ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

お母様方へのアドバイス 6回

2007年01月18日 | お母様方へのアドバイス
 昨日はあの大きな被害を出した阪神淡路大震災の12回目の記念日でした。
朝からテレビでその当時の追悼や、災害にあわれた方の現在の生活や、また
さまざまな追悼の催しなどを一日中放映されていました。
 天災はいつどこで起こるかまったくわかりません。 あの震災で一瞬に
して6000人以上の尊い命が失われました。それによって大勢の方の
幸福だった生活が一変したのは、恐ろしいだけではなく、大変悲しいこと
ですね。わたしも亡くなった方のご冥福を心からお祈り申し上げます。
 それにしても平凡でも、家族で一緒に暮らせることは何と幸せで有り難い
ことでしょうか。
  ☆ 一生忘れられないこと
 これは子育てをしていたわたしが三十三歳のことですが、ある日義姉が
子供を三人残して、突然亡くなりました。原因はある手術のための麻酔
注射によるショックでしたが、そのときの兄の落嘆や、子供達が可愛そう
仕方がありませんでしたが、母が同居していたのでまだ救われましたが。
 わたしはその頃大家族と同居していましたので、そのストレスのためか
絶えず頭痛がして、毎日痛み止めを飲んでいました。
 後で知ったことは、義姉の死は病院にも行かず買薬を常用していたために
心臓に負担がかかっていて、それを医師に告げずに麻酔をしたため、心臓に
衝撃を与えた突然死でした。
 そのときにわたしは「薬は恐ろしいものだ」大変驚きました。
その頃我が家には小学生の長女と幼稚園児の長男がいましたが、その悲しい
出来事があってから「子供達が成人するまで、絶対に生きていなければならない
子供達にあんな悲しい思いはさせたくない」と感じ、頭痛薬を飲まないで我慢
するようにしました。

 その悲しみがまだ癒えない半月後ぐらいでしょうか、息子の仲良しが交通
事故で亡くなったのです。あのときも悲しくて涙が枯れるほど泣きました。
 その頃は「交通戦争」と言われるほど、交通事故で亡くなる方が多い時代でし
たが、ある日夜中にふと目覚めたときに、わたしはしみじみ感じました。
「何の事故にも巻き込まれずに、こうして親子四人一緒に過ごせるのは
何と有難いことだろう」と。二人の死によってわたしは「大きな気づき」
を得たのです。その日は今でも決して忘れられないほど大きな感動でした。
 そしてそれからはごく当たり前で、ふつうのことが、とても感謝できる
ようになったのです。わたしは「勉強なんてできなくてもいい、健康で元気で
育ってくれれば」と、いつの間にか思えるようになりました。
 ☆ 自分が嫌だったことを子供達にしなかった
 もしかしてその原因の一つが、わたしが育つときに義母は今で言う教育ママ
で、いつも勉強しなさいと、言われ続けていたため、それがとても子ども心に
とても辛かったからでしょう。ですから子供達には「勉強しなさい」とは、
ほとんど言いませんでした。只前回ご紹介した六か条についてだけ、大変
厳しくしつけました。また三歳違いの子供達が受験する頃は、わたしが
もっとも忙しい時代でしたので、ある意味では教育不熱心の母親だった
のでしょう。

 でもお陰さまで二人とも高校も大学も自分達で選び、ストレートに四大を
卒業して巣立っていきました。今では中年になった娘と息子ですが、わたしは
「子ども達がいてくれるだけで幸せ」と、いつも感謝しています。
 子供達にはそれぞれに個性があるので、「一般的な教育のものさし」をピタリ
と当てるのはいかがでしょうか?子供は親の所有物ではなく一人の人格です。
 そう考えて接するようにすると、「00すべき」「00しなければならない」
という価値観などが、少しだけフレキシブルになれることでしょう。
 先日も有名人のお子さんが交通事故で亡くなりましたが、本当にお気の毒だと
思いますし、ご両親はどんなにか嘆き悲しんでいらっしゃるいことでしょう。
 そう考えれば子供が何の事故にも巻き込まれず、元気で成長してくれる
だけで、当然なことですが大変「有り難く幸せなことだ」と感じられるかも
しれません。頭脳が優秀で一流大学を出た人が、必ずしも順風満帆の人生を
歩んでいいるわけではありません。子供達の個性を大切にして、できるだけ
のびのびと育てたいですね。
                            能里子

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