ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

心の中を風が吹いて

2007年01月24日 | 健康
   ☆ 会話ではなかった
 久しぶりに親友に会った。彼女は糖尿病や腰痛などいろいろとあり
あまり外出できなくなり、会うのは半年振りだった。
 同じさそり座の生まれのわたし達は、毎年その頃には二人で都内のホテルに
泊まったり、旅行をしたりが例年の行事だった。
 中学二年からの友人だったが、彼女は独身のため自由がきいて、わたしが
海外での勉強のときにも、旅行にも国内旅行も数知れないほど一緒に行った。
 そして決して誰にも話せないことを、いつも聴いてくれるもっとも気の
おけなくやさしい人だった。
 ところが去年の10月に旅行に行って以来、急に体調が悪くなり、それから
あまり会っていない。2・3年前からその微妙なずれには気がついていたが
でもやはり病気のためだろうか、昨日は一緒に住んでいて折り合いの悪い
母親の愚痴や友人の悪口ばかりで、わたしが口を挟む余地は全然なかった。
 黙ってあいずちを打ちながら、わたしは(彼女はスッカリ変わった、もう
これから以前のように話すことはできない)と、とても寂しかった。

 時の流れとともに人は変わっていき、年齢とともに頭が固くなるが、彼女は
「性格的に可愛くない典型」のようなタイプだったが、なぜかわたしとは
とてもウマが合って長年交流してきた。久しぶりに親友に会うのを楽しみに
していたわたしは、心の中を冷たい風が吹きぬけていくような淋しさを感じた。
 次の予定があるためいつもより早く別れたが、そんな自分の気持ちを持て
あましすぐ地下鉄に乗る気にはなれず、日比谷公園を通り抜けることにした。
 公園は人影がまばらだったが、見慣れている風景がわたしにはやさしく感じ
られ、いつもよりゆっくり歩いた。そして親友とわたしとを比べたらと考え
わたし達はあまりにも違う人生を歩んできたことに改めて気がついた。
 彼女は決して人を頼らない人で、どんなこともすべてを一人で対応して
生きてきたが、わたしは事ある度にいつも誰かが現れ、わたしをサポート
してくれた。やりたいことは我慢できずほとんど実現したし、「ちょっと神様」
で包容力のある夫と、子供達との交流など家庭的にもかなり恵まれ
ている。 そしてこの年齢にして第二の青春をしているし、健康で自由で
好きなことがみんな仕事になった。
 「それなのに、あなたは欲張り過ぎよ」と、一生懸命に自分に言い聞かせ
たのに、今になってもまだ心の中を去来する言いようのない淋しさを
どうしたらよいのだろう。でもあまり我が侭を言うと、もしかして神様に
叱られるかもしれない。
                           能里子


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