谷風便り

つれづれなるままに
よしなし事を、書きつづります

国立歴史民俗博物館 くらしの植物園へ「伝統の古典菊」を見に行きました

2013年12月22日 12時04分48秒 | Weblog

 平成25年12月22日(日)我が八千代、快晴です。
さて本題です。
 11月27日国立歴史民俗博物館くらしの植物園へ「伝統の古典菊」を見に行きました。


 入り口をはいると目の前に休憩所の建物があります。


 古典菊が展示されています。


 ここも展示場所です。


 温室の展示場所です。


 ここも別の温室の展示場所です。


 古典菊をアップで写しました。
 奥州菊愛国殿です。
 以下説明は、くらしの植物園作成の「伝統の古典菊」のパンフレットを参考に記載しています。
 奥州菊~「江戸時代の末ごろから、奥州八戸地方で盛んに栽培された大菊の系統です。」


 江戸菊八幡山です。
 江戸菊~「江戸時代初頭から育成されていましたが、現在に受け継がれる花形が成立したのは、江戸時代後期の文化・文政期とされています。」


 江戸菊雲雀の床です。


 嵯峨菊嵯峨の桃色です。
 嵯峨菊~「嵯峨天皇の時代に宮廷に植えられ、茶会や歌会に並べて鑑賞したのがはじまりとされています。」


 伊勢菊酔姫です。
 伊勢菊~「伊勢神宮の斎王や、彼女に仕える女房たちが京の都を懐かしんで取り寄せた嵯峨菊が基本になったといわれています。」


 伊勢菊高砂です。


 丁子菊白雲丸です。
 丁子菊~「江戸時代に盛んに栽培されていた菊で、外周に平弁の舌状花が伸び、中心の筒状花の花弁が大きく発達して盛り上がって咲きます。この盛り上がった形が、香料の丁子の花に似ていることから名づけられました。」


 肥後菊歴肥―7です。
 肥後菊~「宝暦年間(1751~1764)肥後藩主が文化政策の一つとして栽培を奨励したことに始まります。」


 肥後菊歴肥―8です。


 肥後菊歴肥―12です。


 素晴らしい菊たちでした。日本文化の一端を見た思いがします。

コメント
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