ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

タイムスリップした日

2015年01月27日 | えっせー
 テープを整理していたら、生後5カ月くらいから約一年以上にわたり
孫の可愛い泣き声やなんご(乳児が言葉にならない声を発する)など記録
したものが出てきた。ほとんど私が1人でしゃべっているが、はいはい
から、たっちして、歩けるようになり、やがてダンスらしいしぐさを
するまでだった。それには家族の声、その時代の電車の音など、臨場感
にあふれていた。私は懐かしくなって、手を止めてしばらく聞いてし
まったが、今聞くと自分の声も随分若々しかった。
 びっくししたのは、その頃習っていたウクレレを弾きながら子守歌を
唄っていたことだ。
※ヨーガレッスンの間に、孫と戯れて(あの頃はみんなレオタードだった)
  
 テープを聞いていたら、何だかその頃にタイムスリップしたような気分
になった。「ママは今保険所へダンスの主張レッスンです」とか、「今ス
タジオでヨーガのレッスン中です」「もうグランパがお昼に来るから、今日はこれでお終い」としゃべっていた。
 お手伝いさんの「奥さん、00はどうしますか?」などの声が入り、本当に懐かしくなり、あの頃の情景がまざまざと蘇った。
 孫が生まれた時には、娘は私のスタジオに勤務していて、毎日孫を連れてきたので、ベビーシッターを雇っていた。
 そのため内孫と変わらず、だんだん可愛らしく成長していく様子を見るのは、毎日とても幸せだった。その頃私はダンス教師で、ヨーガの指導の現役だったので、娘は「能里子先生」と呼ばせるつもりだったらしい。
 ※ ロンドン、バツキンガム宮殿
  
 私は孫に「先生」と呼ばれるのも、また「おばーちゃん」なと呼ばれるの
もとても嫌で「グランマ」と呼ばせることにした。
 同じ意味でも英語の方が良いと思ったからで、最近こそ増えてきたがその頃そう呼ぶ人はなかった。孫と二人で歩いていて「グランマ!」と呼ばれるとどこでも一斉に見られたけれど、ダンス教師は見られるのも仕事なので、一向に気にならなかった。彼女が中2の時、ロンドン、パリ、ローマと二人で旅行したが、あの時は憧れの国際急行列車のユーロスターに乗ったし、いつも二人で笑ってばかりいて、胸が痛くなるほど、懐かしく本当に楽しい
思い出だ。あれから月日はあっという間に流れ、私は高齢になつたけれど、気持ちは全く変わらない。それもまた私の悩みの一つだけれど…
 でも過去を色々と振り返ってみて、私は何と幸せな女だろうと、何だか
とても感謝した日だった。
 ※ パリ、ベルサイユ宮殿

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