんなで、要するに、阿頼耶識のおかげで、人は輪廻転生している。いや、「輪廻転生という、夢を見ている」というべきか。
晩年の三島由紀夫は、文学仲間たちと過ごした別荘で、唯識論の話に夢中になっていた。2枚の皿を手に持って、生まれ変わりの原理を、熱く語っていた。それを見た渋澤龍彦は、「お前、それじゃアラヤシキじゃなくて、サラヤシキじゃないか」と言ったという。
「豊饒の海」に出てくる、「若くして死に、そのたびに生まれ変わる」という話は、三島由紀夫の理想だった。
それくらい、三島由紀夫は、年を取りたくなかった。彼の美的感覚からいって、年を取った人間は、それほど美しくなかったのか。
いや、正確にいえば、年を取った人間が美しくないというより、年を取ってから死んでも、その死は美しくなかったのだ。
未完成なまま死んでこそ、その死は鮮やかに光り輝く。
永遠に未完成の繰り返し、「同じものの永遠なる回帰」(byニーチェ)が理想だったのかもしれない。
まさしく、体を張って、自分の人生そのものをアートにしようとしていた・・・。
ただし、本人も、死ぬことの虚しさは知っていた。
あるとき三島由紀夫は、インド旅行して、ガンジス川のほとりの火葬場を見た。そこでは、無数の死体が、ゴミ焼却場のように、黙々と焼かれていた。そこで三島は、「これが、人間の末路なのか・・・」と、なんともいえない無常観にとらわれたという。
そんな三島由紀夫が死んだのは、45歳。自衛隊の駐屯地で、壮烈な割腹自殺を遂げた。
三島にとって、45歳は、もうギリギリ、ガマンできる限界だった。40歳をすぎた頃から、「これ以上は、年を取るわけにいかない。一日も早く、死ななければ」というくらいの、奇妙な切迫感があった。それは、いろんな友人への言葉や、手紙などに表れている。
それ以上に年を取ってから、壮烈な死を遂げても、カッコ良くないのだった。だから、なんとしても、45歳のうちに死ぬ必要があった。
割腹して介錯された三島の無残な姿に、現場を目撃した人は、「これが、あの大作家の末路なのか・・・」と、なんともいえない無常観にとらわれたという。
筆者も、このブログを書き始めてから7年にもなり、いつのまにか、三島由紀夫が死んだのと同じくらいの年になった。まあ、人間の寿命が延び、高齢化が進んだので、昭和40年代とは、年齢に対する感覚があまりにも違うんだが・・・。
今では、むしろ、ここまで来たら、「いっそのこと120歳くらいまで生きてやろうか」というくらいの気持ちでいる。それなら、まだまだ先は長い。その頃までには、アンチエイジングが高度に発達して、かえって今より若返ることになるだろう。
以前から、「われわれが生きている間に、人類は500歳まで生きられるようになる可能性がある。ということは、あと500年近くも生きるということだ」と、周囲の人には言っている。まあ、それは冗談なんだが。
いや、本当にそうなる可能性はあるのだが、自分自身が、そんなに長く生きたくない(笑)。
そこまで長生きする意味はないけど、予定よりも早く死ねば、それだけ、地球での人生が中途半端なものになる。ここで、キッチリ予定を完了しておけば、あと腐れなく地球とオサラバできるというものだ・・・。
(続く)