ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

他人様は羨ましいと言ってくれるけど

2007年01月07日 | Weblog

   ☆ 音楽からソシアルダンスに
 わたしがソシアルダンスを初めて習ったのは、中学の卒業式の日からでした。
その頃音楽に芽生えて、今まで聞いたことがない、アルゼンチンタンゴや
ジャズにとても心惹かれ、またそんな音楽から社交ダンスにも憧れました。
 春休みに親しい友人達を先導して、社交ダンス教習所に行きましたが
今思うと随分大胆ですが、その頃から興味を持つとすぐ行動しなければ
我慢できませんでした。私立でしたのでそのまま進学できるので、十分な
時間があったからです。でももしも学校に知れたら、退学になるかも知れないと、
高校の入学式の前に心ならず諦めたと友人には言いましたが、実は一人だけ
こっそり通い、高校時代にはかなり踊れるようになっていたのです。
 二十歳になったらダンス教師の試験を受けられるからと、薦められたのですが
そんな気はなく、お小使いも続かずに間もなく止めました。
   ☆それからいろいろあって
 結婚して子供が少し成長した二十代に、夫とともに6年間教習所に通い
わたしはプロになりました。でも仕事になると決して楽しんでばかりはい
られません。ダンス教師になってみて、わたし自身にセンスがないことや
その環境などから「これは一生できる仕事ではない」とすぐに感じました。
 でも「人にものを教えることの素晴しさや、楽しさを」を経験してから
指導業こそわたしの適性ではないかと、ハッキリ気がついたのです。
 そして自分の仕事を.模索していて、ヨーガに出会ったときに、その精神性に
惹かれ(これは仕事にしたい)と閃いて、それに邁進しました。
 そこで催眠心理学に出会ったのがきっかけで、自分自身を知りたいために
心理学にのめりこみ、やがてカウンセラーになりました。
 また効果的に指導をするためには、「いやし」が必要と感じたことから
ヒーリング法を研鑽し、やがて「レイキ・ティチャー」となりました。
 それらもカウンセリングルームや、スタジオのヨーガのレッスンに取り入れ
て実際に役立てています。
 また若い頃から書くことは大好きでしたので、ときどき同人誌に投稿して
楽しんでいたのですが、それもいつの間にか仕事になり、気がついたらすべて
趣味が仕事になっていたのです。他人は「好きなことが全部仕事になるなんて
羨ましいね」と言ってくれるのですが、でも現実にはなかなかそうはいきません。
 でもこれだけは事実ですが、仕事も全部大好きですし、何よりも「人間大好き
で、人様のために役立つのが嬉しいこと」がすべての要因かもしれません。
   ☆ もっとのんびりしたいのに
 経営者、物書き、カウンセラー、ヨーガ指導(ダンスを教えるのは大分以前に
辞めましたが)などで、ときには講演も入ります。
 つまり趣味がすべて仕事になったため、心から楽しめるものがないので
 大分以前フラダンスを教えていた頃習ったウクレレを、もう一度習って
歌も唄いたいと思いました。それは友人に誘われて聴きに行った、ハワイアン
バンドの演奏がきっかけでした。そして今新しいウクレレは今手元にあるの
ですがまた走り出したわたしはいつになったら習えるでしょう。
 自分に次から次へと課題を与えて、行動が先走る自分に、本当に我ながら
呆れたり戸惑ったりしている毎日です。年齢なりにもっとのんびりしたいと
思うのですが、そんなわたしはきっと見えない力に導かれているというか、
押されているというのか、自分でもよくわからないのです。
 それにしても同世代の悠々自適の友人達が、とても羨ましいわたしです。
                           能里子

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