昨日はあの大きな被害を出した阪神淡路大震災の12回目の記念日でした。
朝からテレビでその当時の追悼や、災害にあわれた方の現在の生活や、また
さまざまな追悼の催しなどを一日中放映されていました。
天災はいつどこで起こるかまったくわかりません。 あの震災で一瞬に
して6000人以上の尊い命が失われました。それによって大勢の方の
幸福だった生活が一変したのは、恐ろしいだけではなく、大変悲しいこと
ですね。わたしも亡くなった方のご冥福を心からお祈り申し上げます。
それにしても平凡でも、家族で一緒に暮らせることは何と幸せで有り難い
ことでしょうか。
☆ 一生忘れられないこと
これは子育てをしていたわたしが三十三歳のことですが、ある日義姉が
子供を三人残して、突然亡くなりました。原因はある手術のための麻酔
注射によるショックでしたが、そのときの兄の落嘆や、子供達が可愛そう
仕方がありませんでしたが、母が同居していたのでまだ救われましたが。
わたしはその頃大家族と同居していましたので、そのストレスのためか
絶えず頭痛がして、毎日痛み止めを飲んでいました。
後で知ったことは、義姉の死は病院にも行かず買薬を常用していたために
心臓に負担がかかっていて、それを医師に告げずに麻酔をしたため、心臓に
衝撃を与えた突然死でした。
そのときにわたしは「薬は恐ろしいものだ」大変驚きました。
その頃我が家には小学生の長女と幼稚園児の長男がいましたが、その悲しい
出来事があってから「子供達が成人するまで、絶対に生きていなければならない
子供達にあんな悲しい思いはさせたくない」と感じ、頭痛薬を飲まないで我慢
するようにしました。
その悲しみがまだ癒えない半月後ぐらいでしょうか、息子の仲良しが交通
事故で亡くなったのです。あのときも悲しくて涙が枯れるほど泣きました。
その頃は「交通戦争」と言われるほど、交通事故で亡くなる方が多い時代でし
たが、ある日夜中にふと目覚めたときに、わたしはしみじみ感じました。
「何の事故にも巻き込まれずに、こうして親子四人一緒に過ごせるのは
何と有難いことだろう」と。二人の死によってわたしは「大きな気づき」
を得たのです。その日は今でも決して忘れられないほど大きな感動でした。
そしてそれからはごく当たり前で、ふつうのことが、とても感謝できる
ようになったのです。わたしは「勉強なんてできなくてもいい、健康で元気で
育ってくれれば」と、いつの間にか思えるようになりました。
☆ 自分が嫌だったことを子供達にしなかった
もしかしてその原因の一つが、わたしが育つときに義母は今で言う教育ママ
で、いつも勉強しなさいと、言われ続けていたため、それがとても子ども心に
とても辛かったからでしょう。ですから子供達には「勉強しなさい」とは、
ほとんど言いませんでした。只前回ご紹介した六か条についてだけ、大変
厳しくしつけました。また三歳違いの子供達が受験する頃は、わたしが
もっとも忙しい時代でしたので、ある意味では教育不熱心の母親だった
のでしょう。
でもお陰さまで二人とも高校も大学も自分達で選び、ストレートに四大を
卒業して巣立っていきました。今では中年になった娘と息子ですが、わたしは
「子ども達がいてくれるだけで幸せ」と、いつも感謝しています。
子供達にはそれぞれに個性があるので、「一般的な教育のものさし」をピタリ
と当てるのはいかがでしょうか?子供は親の所有物ではなく一人の人格です。
そう考えて接するようにすると、「00すべき」「00しなければならない」
という価値観などが、少しだけフレキシブルになれることでしょう。
先日も有名人のお子さんが交通事故で亡くなりましたが、本当にお気の毒だと
思いますし、ご両親はどんなにか嘆き悲しんでいらっしゃるいことでしょう。
そう考えれば子供が何の事故にも巻き込まれず、元気で成長してくれる
だけで、当然なことですが大変「有り難く幸せなことだ」と感じられるかも
しれません。頭脳が優秀で一流大学を出た人が、必ずしも順風満帆の人生を
歩んでいいるわけではありません。子供達の個性を大切にして、できるだけ
のびのびと育てたいですね。
能里子
朝からテレビでその当時の追悼や、災害にあわれた方の現在の生活や、また
さまざまな追悼の催しなどを一日中放映されていました。
天災はいつどこで起こるかまったくわかりません。 あの震災で一瞬に
して6000人以上の尊い命が失われました。それによって大勢の方の
幸福だった生活が一変したのは、恐ろしいだけではなく、大変悲しいこと
ですね。わたしも亡くなった方のご冥福を心からお祈り申し上げます。
それにしても平凡でも、家族で一緒に暮らせることは何と幸せで有り難い
ことでしょうか。
☆ 一生忘れられないこと
これは子育てをしていたわたしが三十三歳のことですが、ある日義姉が
子供を三人残して、突然亡くなりました。原因はある手術のための麻酔
注射によるショックでしたが、そのときの兄の落嘆や、子供達が可愛そう
仕方がありませんでしたが、母が同居していたのでまだ救われましたが。
わたしはその頃大家族と同居していましたので、そのストレスのためか
絶えず頭痛がして、毎日痛み止めを飲んでいました。
後で知ったことは、義姉の死は病院にも行かず買薬を常用していたために
心臓に負担がかかっていて、それを医師に告げずに麻酔をしたため、心臓に
衝撃を与えた突然死でした。
そのときにわたしは「薬は恐ろしいものだ」大変驚きました。
その頃我が家には小学生の長女と幼稚園児の長男がいましたが、その悲しい
出来事があってから「子供達が成人するまで、絶対に生きていなければならない
子供達にあんな悲しい思いはさせたくない」と感じ、頭痛薬を飲まないで我慢
するようにしました。
その悲しみがまだ癒えない半月後ぐらいでしょうか、息子の仲良しが交通
事故で亡くなったのです。あのときも悲しくて涙が枯れるほど泣きました。
その頃は「交通戦争」と言われるほど、交通事故で亡くなる方が多い時代でし
たが、ある日夜中にふと目覚めたときに、わたしはしみじみ感じました。
「何の事故にも巻き込まれずに、こうして親子四人一緒に過ごせるのは
何と有難いことだろう」と。二人の死によってわたしは「大きな気づき」
を得たのです。その日は今でも決して忘れられないほど大きな感動でした。
そしてそれからはごく当たり前で、ふつうのことが、とても感謝できる
ようになったのです。わたしは「勉強なんてできなくてもいい、健康で元気で
育ってくれれば」と、いつの間にか思えるようになりました。
☆ 自分が嫌だったことを子供達にしなかった
もしかしてその原因の一つが、わたしが育つときに義母は今で言う教育ママ
で、いつも勉強しなさいと、言われ続けていたため、それがとても子ども心に
とても辛かったからでしょう。ですから子供達には「勉強しなさい」とは、
ほとんど言いませんでした。只前回ご紹介した六か条についてだけ、大変
厳しくしつけました。また三歳違いの子供達が受験する頃は、わたしが
もっとも忙しい時代でしたので、ある意味では教育不熱心の母親だった
のでしょう。
でもお陰さまで二人とも高校も大学も自分達で選び、ストレートに四大を
卒業して巣立っていきました。今では中年になった娘と息子ですが、わたしは
「子ども達がいてくれるだけで幸せ」と、いつも感謝しています。
子供達にはそれぞれに個性があるので、「一般的な教育のものさし」をピタリ
と当てるのはいかがでしょうか?子供は親の所有物ではなく一人の人格です。
そう考えて接するようにすると、「00すべき」「00しなければならない」
という価値観などが、少しだけフレキシブルになれることでしょう。
先日も有名人のお子さんが交通事故で亡くなりましたが、本当にお気の毒だと
思いますし、ご両親はどんなにか嘆き悲しんでいらっしゃるいことでしょう。
そう考えれば子供が何の事故にも巻き込まれず、元気で成長してくれる
だけで、当然なことですが大変「有り難く幸せなことだ」と感じられるかも
しれません。頭脳が優秀で一流大学を出た人が、必ずしも順風満帆の人生を
歩んでいいるわけではありません。子供達の個性を大切にして、できるだけ
のびのびと育てたいですね。
能里子