明日は私のスタジオで、編集者達を中心に「お花見パーティ」を開くことに
なり、そのために昨日からピクルスを漬け込んだ。
昼食後にニンニクをむいていたが、二球だとちょっと大変で、それを見て夫が
手伝ってくれた。彼はリタイアしてから、男の料理教室に三年間通ったし、器用
なので刻みものは私より上手だ。
イタリー風のトマトソースをつくるためには、大きな玉ねぎを二個も、みじん
切りにしなければならないが、それは目がとても痛くいつも大泣きする。
そのため、皮を剥いて二つに切りにし、冷凍庫に20分位入れると、ほとんど
涙が出ない。その玉ねぎもニンニクも、夫に全部みじん切りにしてもらった。
ニンニクをオリーブオイルでしばらく炒め、そこに沢山の玉ねぎを入れて
香りつけにバターを落とし、色が変わるまで炒めてからトマトの水煮缶を二つ加え
煮込みながら、気が付いたらもう二時。
その後二人でコーヒーを飲みながら、何となく昔話になり、運命の不思議さ
について話した。
大家族の長男で商家、私の理想のタイプははキチンと決まっていたのに、あまり
にも環境が違う夫を好きになり、自分で選んで結婚した。
健康な私だったのに、精神科と小児科以外はすべて通ったほどストレスフルな
毎日だったが、いつの間にかだんだん順応していった。
でも、もしも私に不満がなかったら、私はソシアルダンス教師にならず、ずっと
商家の妻でいただろう。商売は嫌いではなかったし、大家族の軋轢の中でも、それ
ほど辛い思いはしなかったが、絶えず本当の自分を抑圧していた。
それがダンス教師になってから、私の人生は大きく変わったのは、今まで抑圧
していた反動のためかもしれない。向上心は人一倍強く、自分には激しいので
海外へも度々行って、次から次にといろいろと勉強した。
それらのすべて容認してくれた大きな夫、そして今…
ソースがグツグツ煮えている音は幸せを感じる、何と穏やかで素敵な時間かしら
と思ったら、突然フワーッとした「柔らかい幸福の霧」に包まれたような気がした。
なり、そのために昨日からピクルスを漬け込んだ。
昼食後にニンニクをむいていたが、二球だとちょっと大変で、それを見て夫が
手伝ってくれた。彼はリタイアしてから、男の料理教室に三年間通ったし、器用
なので刻みものは私より上手だ。
イタリー風のトマトソースをつくるためには、大きな玉ねぎを二個も、みじん
切りにしなければならないが、それは目がとても痛くいつも大泣きする。
そのため、皮を剥いて二つに切りにし、冷凍庫に20分位入れると、ほとんど
涙が出ない。その玉ねぎもニンニクも、夫に全部みじん切りにしてもらった。
ニンニクをオリーブオイルでしばらく炒め、そこに沢山の玉ねぎを入れて
香りつけにバターを落とし、色が変わるまで炒めてからトマトの水煮缶を二つ加え
煮込みながら、気が付いたらもう二時。
その後二人でコーヒーを飲みながら、何となく昔話になり、運命の不思議さ
について話した。
大家族の長男で商家、私の理想のタイプははキチンと決まっていたのに、あまり
にも環境が違う夫を好きになり、自分で選んで結婚した。
健康な私だったのに、精神科と小児科以外はすべて通ったほどストレスフルな
毎日だったが、いつの間にかだんだん順応していった。
でも、もしも私に不満がなかったら、私はソシアルダンス教師にならず、ずっと
商家の妻でいただろう。商売は嫌いではなかったし、大家族の軋轢の中でも、それ
ほど辛い思いはしなかったが、絶えず本当の自分を抑圧していた。
それがダンス教師になってから、私の人生は大きく変わったのは、今まで抑圧
していた反動のためかもしれない。向上心は人一倍強く、自分には激しいので
海外へも度々行って、次から次にといろいろと勉強した。
それらのすべて容認してくれた大きな夫、そして今…
ソースがグツグツ煮えている音は幸せを感じる、何と穏やかで素敵な時間かしら
と思ったら、突然フワーッとした「柔らかい幸福の霧」に包まれたような気がした。
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