ダンテス ダイジによれば、人間は四つの身体からできている。それは、肉体、エーテル体、アストラル体、メンタル体。この四つが重なって、人間はできている。
このうち、肉体は物質でできている。エーテル体は、それと重なって存在している。物質ではないが、それに近い。まあ、「半物質」といったとこ。
上に挙げた四つの身体には、それぞれにチャクラがある。もちろん、どれも重要なんだけど、クンダリニーヨーガの話で「チャクラ」と言ったら、普通はエーテル体のチャクラを指す。
ちなみに、肉体のチャクラというのは、脳下垂体・松果体とか、太陽神経叢とか、そういうホルモン分泌器官や神経叢のこと。どれも、小さいのに決定的に重要な役割を果たしている中枢器官だ。エーテル体のチャクラは、そういう肉体のチャクラと、大いに関係がある。
エーテル体の7つのチャクラは、セキズイに沿って一直線に並んでいる。もともと、人間の存在のすべては神から、つまり、上の方から流れ出してきた。だから、エーテル体をタテに貫くチャクラの列は、最初は頭のてっぺんから出発して、だんだん下に降りてくる。
それにつれて、肉体のチャクラ、すなわち内分泌器官も、次々にできてくる。脳からノドへ、ノドから心臓へ。そして最後に到達するのは、一番下のルートチャクラ、尾骨神経節。
>尾骨神経節は、神が人体を通じて表現した最終到達点である。
>脳髄は根であり、脊髄は茎であり神経叢は枝であり、各内分泌器官は葉であり、尾骨神経節は、なんと花なのである。
>花が散って果実ができるように、この尾骨神経節の内部には、肉体クンダリニー、すなわち個生命体の根源的生命欲が宿っているのである。
そういえば確かに、脳は、球根の形に似てるかも(笑)。つまり、神の側から見れば、脳という球根からセキズイという茎が伸び、尾てい骨まで植物のようにスルスルと伸びていく。行き着く先は、尾骨神経節。そこに花が咲いて、果実ができる。
ちょうど、チューリップを逆さにしたような感じ。花はやがて、果実に変わる。
それが、人間の霊的発達のプロセスでは、方向が逆になる。つまり、今度は反対に、一番下からのスタート。
それは、一番下のムーラダーラ・チャクラ、つまり、尾骨神経節から始まる。さっきの話では、ここに花が咲いて果実ができた。今度は、その果実から新たな芽が出て、上に向かって伸びてゆく番となる。
この果実とは、根源的な生命欲。それが、生きるための原動力になる。植物でいえば、果実の中のタネから芽が出るようなものだ。人間の霊的な発達は、「根源的な生命欲」・・・つまり、「生きたい」という純粋な本能・・・というタネから芽が出て、育ち始める。
>クンダリニーは、あらゆる個生命体の生命力である。
>クンダリニーは、あらゆる人々の根源的生命欲である。
クンダリニーは、ムーラダーラ・チャクラから活動を始める。これこそ、生命欲そのものだ。赤ちゃんとか、小さな子どもの本能的な食欲と、肉体の活動がここに始まる。
次に発達するのは、ひとつ上の下腹部、スワジスターナ・チャクラ。これは、女性では卵巣がある位置。男女の性と、深い関係がある。ここまで上がると、性欲の出番になる。
本当は、このチャクラは気功でいう「気海丹田」。生命のセンターであると同時に、死のセンターでもあるという、なんとも奥の深いところなんだけど、それはちょっと先の話になる。ここではとりあえず、性欲のチャクラ。
もちろん、人間進化のプロセスは人それぞれだけど、これはあくまで一般論。まずは、生きるために食欲。順番からして、「次は性欲」と相場が決まっている。
それから、人間進化のプロセスは、ひとつ上に進む。おなかにある、マニピュラ・チャクラに到達だ。そこは自律神経のカタマリ、太陽神経叢があるところ。それは、自我の目覚めを意味する。
食欲・性欲という本能に続いて、自我意識の登場だ。おなかのチャクラは、自我のチャクラ。現人類はすでに、そこまでは進化している。
>したがって、この肉体・エーテル体上のマニピュラ・チャクラ、すなわち自我という束縛からいかに脱却するかということが問題になってくる。
>そして、自我を消す方法としては、冥想=絶対死以外にはないのである。
早い話が、クンダリニーヨーガは、自我を消す方法。なんで、わざわざ「死んだときの状態を体験」するのかと言ったら、そのためだったのだ・・・。
現代の人類は、おなかのチャクラのレベルまでは進化しているという。ダイジのチャクラ談義は、なぜか、ここで終わっている。
ということは、当然、「次は、胸のハートチャクラ」ということになるだろう。実際、ここには書かれてないけど、「ハートチャクラまで進化することが、人類の課題」という話は、別のところでしてたらしい。
頑張ってみたら?
そう、昇らせたほうがいい。そのうち僕が人体実験するから。
今までは、聖霊が引き上げてくれていた。そろそろ自分でやらないといけない。
クンダリニー・・・
やらないよ(笑)
クンダリニーが上がらなくたって、別に困ることないし。
上記は、ダスカロスの言い分だっけ?
あまり多読すると、ネタ元を忘れてしまう。歳のせいもある。やだね(笑)
>自我の終焉と同時に、チャクラ全開呼吸だ!!
(^^)チャクラ全開ですか、久しぶりに聞きました。頑張って下さい。
いや、クンダリニーが別に上昇しなくたって俺は死んでないけど。
>株が下がったおかげで死んだ人だっているよ。
ユーモアがないねえ。(笑)
株価が下がっても俺は死ななかったけどな。(笑)
そのとおり。
> 燭台や星がチャクラを現すと言う説の元ネタはユクテスワの『聖なる科学』でしょう。
その通り。
ユクテスワの彼に何か問題でもあるのかな?
燭台や星がチャクラを現すと言う説の元ネタはユクテスワの『聖なる科学』でしょう。
なるほど、呼吸と思念の組み合わせなのか。
自我の終焉と同時に、チャクラ全開呼吸だ!!
いやいや、クンダリニーヨーガは、下手すりゃ死ぬって。
株が下がったおかげで死んだ人だっているよ。
クンダリーニ上昇は、「呼吸と思念の組み合わせ。」これは、化学反応に似ている。
エゴを消さないまま、クンダリーニが昇る時(出産時やパニック状態)、頭がおかしくなる。
呼吸と思念の時間的な組み合わせを知れば、クンダリーニは安全に昇る。
いいことって何を期待しているのかな?(笑)
物質界の影響も受けるようですね。
ところでクンダリニーを上昇させると、何かいいことがあるのかな?
「チャクラが閉じてます」というのなら、まだ分からないでもないけど・・・
ヨハネが象徴した「七つの教会」「七つの燭台」という意味は、七つのチャクラを言う。
それは即ち「七つの聖霊の座」であり、「人には、それぞれ聖霊を与えてある」の意。
つまり、人間には、七つの聖霊が付いている、と解釈できるなら、これほど力強な
救いは他にないと分かるだろう。
チャクラは聖霊であるから、輝かせるような存在ではなく、チャクラを識別できなくなった
心の状態をエゴとか自我と言うのであるから、修練の対象は、エゴ、自我の終焉に
あると言うのであって、瞑想や呼吸法その他は二次的なこと。
これらは、自慢する気はないけれど、幾度もクンダリーニ上昇を体験し、精霊との
対話を経たことから教えられたこと。
聖書の中にあるイエスの言葉、「人には、それぞれ聖霊を与えてある」と言うのは、
ヨハネが象徴した「七つの教会」「七つの燭台」という意味。ヨハネは、イエスの師匠だった。
イエスもヨハネも、カバラの真理を象徴的に説いたので、理解されないことが多い。
巷にある、「チャクラを輝かせるセミナー」と言うのは、人間が聖霊を輝かせるという
語になり、傲慢そのもの。というか無知そのもの。
みなさんには、真実を知ってほしい。真実の知識でなければ、それは偽りの知識であり、
探求そのものが道を間違える。
それは、ほとんどの人が、意識的・無意識的に感じる感覚だから、おかしくはない。
チャクラと呼ばれるものは、聖霊(神の直達の力)の座であり、それを心が体験する階層だから、
潰れるという表現は、おかしい。身体の内分泌が壊れても、異次元のチャクラは損傷しない。
同様に、「チャクラを刺激する」「目覚めさせる」「開発する」「輝かせる」などの表現は、
「神を刺激する」「神を目覚めさせる」「神を開発する」という意味になるのだが。。。
チャクラは、知識の座でもあり、それらは目覚める時、捨て去られるもの。
無知な自称のスピリチュアル人があまりにも多過ぎると思う。
チャクラは遠隔で見てもらったが、「これはどうしたんでしょう、チャクラがつぶれています。こんなのは初めてです」と。
きっと、自動車が追突したようにいびつになっていたのでしょう。
私はそれを聞いて、そうだろうな、と妙に納得できました。
どういう状態になるんですかね?
壮絶な体験でチャクラがつぶれたことがあった。
最近はオーラが見える人とか増えているように思うが、知人でも見えるようになった人もいる。かなりきつい人生の末に。