ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

インドと私 7

2015年06月30日 | えっせー
 ☆ 求め、求めていたものが得られた
 毎日朝夕行われる瞑想の時間に出席できたのは、本当にラッキーでした。
瞑想の60分は始め足ばかり気になって、あまり良い精神状態にはなれま
せんでした。瞑想の最後を告げる先生の「オーム」と唱える声に、私はハッと
しました。時間の経過も、肉体感覚が全くなく、心の中がシーンとして
(もしかしたらこれが瞑想状態では)と思える精神感覚を掴めたのです。
それは確か3日目の早朝でした。上手に表現できないのですが、一瞬頭の
中が無になり、でも心だけが存在しているような・・・・そんな状態を生まれて
初めて体感し、(これが瞑想状態だ)と感じたとき、心の奥から込み上げて
くるような歓喜や感動は、一生忘れられないほど強烈でした。
※ 記念すべき日のガンジス河
 
(やっぱり聖地リシケシに来て良かった!)と、嬉しくて流れる涙に身を
まかせた私を、客観的なもう一人の自分がじっと見ていた・・・それは、いつも
真摯に求めていた瞑想状態を得た私に、今考えてみるともう一人の水面下の
自分(潜在意識)が、「今まで一所懸命にがんばったものね」と、きっと祝福
してくれたのかもしれないと、自己分析してます。
 私はヨーガを指導して10年近く、長年努力しひたすら求めても、どうしても
得られなかった瞑想の感覚を、その日にハッキリ体感できたのです。
 ※瞑想を体感できたメデティーションホール
 
 私はその後のヨーガアーサナをパスし、清らかな空気の、まだ明けやらぬガンジス
河や山が見えるベンチに、座り目を閉じました。
 すると、「やっぱり聖地リシケシに来てよかった!」と、瞑想を体験できた感動
喜び、また達成感と、幸福感などで舞い上がりたいような気持でした。
 ☆大きな気づき
 インドに来てからの経緯を、いろいろと思い起こすと、私は大変幸運なこと
に気がつきました。わざわざ聖地リシケシまで、瞑想を求めた旅でしたが、
リシケシに来られたのは、
 師事していた先生がツアーを企画し、それに参加したから…
もしもあの日に、宿泊予定の「シバナンダ」に宿泊できたとしたら…
私の気持ちを、二人の女性に打ち明けなかったとしたら…
彼女達が私と一諸に行動してくれなかったとしたら…
 あの茶店で日本人女性に会わなかったとしたら、などなど…
それらの偶然がいくつか重なったのが、大変幸運だったことに、改めて
気がつきました。もしもそれらの一つが欠けていても、多分実現できな
かったでしょう。わざわざこんなに遠い聖地リシケシまで来ても、求めて
いた瞑想は得られなかったに違いありません。
 我儘な私はいつも自分中心に考えるタイプで、言葉には出しませんでしたが
絶えず不平や不満があり、そのために、胃がキリキリと痛むことがしばしば
ありました。その時に改めて「見えない導き」を、私は強く感じたのです。
 ※初めて歩いて行った遠い橋 そこには物乞いが並んでいた
  
 
別に瞑想ができなくても、誰にも分からないし、ヨーガの指導はできるのです。
 大変不器用な割には、比較的カンや要領がよく、どちらかと言うと物事の表面
だけを捉え、あまり深く追求しない軽薄な私。
 それなのにこれほど真摯に「瞑想」を、何年間も求め続けたなんて…
何故なのかしら?しばらく考えていましたが、やがてそれを深く求め続けたのは
(私自身が精神的に向上するために、きっと神様が給えて下さった試練なのだ)
と、ハット気づきました。すると突然心の奥から感謝の気持ちが、溢れるように
湧き上がってきたのです。私の周りのすべての人間関係、環境、また今現在
インドの山奥の聖地リシケシにいる自分自身にも… 
 だんだん明るくなってきた周りが、荘厳で清浄で暖かく、キラキラ輝いている
ように感じ、その時空を超えた空間に、私はしばらく漂っていました。
 ※ 先生のお部屋でいつもご馳走になった
 








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