宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

意識のすべてを、「いま、この瞬間」に向ける ~ エックハルト・トール

2009年07月12日 | エックハルト・トール
 
エックハルト・トールによれば、ほんとうの自分を取り戻し、「大いなる存在」とつながるための方法は、「思考を客観的にながめる」ことだけではない。意識を100パーセント「いま、この瞬間」に向けるということも、ひとつの方法だという。

たとえば、通勤の途中、駅の階段を上っているとき、その一歩一歩に全神経を集中する。ふだんは、「さて、今日はどうやって稼ごうか・・・」とかなんとか考えごとをしながら、無意識のうちに上っている階段。そこで、あえて考えごとをストップし、階段を上がる一歩一歩に意識を集中するのである。

もしくは、洗面所で手を洗って、冷たい水の感触に全神経を集中する。せっけんの匂いを、無心にかぐ。こういったことに、まずは取り組んでみる。

しらずしらずのうちに、思考はストップして、無心状態が生まれる。それこそ、ほんとうの自分を取り戻した瞬間だ・・・。
 
思考は、たいていの場合、過去や未来を見ている。「あのとき、ああしていれば・・・」とか、「これからはこうしよう・・・」というのが、代表例。思考にとって、「いま、この瞬間」は、単なる通過点にすぎない。常に、未来へのワンステップとして意味があるだけ。

「俺はいまは安アパートに住んでいるけど、これはいずれ、高級マンションに移るためのワンステップにすぎないのだ」という感じ。安アパートに住んでいる、現在の自分を少しも楽しんではいない。高級マンションに移るという、未来の自分の姿だけを追いかけている。(でも、願いがかなって高級マンションに移ってみても、結局やってることはインターネットで、変わらなかったりする・・・)。
 
あらゆる悩みは、過去のことを気にし続けたり、未来のことを追いかけ続けたりすることから発生する。過去や未来へと向かう思考をストップして、「たったいま、この瞬間」のみに意識を集中。流れる風を感じ、小鳥の声に耳を傾ける。その瞬間、あらゆる悩みが消えている。これこそ、無我の境地。

「たったいま、この瞬間」のみに生きている人は、過去や未来のことを必要以上に考えない。もちろん、まったく考えなかったら生活に支障を来たすので、必要最低限には考えるのだが、必要以上には考えなくなる。
  
もっとも、世間の一般人の場合は、「過去や未来」といっても、せいぜいこの人生の範囲内にとどまっているので、まだマシなのかもしれない。その点、精神世界ファンの場合は、過去世や未来世のことまで気にしているので、特に要注意だと言える(笑)。

さっそく、徹底して「いま、この瞬間」のみに生きてみよう。それだけで、東洋の修行者たちが探求してきた、無我の境地に到達できる。「パワー・オブ・ナウ」とは、まさしく言い得て妙だ・・・。
  
 
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思考の声に、耳を傾ける ~ エックハルト・トール

2009年07月11日 | エックハルト・トール
 
エックハルト・トールによると、「大いなる存在とひとつである」という感覚が得られない一番の原因は、自分の思考を「ほんとうの自分」だと思い込んでしまうこと。
 
思考は本来、道具にすぎない。思考力は、この世でうまく生きていくための、便利な道具。思考力のおかげで、仕事も勉強もはかどるし、生活もうまくいく。本来は「ほんとうの自分」が使いこなす、道具のはずだった。ところが、現代人の多くは、思考がとめどなく垂れ流され、逆に思考に支配されてしまっている。日々の思考こそ、自分なのだと思い込んでしまっているという。

「思考がある」ということが問題なのではない。問題は、「思考が誰にもコントロールされず、勝手気ままに暴走している」ということ。われわれが使いこなすはずの思考が、逆に、われわれを縛りつけ、支配している状況だ。

思考に束縛されている自分に気づくことが、悟りへの第一歩となる。そのためにはまず、自分自身の思考を観察することから始める。敵を知り、己を知れば、百戦あやうからず。まずは、思考を知れ・・・ということらしい。

心を落ち着かせ、研ぎ澄ませて、「思考の声」にじっと耳を傾ける。特に、「何年もかかり続けている、古いレコード」の声を聞く。これには、思い当たるフシがある。「あのとき、ああしていれば・・・」と何年も悔やみ続けたり、「○○さえできれば、道は開けるのに・・・」と何年も願い続けたりすることが、人間にはアリガチなことだ。

重症になると、ブツブツとひとりごとを言うようになる。エックハルト・トールも、気がつけばトイレの鏡に向かってブツブツしゃべっていた自分に気づいたという。といっても、本人が自覚して気づいたのではなく、隣のひとが奇人変人を見る目で自分を見ているから、やっと気づいたということだ。そこまでいかなくても、頭の中でひとりごとを垂れ流している人は多い。口には出さないだけで・・・。
 
「思考を観察する」というと難しそうだが、要はこういう「頭の中のひとりごと」を聞くということ。それだけで、日々、垂れ流されている「思考」とは別の、「もうひとりの自分」の意識が目覚めてくる。「ほんとうの自分」が主導権を取り戻し始める瞬間・・・。
 
ここで重要なのは、あくまでも「観察」するということ。「反省」するわけではない。わざわざ昔のことを思い出して、「あのときは、私が悪うございました・・・」などとやるのは、自ら進んで「過去の記憶」に縛られるようなものだ。日本人的なマジメさは、たしかに美徳ではあるのだが、この点では有害だと言える。

「観察」には、良いも悪いもない。善悪の判断はとりあえず置いといて、まずは客観的に眺めるのである。たとえば、きれいな人妻を見て「一緒に寝てみたい」というような思考が発生したとしても、それはそれで、自分にそのような思考が発生したという現実を受け入れるしかない。重要なのは、「反省」ではなく、「観察」なのだ。「いま、この瞬間」に生きることが出来てくるにつれて、そのような思考は自然と起きなくなる・・・はずだ。

 
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思考をコントロールする ~ エックハルト・トール

2009年07月10日 | エックハルト・トール
         
われわれを悟りから妨げているものの正体は、「思考」であった。

ここでいう「思考」というのは、「数学の問題を解く」というような思考ではない。 もちろん、そういう意味での思考も含んでいるのだが、もっと広い意味。 「ああでもない、こうでもない・・・」と、われわれの頭の中を日常的に渦巻いているモノのすべてを指す。 「俺の人生、こんなはずじゃなかった・・・」 とか、「もっと売上を上げなくては・・・」 というようなのが、思考の代表例だ。
 
実のところ、この「思考」は、古来からインドの修行者たちの間で問題視されていた。 思考こそ、諸悪の根源。 これを止めることが、悟りへの最短距離なのだという。 お釈迦さまが出家して高名な師匠を訪ね歩いていた頃、インドの修行界では「一切の思考を止める瞑想」 が評判になっていたことが、仏典にも描かれている。

この古代インドの霊統は、現代インドの聖者・クリシュナムルティを通して、欧米人のエックハルト・トールにも流れ込んだ。

とはいっても、思考を止めるのは容易なことではない。 頭の中をカラッポにしても、5分もすれば 「腹が減ったな」とか、「こんなことやってる場合なのか、俺は・・・」といった思考が再開される。 それは、止めようと思って止められるものではない。

厄介なことには、「思考を止めよう」 というのも、思考の一種なのだ。 つまり、思考を止めるためには、まず 「思考を止めよう」 という思考を止める必要がある。 考えれば考えるほど、これは難しい。
 
インドの山奥で修行しているのならともかく、現代人には出来ない相談だ。

だが、幸いなことに、エックハルト・トールも、「思考を止めよ」 とまでは言っていない。 そうではなくて、「思考をコントロールする」 ということが重要だという。
 
思考が頭の中でグルグルと渦を巻いているとき、人は思考に飲み込まれてしまっている状態だ。 アルコール中毒に例えれば、「酒を飲んでいるつもりが、酒に飲まれてしまった」 という状態。 この中毒症状から、なんとか脱却しなければならない。

そのためには、まず「自分は思考中毒だ」 ということに気づく必要がある。

例えて言えば、アル中患者が、無意識のうちに一盃、一盃、また一盃。 手が震えて盃を取り落とし、「ガチャン」 と割れる音で、ふと我に返る。 「俺はいったい、何をやっているのか。 気がつけば、また酒を飲んでいたか・・・」 と、初めて自分のやっていることに気づく。
 
思考中毒も、それと同じようなものだ。 思考が常に垂れ流され続け、一瞬たりとも休まない状態。 それはまさに、無意識の状態だ。 まずは、無意識状態になっている自分に気づき、ハッと我に返る必要がある。  

「俺はいま、○○という思考に溺れているな」 と気づく自分。 それこそが、ほんとうの自分を取り戻した瞬間・・・。
    

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大いなる存在 ~ エックハルト・トール

2009年07月08日 | エックハルト・トール
      
エックハルト・トールは、「銀河宇宙の歴史」 とか、そういったことについては語っていない。 トールは、読者を「悟り」という頂点へ、あたかもスキー場のリフトの如く、一気に導こうとしている。

トールによれば、悟りとは、仏陀やクリシュナムルティのような、一部の聖者に独占されているものではない。 誰でも、悟りへと到達できる。そのためには、どうすべきか。 それには、エックハルト・トールの本を読むに限る・・・(?)。

悟りとは、特殊な状態ではない。 それは、「大いなる存在」 とひとつである状態。本来は、この方が自然な状態なのだ。 「大いなる存在」 から切り離されている方が、よほど不自然な状態と言える。

「大いなる存在」 との一体感を感じることができないと、自分をとりまく世界から、自分が切り離されている、 という幻想が始まる。 「わたしは、ポツンと孤立した、ちっぽけなかけらのような存在にすぎない」 という錯覚に陥る。そして、不安と苦悩の日々が始まる・・・。

「大いなる存在」というのは、一なる存在、すべてを統合した存在だ。われわれ自身でもあり、われわれを遥かに超えた存在でもある。

「大いなる存在」とつながると、どうなるのか。

エックハルト・トールの場合は、「この上ない至福の状態が、何か月も続いた」というから、並大抵ではない幸せだ。 ジッとしていても幸せ。 歩いていても幸せ。 回りを見回しても幸せ。 人と話しても幸せ・・・。 手の舞い、足の踏むところを知らず。 周囲の人々からは、「このヒト、どうしちゃったの?」 と思われるかもしれない。 しかし、そんな周囲の人々も、徐々に影響を受けてくる。
 
だが残念ながら、大半の人々は、ナゼか「大いなる存在」 から切り離されている。 大きなハサミのようなもので、バッサリと接続を断ち切られているのである。 というより、ザーザーという雑音に妨害されて、コミュニケーションが取れなくなっているようだ。

その、われわれを妨げるノイズの正体。 それが「思考」 の雑音なのである。
 

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エックハルト・トール ~ パワー・オブ・ナウ

2009年07月06日 | エックハルト・トール
             
アメリカ西海岸は、スピリチュアリズムの最先進地だ。 他の多くの分野と同様、この分野も西海岸が世界で一番、進んでいる。 エックハルト・トールはドイツに生まれ、イギリスに学び、本人いわく 「何かに導かれたように」 アメリカ西海岸に移住。 中国系移民が多いので有名な、カナダのバンクーバーに住んでいる。

代表作 「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」、 「ニューアース」 は、アメリカでベストセラーになった。 いまや、トールは押しも押されもせぬ、スピリチュアル・リーダー。 思想内容からいっても、 「クリシュナムルティの継承者」 と呼ぶにふさわしい。 トール自身、著書でたびたびクリシュナムルティに言及し、傾倒ぶりを明らかにしている。 
 
読んでみると、精神世界本としては、結構ハードな内容だ。 人類の未来のこととか、宇宙のこととか・・・、そういうエンターテインメント性の高いことは、ほとんど語ってくれない(笑)。 ひたすら、「いまに在る」 という目覚めの提唱に徹している。 「アメリカでは、この手の本がベストセラーになるのか」 というのが、率直なオドロキだ。 やはり、精神世界のフトコロが深くて、学ぶべきものは多い・・・。

とはいえ、数々の代表作は、読むのに少々、骨が折れる。 手軽に読めるのは、なんといっても五次元文庫 (徳間書店) の 「超シンプルなさとり方 ~ 人生が楽になる」 だろう。 電車の中で読むのに最適な分量と内容(笑)。 原題は “ Practicing  The  Power  Of  Now ” 。 「パワー・オブ・ナウの実践」 といったところか。 その名のとおり、代表作 「パワー・オブ・ナウ」 (邦題:悟りをひらくと人生はシンプルで楽になる) の関連本である。
 
内容が平易かつシンプルにまとまっており、トール思想の入門書として最適だ。 カントで言えば、「カント自身が書いたカント哲学の入門書」 といわれる 「プロレゴメナ」 みたいなものか。 カントは、「純粋理性批判」 があまりにも世間の人々に理解されない (当たり前だ・・・) ことを嘆き、「もっと分かりやすい本を書かなければ」 と思って 「プロレゴメナ」 を書いた。 努力の甲斐あって(?)、確かに 「プロレゴメナ」 は実に分かりやすい。
  
ひょっとすると、エックハルト・トールも、「もっと読みやすい本を書かなければ」 と思って、これを書いたのかもしれない(笑)。 クリシュナムルティを読んでワケが分からなくなった人も、エックハルト・トールを読むべし(?)。

それはともかく、この本は 「大いなる存在とは何か?」、「どうすれば思考をコントロールできるのか?」 で始まる。


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