ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

 未だに残る悲劇の傷跡

2015年02月08日 | えっせー
 先日テレビで「アンネの日記」をやっていたが、私は感慨無量だった。
私が初めてヨーロッパへ行ったのはオランダで、「キューケンコフ公園」の
美しいチューリップ、またいろいろな花のあまりにも美しさに圧倒された。
 その二日後に「アンネ、フランク」がナチスの目を避けて、家族と隠れ
住んでいた家を見学した。アンネが、13歳から15歳までの、もっとも多感
な時代に、1歩も外に出られず、息を殺すように2年間そこにいたのはどんな
にか辛かっただろうと、私は気の毒で胸が潰れそうになった。
 その周りの風景は、教会の鐘の音と共に、今でもありありと思い出せる
ほど印象が強かったのは、決して忘れられないからだ。
 
 帰国してから、、又改めて「アンネの日記」を読んで、その感受性の
強さや明るさに感動した。また、ビクトール・フランクルの「夜と霧」を
読んで、強制収容所の悲惨さの中にも、希望があったことを知り、人の心
の強さや、奥深さにも大変感動した。
 その戦争では、ナチスによってユダヤ人が600万人も殺されたが、その
うち150万人は子供だったそうだが、戦争は何と残虐なものだろう。
 強制収容所の責任者で、戦犯「アドルフ・アイヒマン」は、隠れていた
が見つけ出され、裁判を受けてから処刑された。
 その裁判をフェアーではないと言った、自らも強制収容所から脱出した
経験のある、ドイツ系ユダヤ人女性がいた。

 それは「ハンナ・アレント」と言う女性で、その裁判を批判した
レポートを発表したり、、書籍を出版したりし、世の中を騒然とさせ
たようだ。でも、世間がどんなに反論したり、攻撃されたりしても、
絶対に自分の説を曲げなかった、大変強く勇気のある女性だった。
 「ハンナ・アレント」は映画にもなったそうだが、70年過ぎても、まだ
人々の悲しい記録として残っている。
 今現在も世界ではさまざまな恐ろしい事が起きている。
いずれにしても…戦争は絶対に避けたいと痛感しているのは、誰でも
同じではないかと思う。



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