宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

さらに激変中の世界

2011年10月21日 | こっくり亭日記
世界では、さらにいろんなことが同時に起きている。

タイでは、「史上最悪の洪水」だ。ここ数年の異常気象つづきで、「史上最悪」とか、「過去百年間で最悪」といった言葉にすっかり慣れてしまったが、今度はタイだ。首都バンコクも浸水している。タイは「アジアのデトロイト」と呼ばれる自動車工場の集積地だけに、世界の工業生産にもたらす悪影響は、東北大地震をしのぐとさえ言われている。

リビアでは、「アラブの狂犬」ことカダフィ大佐が、ついに死亡を伝えられた。筆者が小学生の頃にはすでに「カダフィは、なんでいつまで経っても大佐なの?」という素朴な疑問が語られていたほど古い独裁者だが、ついに倒れた。最後は、血まみれで足蹴にされる映像が世界に流れ、悲惨な末路となった。

これで、チュニジア・エジプトに続き、倒れた独裁者は3人目。5千年の歴史を持つ地域だが、「2011年」は間違いなく特別な年となった。ヨーロッパ史に例えれば、各国で革命運動が起こり長期政権がバタバタ潰れた19世紀の「1848年」にも匹敵するであろう、歴史に刻まれる年号だ。

しかし、先進国の耳目は経済危機に集中している。働かず、経済感覚が欠如した国民性に定評のある「怠け者国家」ことギリシャの危機が、現在の焦点。

なんとか支援策がまとまりそうな流れで、当面の破綻は避けられるみたいなのだが、問題を先送りすればするほど、歪みは大きくなる。いつかどこかで調整しなければならなくなるのが、経済の常だ・・・。

どんどん変化が早くなり、あまりにも多くのことが同時に起きるので、認識が追い付かなくなってくる。少くとも、その点に関してはコルマン博士の言う通りになってきた・・・。

新しい社会形態

2011年10月21日 | こっくり亭日記

老子といえば、2千数百年も前の人(実在の人物なら、という話だが・・・)。古代中国の春秋戦国時代の思想家だ。昔も昔、大昔の思想家だ。そんな老子が「理想の社会」としていた社会像は、21世紀のスピリチュアリストたちが唱える「アセンション後の社会」と、とてもよく似ている。

それは、一言で言えば「小規模な村落」だ。誰もが顔見知りの、小さな社会。高度な教養を持った文人や、戦に強みを発揮する武人などはおらず、素朴な農民しかいない。しかも、ほかの村落との交流は、ほとんどない。遠くにあるわけではなく、むしろ逆で、犬や鶏の鳴く声が聞こえるほど近くにあるのだが、それでも隣の村を訪れることは滅多にない。そこでは、皆が共同で、自給自足の質素な生活を送っている・・・。

スピリチュアリストなら、「まさしく、それが理想の社会だ」と言うかもしれない。でも、それは口で言うほど簡単なことではない。当時の中国は、現代の日本とは比べ物にならないほど単純で素朴な世界だったが、それでも、「こんな社会があったら、理想だな」としてワザワザ取り上げられるほど、これは実現が難しい。 

自給自足は、古代でも難しかった。典型的な例が、「塩」だ。人間の生活に必要不可欠な塩は、海水が存分に取れる海辺か、もしくは岩塩の産地くらいでしか得られない。他の地域は、産地から輸入するしかなかった。後には、「鉄」がそれに加わった。もっとも、鉄がまだ使われてなかった時代だって、産地が限られているのは他の金属も一緒。そんなこんなで、お互いに融通し合わないと、生活を維持するのは難しい。

グローバリズムは、現代の専売特許ではない。古代中国でも、商人が全国規模で活動していた。商人は、戦乱の世になると活動がやりにくくなる。安心して商業活動を行うためには、政治が安定することが望ましかった。広大な領土を持つ王朝も、結局のところ、そういう経済上のニーズにこたえて出現してきたようなものだ。現代の基軸通貨国である、アメリカとやってることは変わらない。というより、そういう強力なパワーの出現で世の中が安定し、取引が便利になることを求める、社会的な要請があった。
 
春秋戦国時代よりも、さらにずっと昔、3千年以上も前の商王朝(殷)の時代だって、商人は広大な大陸に商業ネットワークを広げていた。そもそも、商王朝の都だった「商」が、後の「商人」の語源となったのだ。それくらい、中国の都市は当時でも、まったくの商業都市だった。こうした都市をつないで、全国的な商業ネットワークができていた。

「封神演義」は、そんな3千年前の中国を舞台にした、仙人や妖魔が大活躍する伝奇ストーリー。主人公の姜子牙(きょうしが)は、仙人の修行場だった崑崙山から下界に下りて、商の都・朝歌にやってきた。そこで知人からの紹介を受けて結婚した妻は、大の商売熱心だった。優秀な仙人の姜子牙は、たちまち占い師として評判になり、大もうけして妻はホクホク。妻があまりにも金銭に貪欲なので、有名な爆笑シーンの連続だ。

これは、旧約聖書のソロモン王が活躍していたのと同じ時代で、ユダヤ人が世界に散らばるより前の話。民衆は、日本でいえば縄文時代みたいなタテ穴式住居に済み、土器や石器を使ってた。まあ、早い話が、原始人も同然の社会だ。「現代人の拝金主義は、ユダヤ国際資本によって刷り込まれた信念なのだ」というようなことを言ってる人が多いのだが、それはイカガなものか。古代中国の商の都が、「ユダヤ」などとは何の関係もないにもかかわらず、とっくに拝金主義のグローバル商業センターだったのを思うと、説得力が薄れざるをえない(笑)。

またまた話が脱線してしまったが、要するに、自給自足の社会というのは、実現がきわめて難しい。毛皮を着て棍棒を持った原始人の社会でさえ、必ず自然発生的に貿易が始まった。ましてや、フクザツな現代社会では、なおさら難しいのは言うまでもない。
 
でも、「日月神示」では、このような自給自足の社会が、近い将来に実現するとされている。日月神示を降ろした岡本天明の師匠である、大本教の教祖・出口王仁三郎(でぐち・おにさぶろう)も、近い将来に実現すると断言していた。

外国では、天産自給は難しい。それは、外国には気候風土その他の制約により、現地で手に入らないものが多いからだ。でも、神の国である日本には、なんでもそろっているから天産自給は可能なのだという。

確かに、古代中国では、気候風土に恵まれた豊かな地域を「魚米の郷」と言ってたが、日本ほど魚や米が取れるところは他にない。しかも、上に書いた「塩」のような、手に入らない生活必需品は特に見当たらない。そういう意味では、もともと日本ほど豊かなところはないと言っていいだろう。 

そこでネックになるのは、大都市の規模だ。言うまでもなく、東京や大阪で「天産自給」はありえない。この巨大な都市人口を、どうするのか。これに対する出口王仁三郎のご託宣は、明快だ。「王仁は、都市は十万になると言うとるのやで」。・・・つまり、現代のような巨大都市はなくなり、小さな都市になってしまうというのだ。どうやって、こんなに人口を減らすのか。それについては、天変地異や大戦争で、人口が「3分どころか、2分も残らん」くらいになるのだという。

もちろん、そんな人口激減など起きてもらっては困るのだが(笑)、それが近い将来か、遠い将来かは別にして、方向性として考えておくのも悪くないと思われる。