ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

インドヨーガの旅 2

2008年11月26日 | Weblog
  ☆ すべてが変わった
 リシケシは車が多く、他の交通手段がないため、狭い道には三輪車の
タクシーが多く、また人もたくさん歩いていたが、狭い道を横断するのも、車が
多く恐ろしい。わたしがリシケシで修行したときには、街に行くためには乗合馬車だったが、あの頃は何とのどかだったのだろう。
 (瞑想を求めてはるばるこんな遠いリシケシまで来て、残る日にちはだんだん
少なくなる。わたしは一体どうしたらよいのだろう?)焦燥感と情けなさに苛ま
されて、わたしは一人ガンジス河のほとりで涙を流した。
 そんな昔を思い出しながら、ガンジス河を見たが、昔はもっと透明な清流
だった。昔のように、ほっと和むような田舎町ののどかさは、まったく感じられ
なかった。時の流れでだんだん環境が変化していくのは否めないのだろう。
 その日の夕方はホテルに泊まり、シバナンダ・アシュラムの「ウーマン、ヨーガ」に参加したが、同じポーズを何度もくり返す方法で、わたしにはかなり
きつかったのでときどき休んだ。指導していたのは日本人女性だった。
 何年か以前から、スポーツジムでヨガ・クラスに参加し、今までのやり方とは
違ってかなりハードだと感じていたが、本場のインドでもアーサナ(ポーズ)の
やり方まで、大きく変化していることを実感する。
 
 わたしが習ったヨーガの基本は、「呼吸法、瞑想、アーサナ」「ポーズとポーズの間に必ずリラックス」を入れる。またポーズは「前屈、後ろ反り、ねじり、倒立
バランス」が基本だったが、現在は同じポーズをひっこいほど続けるのが主流らし
いが、それでは同じ部分の刺激だけではないだろうかと、疑問を感じた。
 わたしの指導していたのは、もしかしたら古色蒼然としたヨーガだったのかもしれない。次の日の朝には、ヨガニケタン・アシュラムのゲストハウスに移った。
 わたしが泊まった林の中に点在していた宿舎はすでになく、そこには白い
建物が沢山建っていた。ゲストハウスは、山を降りた道路の反対側で、ガンジス河の面して建っていた。アシュラムの中で宿泊できると思っていたのに……
 ガッカリしたが仕方がない。その日は瞑想に参加したが、メデテーションホールは昔とまったく変わらないが、昔指導者は白いクルタを着ていたが、若い男性の指導者はトレパン姿だった。着ているものだけではなく、やはり瞑想のやり方も、昔とはまったく違うことを感じる。すべてが大きく変化しているのだ。
 またヨーガ・クラスにも参加したが、シバナンダ・アシュラムとほとんど同じような指導法だった。わたしが修行したときには、白人男性が多かったが、現在は日本人が多く、白人男女はごく少数だった。わたしはそのため、二度参加しただけで止めたが、彼女たちは嬉々として、毎日参加していた。わたしとはゼネーレーションも違うし、無論キャリアの差もあるのだろう。

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