宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

精神世界探求のメリット その3

2014年07月02日 | こっくり亭日記

 
精神世界をやっていると、仕事や生活においても、いろいろな面で大きな利点がある。
 
そのひとつは、「愛の波動」が身についてくること。変な言い方かもしれないが、本当にそうなのだ。

日頃から、ワンネス思想にいつも接しているのだから、しらずしらずのうちに影響を受けてくる。1日や2日ならともかく、長く取り組むにつれ、そうでない人に比べて、明らかに精神構造が違ってくるのは確実だ。

そうなると、世界は違って見えてくる。

せちがらい世の中だけど、世界には、犬や猫や小鳥、小さな子供といった、いまだ自我意識が発達せず、エゴの乏しい者たちが意外と多い。自分もだんだん、それに近い意識状態になってくる。そうなると、世界との一体感を感じて、気分がとても良くなる。

今の季節なら、郊外や田舎で、カエルの声や、セミの声を聞くのが一番だろう (動画あり)。小さな田んぼでも、夏の盛りには、宇宙を揺るがすような音響となる。聞いているうちに、宇宙そのものに溶融した気がしてくるほど、エゴのまったくない波動だ。最高に気分が良くなる。
 
しょせん、気分が良くなるだけかもしれない。でも、世の中、ウツ病で苦しんでいる患者がどれだけ多いかを考えれば、それだけでも大きなメリットだろう。
 
その波動は、周囲の人々にも伝わることになる。
 
ずいぶん前のことだけど、あるとき筆者は、保険営業マンになった。売上が一定以下なら給料ゼロの、完全歩合制営業マン。周囲の人々からは、「そんなの、キミには無理だから、ヤメておけ」と盛んに言われた。いつものことだが、なんとも無謀なチャレンジをしたものだ。
  
でも、「電話帳を見ながら、片っ端から保険のセールス電話をかける」という、ベタなテレアポ営業をやってみたところ、予想外に好調だった。

通常、そんなセールス電話をかけまくったところで、反応するヒトは滅多にいない。ガチャンと電話を切られることがほとんどになる。「ボクは、昨日は300件ほど電話して、やっと1件の見込み客ができたよ」というような世界。

それでも、筆者が電話すると、「妙に反響がある」と、職場で評判になった。
 
実際、セールス電話をかけ始めて、4~5件目ともなると、早くも、話しこむ相手ができることが多かった。これは、「驚異的な確率。なんで、そうなるの?」と言われた。

電話の相手に聞いてみても、「なんともいえない、独特の雰囲気の良さを感じたので、つい話し込んでしまった」というような答が返ってきた。要するに、スピリチュアル風に言えば、「波動が良かった」ということ。

おかげで、保険の契約がよく取れたものだ。
 
だからといって、保険のセールスマンとして成功したかと言えば、そういうわけでもない。
 
もともと、三度の飯よりも読書や瞑想を好む、「俺のことは、ほっといてくれ」というタイプ。だから自然と、仕事をサボりがちになった。しまいには、ろくに営業せず、サボって本を読んでばかりになった。
 
そんな調子だから、成果が上がらなくなり、おカネに困って保険営業マンを辞めた。

でも、保険営業のマネージャーからは、「これから、どういう仕事をするつもりかは知らないが、次も営業職をオススメする。いくら東大出の秀才とはいえ、キミはあまりにも気が散りやすいタイプだから、事務職をやるべきではない。営業のほうが向いている。現状の売上はともかく、潜在能力は高いと見た」と言われた。
 
「それもそうだな。よし、それなら、もう一度!」と思った筆者は、懲りずに、今度は建築会社の飛び込み営業マンになった。

・・・というのは、後日の話。

それより、そういう、もともと内向キャラな人でさえ、セールスマンに向いていると言われたほど、「波動の良さ」には価値があるということ。

対人スキルが高いとか低いとか、そういう次元を超越している。「直観力」と同じく、使いようによっては、魔法の杖のような威力を発揮する特技だ。
 
もちろん営業に限らず、職場の内部でも、おおいに効果がある。波動の良い人は、職場の雰囲気を良くするので、仕事の成果の有無にかかわらず、いるだけでも貢献しているのだ(笑)。

「波動を良くしたい」と思っている人は、世間の一般人にも多いだろう。それなのに、精神世界を探求する必要があることには、なかなか気づかない。残念なことだ。


では、「波動を良くするためには、どうすればいいか?」ということになるけど、これについては、さまざまな人が、いろんな教えを説いている。

「生かされていることに感謝しなさい」とか、「反省して、心の曇りを取りなさい」とか、「自分は波動が高い、他人は波動が低いなどと、上下意識を持つのはヤメなさい」とか・・・。
 
まあ、確かに、それも真実なのだろう。

個人的には、「何も考えない」というのに勝るものはないと思えるのだが。

それはやっぱり、田んぼのカエルがお手本だ。あれほど美しい、宇宙的な音響を放っているカエルたちは、反省も感謝も、何もしていない。それどころか、まったく何も考えていない。

ここは何事も、お手本を見習うのが一番だろう。

何も考えていない、頭がカラッポな人を目指して、一生懸命に勉強する。精神世界の探求とは、そういうものなのだ・・・(笑)。


(続く)
 


精神世界探求のメリット その2

2014年07月02日 | 精神世界を語る
  
今回は、「精神世界を探求することには、なんのメリットがあるんだろう?」という話をしている。

もちろん、精神世界ならではの真理を知るのは、それ自体が計り知れないほど重要なことなので、その意味では考えるまでもないんだけど、それ以外に、「日常生活を送る上でも、意外なほど利点があるんじゃないか?」と思える。

精神世界を探求すると、強化される能力がある。それは、「直観力」だ。
 
瞑想で雑念を排除し、表面意識をクリアにすることによって、潜在意識からのインスピレーションが入りやすくなる。
 
その上、精神世界をやっていると、古今東西の聖賢たちの教えや、宇宙の叡智の言葉と接する機会が多いので、自然と知恵が入ってくる。それによって、直観が磨かれる。
 
人間、アタマで考えても、答が出ないことは多い。最終的には、直観で決まる。直観がますます冴えて、さらに深くなると、いわゆる「観自在力」となる。
 
そこまで行かなくても、なんとなく、「こうなるんじゃないかなあ?」と思っていたら、本当にそうなった・・・というような経験は、精神世界の探求者には多いはず。
 
何も考えなくても、パッと正解がアタマに浮かぶのは、日常生活においても、とても有利な特技となる。
 
最近の地球に生まれた子供の中には、「インディゴ・チルドレン」と呼ばれる、非常に直観が発達した人々もいる。
 
インディゴ・チルドレンに関しては、「算数の授業で、問題を見て、パッと正解を見抜いた。ただし、どうしてそういう答になるのか、理由を聞いても説明できない。ただ、そうなのだと言うだけ」というような事例が、多数報告されている。
   
筆者も、インディゴ・チルドレンと言われるような年代ではないけど、子供の頃はそうだった。
 
ADHD(注意欠陥・多動性障害)で、日常の生活能力はとても低く、何をやっても驚くほどヘタだったが、その代わり、何を見ても聞いてもパッと理解し、高度な概念でもすぐに把握してしまうので、小学校の成績は抜群だった。どの科目も、あまりにも簡単だった。大人が読むような難しい本も、楽々と読んでいた。
 
まあ、それは直観力もさることながら、もともと観念的な領域には強いせいでもあるんだけど・・・。

サラリーマンになってからも、「この取引先企業は、この先、こういうことになるでしょう」というようなご託宣(?)の威力には定評があった。若い頃の筆者は、通常の日常業務が驚くほどデキなかったが、これのおかげで、「やっぱり、賢い人ですね」とよく感心されていた。
  
このように、それ以外の能力が低くても、直観力が発達していれば、それだけで、人間社会では異彩を放つことが出来る。ましてや、それ以外の能力が十分に高ければ、決定的な強みになる。

直観力は、磨かなければ光らない。

それは、勉強やスポーツその他によっても、ある程度は磨かれる。でも、やっぱり、精神世界の探求にまさる効果は、他では得られない。

直観力を強化するだけでなく、維持するためにも、精神世界をやり続ける必要がある。それは、「運動をしなければ、カラダがなまってしまう」というのと一緒。
 
「直観力を強化したい」と思っている人は、世間の一般人にも多いだろう。それなのに、精神世界を探求する必要があることには、なかなか気づかない。残念なことだ。

これから先の地球は、ますます、直観がモノをいう時代になるだろう。

とくに、女性のスピリチュアリストには、直観が発達している人が多い。論理にしばられず、軽々と飛び越えられるのが強み。古来から、巫女さんが一目置かれてきたのも、そのせいだろう。

直観力を強化するのは、ボディビルのトレーニングで筋肉を強化するのとは、まったく異なる。

それよりも、「宝玉を磨いてピカピカに光らせる」というのに似ている。

つまり、鍛えて強くするというより、「直観が発現するのをジャマしているものを、取り除いていく作業」という感じ。

故・関英男博士みたいな、「洗心」だ。それは、心の中から、ケガレを取り除いていく作業。これは日本の神道系では、とくに好まれる。

でも最終的には、やはり、「瞑想で雑念を排除し、意識を集中する」というのに勝るものはない。それは、インド式の瞑想。

これこそ、どれほど強調しても、しすぎることはないくらい重要なポイントなのだ・・・。


(続く)