竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

スペイン巡礼 その23 雨中の一人旅

2016-07-22 18:20:30 | スペイン巡礼

6月16日 オセベイロからトリアカステラ

友人は朝になって、サリアの街に2日泊まって明日私が着くのを待ってまた一緒に歩く、と言いだしました。朝になると痛みが取れるのです。でも4キロも歩くと痛みが出ます。彼が朝から歩くことは荷物を次ぎの宿に送ると言うこと、痛くなれば引き返すと言いますが、荷物は先の宿に行ったまま、またタクシーを使うことになります。タクシー料金は50キロで50ユーロと破格に安いものの、もったいなさすぎます。明日サリアに着いたら無理をしないように説得します。彼の奥さんともメールが出来るようになったので彼女からも説得してもらいます。

今日も雨の中スタートです。友人をタクシーに乗せて歩き始めました。

雨は激しくなり、山道を下るのは危険を感じたので自動車道を歩きました。今夜泊まるトリアカステラまでこの道は続きます。

スタート地点は海抜1340メートル寒いわけです。単純な道を5時間ひたすら歩いて21キロ先のトリアカステラに昼頃つきました。ずっと10メートル先しか見えない道を歩いたので、宿に着いてほっとしました。

昨日山登りを始める少し前に観光バスから大勢の人が下りて歩き始めました。私達は極端に遅く歩いていたので追いつけませんでしたがその後どうなったのでしょうか。雨とひどい山登り、どこかでまたバスに乗ったでしょうか。また3輪の手こぎ車椅子や電動車椅子6台に介護者数人のグループもありました。きっとあそこでは自動車を利用したでしょう。

これはアーティチョークですね。

今朝もタクシーが往復走りまわっていました。友人を送ったタクシーも帰りにクラクションを鳴らして帰って行きました。この山越えは雨の中誰にとっても大変でした。霧の中の道を撮りたくても歩くのに懸命でした。

夕方小さな教会のミサに出ました。ほとんど巡礼で20人ほどいました。聖体拝領を受けない人が数人、でも最後に巡礼への祝福がありました。カトリック教会のお世話で巡礼がなりたっています。お礼の意味でミサに参加しわずかな寄付をしています。


スペイン巡礼 その22 雨の中きつい山登り

2016-07-21 19:54:26 | スペイン巡礼

6月15日ビラフランカを出てオセベイロに向いました。友達は荷物をオセベイロの宿に送っているので軽いバックバックだけ、30キロの長い道で最後に急登があるけれど荷物が軽いから大丈夫と思っていました。でも4時間ほど歩いてまた足が痛くなったのでタクシーを呼んで彼だけ次の宿に送りました。

そのあと雨が激しくなり急登が始またりました。登ること3時間やっと宿に着いて彼に再会しました。彼と今後のことを相談しました。一晩寝ると痛みは引いてもしばらく歩くと痛みが出るのではもう歩く旅は無理、近くの街までタクシーでそこからバスで最終目的地サンチアゴに行く、そこに8日間泊まって毎日写生をしたり文章を書いたり有名なミサに出る、7日目に私が行くから泊まる宿を決めておく、そういうことになりました。

私達の巡礼は途中をカットした巡礼なのでどうにでもなります。ただ私は病気のこともあって毎日走るか歩くかしなければなりません。だから歩きます。一人で歩くのは慣れています。むしろ人と歩くのに慣れていないのでとてもいい勉強になりました。彼は本当に魅力的な人、こんな人に会ったことがありません。短期間でも一緒に歩けたことは幸せでした。

ここの宿で日本人の60代の夫婦、60代の一人旅の女性、30代の看護士の女性に出会いました。これからもいろいろな人と出会います。それが旅の面白さです。雨の振り出す前の写真です。


スペイン巡礼 その21 再び歩き始める。

2016-07-20 17:35:12 | スペイン巡礼

6月14日 ポンフェラーダからビラフランカ・デル・ビエルゾ

ポンフェラーダを出て巡礼路を進みます。心配なのは昨夜ホステルに泊まったためアルベルゲからその晩泊まるアルベルゲへの荷物の配送を利用できないことです。途中から彼の荷物の一部を私が背負ってなんとかビラフランカまでたどり着けました。ゆっくりでも歩く気持ちの良さは格別です。

今日は大変でしたが明日からは楽になるでしょう。田舎に来ると空き家や廃屋が目立ちます。教会のミサも高齢者が目立ちます。田舎は日本と似たり寄ったりですね。

ビラフランカは坂の多い街です。夕方ミサに出るつもりで宿から街に出ました。教会は小さい街なのに幾つもあります。でもいくら立派な教会でも高齢者の多い街では使えません。人に聞いてもなかなか分からずお腹がすいて諦めて夕食をとることにしました。

この地の名物はタコ料理とかでレストランで注文しました。出てきたのはタコとジャガイモの煮付け、名物にうまいものなし、そんなところです。

明日からはバルでの食事にも飽きたので、できるだけ素材を買って食べることにしました。オレンジ2個りんご1個バン1きんチーズ一箱ソーセージで3ユーロ半、日本より物価が安いですね。バルでは飲み物とミックスサラダを注文して持参のものを食べることにします。友人はサンチアゴまでそれを貫くと言っています。彼はかなり贅沢な人なのでどうなりますか。

彼は独立自尊の人ですが行動面で問題ありです。いつもの海外旅行では、奥さんが英語がペラペラでとても賢いしっかりした人なのですっかりお任せになってしまったのでしょう。二人はとてもいい取り合わせのようです。行動面を度外視すれば彼は善良以上、カトリック的な自ら人に与える人、その点自らを省みて内心忸怩たるものがあります。いい勉強をしています。ロバを連れてテント暮らしで巡礼する人もいます。多いのは自転車の巡礼、すごいスピードで走って行きます。

最後に教会でミサに出ることが出来ました。



スペイン巡礼 その20 聖堂騎士団 ポンフェラーダ

2016-07-19 16:08:00 | スペイン巡礼

6月13日 アストルガからポンフェラーダ

バスに乗って旅をすれば私は運動不足になります。どこかでジョギングをしなければなりません。時々走っている地元の人に会いますから私もそうすればいい。私の靴はスニーカーに近い物なのでちょうどいいでしょう。早く宿に着くのですぐ走ればいい。これもまた楽しみです。

私が走るのにこだわるのは糖尿病があるから。23年前糖尿病と診断され、以来運動療法として歩くことから始め、間もなく走り始めました。フルマラソン参加40回以上、今年も3月に参加、10月にも参加の予定です。走るとつい食べ過ぎになる傾向あり、今度の毎日せっせと歩く巡礼を楽しみにしていたのです。歩くのが駄目なら走ればいい。もともと食いしん坊です。食べるために走るようなものですね。

6月13日朝からバスに乗ってポンフェラーダに来ました。宿は初めてホステルに泊まりました。二人部屋で35ユーロ、いつもの倍近くしますが彼の希望なので泊まることにしました。

実は昨日のアストルガのカテドラルでのミサの時、お祭りと同時に行われたので人がいっぱいになり、私たちは後ろの方に立っていました。すると席についていた人達が、詰めて私たちの席を開けてくれました。

その時友達はそばの低い石に腰かけていた女性に席を譲ろうとしました。幸いもう少し詰めてもらって、その女性も席に着くことが出来ました。ミサの後外に出て宿に戻ってみると彼は自分のバックだと思って、その女性のバッグを持ってきたらしいのです。すぐ教会に戻ったけれど女性はいませんでした。でも今朝バスに乗るために街に行ったらその女性に偶然出会ってバッグを返すことが出来ました。パスポートその他大切なものが入っているバックだったようです。その女性が、アルベルゲではなくちょっと高いけれどホステルに泊まっていると知って、ホステルに泊まってみようと思ったようです。

まだ昼前なので私はジョギングすることにしました。

この街の中心に城があります。バシリカや市庁舎はその回りにあります。彼を部屋に残して走り出しました。川を渡ると城や教会があり、それを抜けて走ると、すぐ山が迫って来ます。そこは巡礼路、でも逆から進むとすぐ分からなくなります。

宿に戻って昼食に出ると彼が明日から歩きたいと言い出しました。足はもう大丈夫、こんな風にバスやホステルを使っていたら友達が出来ない、それでは取材も出来ないと言うのです。足さえOKなら問題なし、明日から歩くことになりました。

宿に戻って昼寝をしてお城を見に行きました。この城は聖堂騎士団の城です。第一次十字軍でエルサレムを守り巡礼を保護するために結成された聖堂騎士団は後に大変な財力と金融力を持つにいたりました。

騎士団の財産と金融力をフランス国王がねらって、教皇庁の助力を得て騎士団は解体させられました。さまざまな伝説が生まれた聖堂騎士団(テンプラーズ)です。この城には素晴らしい書庫があり、中世の写本が展示されていました。写真も撮って良かったので何まいも撮りました。

中世の修道士たちはこのような絵入りの写本を作って、ローマ以来のキリスト教の文書を後世に伝えていきました。蛮族の侵入や西ローマ帝国の滅亡と続いた暗黒時代を通じて修道院、特にアイルランドの修道院にこのような写本による古代キリスト教文化が存続し、8、9世紀に大陸が安定してカール大帝のカロリングルネッサンスが起こったとき、それを支えたのはアイルランドやイングランドの修道士文化だったのです。

今夜のミサは宿の近くの教会で行われました。オルガンや聖歌隊が聖歌を歌い、言葉のわからない私にはとても素晴らしいミサでした。参加者も100人、高齢者が多いもののさすが人口六万の都市です。


スペイン巡礼 その19 アストルガの祭り

2016-07-18 16:33:34 | スペイン巡礼

6月12日 アストルガにて

計画を変更します。彼を一人には出来ないので私も最後の100キロだけ歩くことにして、今日からのんびりバスを使いながらスケッチ旅行を楽しみます。歩くことにこだわるにはもったいない。贅沢旅行で始まったので最後まで贅沢に過ごします。彼はもちろん、私もスケッチが大好き、小学校時代の得意は音楽と絵でした。外国でゆっくり絵を描けるなんて幸せなことです。不思議ですね。この年になって昔がよみがえるなんて。教会で聖歌を聞くのもいい。ただ通り過ぎるにはもったいない世界です。ゆっくりのんびり 高齢者風に旅をします。

今朝は荷物を宿に預け、外に出ました。バスステーションに行って明日行くポンフェラーラ行きのバスの時刻表を調べました。ついでに観光案内所に行ってポンフェラーラから再び巡礼をスタートするサリアまでのバスを調べてもらいました。これで全て安心です。

さて日曜日のミサはちょうど街の祭りと重なって、祭りの行列と一緒にカテドラルで行うとのことです。

行列は市庁舎から始まりました。太鼓を含んだ管楽器付きの賑やかな行進が続きます。最初は昨日現れた2頭の馬に乗った兵士、ついでトルコマーチ風の音楽を奏でる異装の軍隊、イスラムの兵でしょうか。

それにカスタネットを鳴らす男女が続きます。その後はこの街の昔の兵士と楽隊、

その後に現代の軍隊と軍楽隊、それらの行列が狭い街路を時に何発も空砲を鳴らして通ります。

そしてカテドラルの前に整列します。カテドラルの脇の扉が開いていたので私達も中に入りました。そこでミサが始まろうとしていました。

間もなくパイプオルガンが鳴り響き聖歌隊の合唱が始まりました。音楽の中でミサが進行します。ここはカテドラルなので司教が中心になってミサが進行します。

パイプオルガンや聖歌隊、信者の歌声が混じりあって厳かな雰囲気が広がりました。参列者は2、300人、やっと本式のミサに出た感じです。1日出発をのばしただけでこんないいことがありました。ゆっくりのんびりはとてもいいですね。


スペイン巡礼 その18 歴史が生きている街アストルガ

2016-07-17 17:58:17 | スペイン巡礼

6月11日 ヴィラダンゴスデルパラモからアストルガへ

アストルガのカテドラル

回りのいびきが聞こえます。今私達に必要なことは心も国ももっと外に向かって開かれることではないでしょうか。教会の中にいるとそんなカトリックの心が伝わってきます。ミサの中で信者同士が握手したり抱きあったりする時があります。私も加わります。ちょっと感動します。それってすごい儀式です。でもそれはスペインでさえ忘れさられようとしている。心の中と外のバランスが大切な時代になっています。ま、それはいつも同じでしょうが。

19世紀の歴史家ランケは:あらゆる時代は神に通じる、と考えました。歴史に進歩などない、神の前では全て平等ということです。日本は明治維新で成功しました。でも日露戦争以後の傲慢さはどうでしょうか。その傲慢さは第二次世界大戦につながりました。今また傲慢な国になりつつあります。人口減少、少子高齢化、地方の疲弊、問題山積みです。国も私達も開かれなければ。

今朝は30キロ歩く予定なので5時半スタート、レオンからこちら国道沿いの道ばかりでうんざりしていました。やっと途中から山道に入りました。いつも見る花ばかりですが綺麗に咲いているのを見るのは嬉しいもの。小鳥達がいつも鳴いています。朝は時々カッコウが鳴きます。またパリでもイギリスでも聞いた小鳥の綺麗な鳴き声もいつも聞こえます。田舎の教会の尖塔にはコウノトリが巣を作り、辺りを飛び回っています。


アストルガに着いてから、友達がお腹をこわしているので、ミサが始まる8時まで一人でのんびり夕食を済ませて、街角の木陰のベンチに腰掛けています。ここのカテドラルは立派で博物館を兼ねています。中に入って写真を撮らせてもらいました。

ミサはここでは行われず隣の小さな教会でやります。その隣にはガウディが途中まで作り放棄した司教館があります。ちょっとガウディの感じがあります。

ここにも古代ローマの遺跡が残り、かってカルタゴの司教区だったこともあるようです。

古代ローマ帝国、イスラム帝国、それぞれに素晴らしい文明が栄えました。ヨーロッパはそれほどの帝国を築いたことはありません。常に戦争に明け暮れていました。それがエネルギーになって世界を支配することになったのです。その力をここでは随所に感じます。

教会の前でミサの始まりを待っていたら太鼓が響いたきました。10人ほどの昔の服装をした兵士が並んでやってきました。後ろに馬に乗った隊長が何か読み上げています。ズドンと空砲を鳴らして引き上げて行きました。

これは翌日分かったことですが、翌日の祭りの前触れでした。

ミサには土曜日とあって50人ほど集まりました。でも司祭その他が語るだけで聖歌はありません。友達も来なかったのでつまらないミサでした。

宿に帰って見ると友達の時計が壊れてしまったのです。私にはスマホがあるので私の時計を貸しました。彼はカメラも充電器をサンチアゴに送ったので使えません。忘れものは私以上、優秀な奥さんが海外旅行に一緒に行って言葉から生活からみんな面倒見てくれたのです。奥さんユネスコの職員だったので英語はペラペラなのです。今回は心ぼそい私が一緒ですからある面めちゃくちゃ、私には面倒見切れません。途方もなくいい人で途方もなくめちゃくちゃ、それが彼の魅力なんですね。明日はどうなるでしょう。

丘を上り下りしたので友達は足を痛めました。荷物は次の宿まで車で送ってもらうことにしました。7ユーロ、毎日送ってもらっても知れています。ここでは昨日から同じ宿のデンマークから来た女性二人組と少し親しくなりました。一人の名前がアンデルセン、面白いですね。


スペイン巡礼 その17 郷愁

2016-07-16 14:24:34 | スペイン巡礼

6月10日 レオンからヴィラダンゴスデルパラモ

今朝も6時出発、この街にはガウディの建築があるというので探したけれど見つからず、諦めて巡礼道に戻ったらありました。この街はローマ時代の軍団の滞在地で軍団レギオンからレオンの名前が来ています。街を出ると道は国道に並行し山が遠いので360度見晴らしがかないます。道端の草花は前と違うのも出て来ています。友人の足の調子は昨日1日休んだせいで調子がいいようです。

明後日から山間部に入るので、その時から荷物を次の宿に配送してもらうようです。バスで8日ほど飛ばしたので、知った人がいなくなりました。回りは欧米人ばかり、またブェンカミーノの挨拶から始めます。

今日の宿には1時すぎに着いたのですぐ洗濯ものを手洗いして外に干しました。毎日好天続きで楽になります。この村は人口700人とかで国道に車がやたら通り信号もないので道を渡るのが大変です。さびれて今にも消えそうな村です。ミサへの参加者の少なさ、高齢化の進行、地方の衰退などこの国も問題山積みですね。

解決策など分かりません。ただ地方でも楽しくやれることを人にちょっぴり伝えるだけ。掛川の山村での暮らしも好きです。かご編み教室で馬鹿話で笑いあったり地元の友人を訪ねて一緒に童謡唱歌を歌ったり、そこで笑いや笑顔が生まれればいい。そんなことだけですね。カミーノの道を歩いていると自分が何かを考えます。まあ石ころみたいなものでしょうか。大した結論じゃないですね。 

この村にも教会があるようです。このアルベルゲは人がかなり大勢なのに静かです。見回せばイタリア人や中南米人がいないようです。国民性でしょうか。ラテン系の人々は賑やかで大声で話します。静かなのはドイツ人、私個人が親しくなるのもそう。カーステンにもう会えないのはちょっと寂しいですね。

明治以降の日本の音楽教育はイギリスとドイツの民謡唱歌から始まりました。まさか古来の小唄や俗曲じゃ無理ですよね。そこからクラシックに入ってゆくわけで、古来の音楽は遠いものになりました。私は日本民謡が好きで、ここでも何度か歌って喝采を浴びました。私たちは古来のものを捨て去って近代化しました。でも大正時代に始まる童謡がどうして悲しい歌が多いのか、それは失われた近代化以前、故郷がまだ生きていた時代への懐かしさ、ノスタルジーの歌だったのでしょう。三橋美智也や島倉千代子の歌には故郷を歌う歌がたくさんあります。でもそんな歌はほとんどなくなりました。デイサービスで歌っても若い職員は知りません。韓国でも似た状況のようです。

私たちは心の中の大切な部分から切り離されてさまよい始めているのか、その点で友人と意見が一致しています。社会に出られない人々、心を病む人々が周りにたくさんいます。今の社会通念、出世主義や経済第一主義、グローバル主義が豊かさをもたらす一方で、心をどんどん貧しくさせていると思います。これは昔から言われてきていることで、それが今まさに身近に起こっているのです。私は人が大昔から楽しみにやって来たこと、それを楽しむことが心の回復に少しは役立つのではないかと思っています。少し手前味噌になりますが、それは歌と籠編みです。

籠編みは人類と共にあった工芸で大昔は女性の仕事でした。必要を超えた素晴らしい籠が作られました。それはさまざまな編み目模様で宇宙を表現したのです。かって女性の化粧もさまざまな模様で宇宙とつながっていたのです。人は単なる個ではない、宇宙の神々とつながり支えられて生きている、それが今よりはっきり認識されていたのです。道端の草花は思い思いに咲いています。それでも彼らの間にも棲み分けその他の秩序があります。現代人だけが深い秩序の存在を忘れているようです。人はどこに行くのでしょうか。



スペイン巡礼 その16 バスの旅

2016-07-15 15:55:21 | スペイン巡礼

6月9日 ブルゴスからレオンへ

ブルゴスのカテドラルの内陣の写真です。

今朝バスの発着所に行ってみると、予定していた10時半のバスは満席、次のバスは夕方の5時20分、仕方ないので街中をぶらぶらしたり川岸の芝生で寝転んだりしました。この街はとても芸術的であちこちに彫刻が置かれています。今日は彼といろいろ話しました。彼は土地勘が良く、お金の計算が弱い、私と反対です。お互い補いあえばいい旅ができそうです。とにかく彼は特別に良質な人、こんな人に会うのは初めてです。彼の良さを吸収できれば私ももう少しましな人間になるかもしれません。

彼の良さの一つは周囲の人間にとても親切なことです。例えば電車に乗っても彼は席が空いても座りません。もっと困った人が来るからというわけです。こんなことがありました。アルベルゲで自分が下のベッドになったとき、上のベッドにおばあさんが来たので、下と上とを変わってあげたのです。歳をとると狭い梯子を上って上のベットに行くのはつらいのです。そういうことが平気でできる人、それだけでも周りから愛され親しまれるのに十分です。

昨夜の教会のミサは普通、一昨日の神父が素晴らしかっただけにがっかりです。ミサの参加者はいつも10数人。教会が豪華絢爛なのにあまりに少人数で高齢者ばかり。ヨーロッパがこんな調子で元気なのは南米ばかりのようです。ミサに出るとヨーロッパの歴史を感じます。そして私たちにとって宗教とは何かを。彼もそれを深く感じているのでいい話し相手です。レオンに行くバスは7時20分に着くので宿を心配しましたが、初めて電話で予約が取れました。一つ利口になりました

ブルゴスからレオンまで、平坦地が多く暑さの中を歩くのはつらい行程のようです。バスから見ても平坦で畑作地帯が延々と続きます。そんな中をバスでひとっとび、全行程歩く人たちに申し訳ない気持ちです。


スペイン巡礼 その15 ブルゴス お互いに我慢

2016-07-14 08:42:28 | スペイン巡礼

6月8日 アヘスからブルゴスへ 

今日はアヘスから6時に歩き始めました。いつものようにどんどん追い越されてゆきます。初めは丘の上を歩き次は森の中、また丘を通ってやっと平地に出ます。道端にはいつもの花が咲いています。遠くに小さな村を眺め車も通る広い道を進んでいきます。朝食や昼食は途中の村々にあるバルでとります。オレンジジュースやカフェカプチーノ、サンドイッチやスペイン独特の焼き餅など。値段は5ユーロ前後。ここはトイレも誰でも自由に借りられます。今日は大都市ブルゴスの入口から中心まで単調な道が長いのでバスに乗りました。宿は7ユーロで新しい建物、全て綺麗です。自分のベッドを確保するとシャワーを浴び、洗濯をします。洗濯とドライで7ユーロします。私一人なら自分で洗うのですが仲間がいるので。夕食前に近くのブルゴスカテドラルに見物に行きました。外観もすごいですが内部もすごい。スペインの三大カテドラルの一つで豪華華麗言葉に尽くせません。写真でどうぞ。


ほかの巡礼は私たちに比べてもっと厳しい暮らしをしています。洗濯機や乾燥機を使わず自分で洗濯しています。食事もバルやレストランだけではなく自炊もします。どこもキッチンや食堂はしっかりしています。私たちは贅沢巡礼です。アルベルゲに着くと皆さん洗濯をしますが、洗濯機は空いています。晴天続きのせいもあるでしょう。友達は70才の高齢者なので仕方ないでしょう。彼は足の裏を少しいためています。

ブルゴスの街のアコーディオン弾き。

明日はブルゴスからバスでレオンまで行って1日歩くのは休み、明後日からまた歩き始めます。その時は彼の荷物は次に泊まる宿に配送してもらいます。そんなサービスもあるので軽装で歩く人が多くなりました。どんなに相手がいい人でも相手のペースに合わせて歩くのはきつい。でも今回はそれも修行の内と思っています。彼からいろいろ教えられてもいます。

韓国の女性達とも昨夜でお別れしました。彼女達今回は食事代は自分達で払うと言いましたが彼は払わせずみんな払いました。私は自分の分だけにしまた。彼は彼女達に小さなプレゼントをしました。彼女達からも小さなプレゼントをもらいました。とてもいい人達です。でも彼には男気が有りすぎる。でもそれが誰からも好かれる彼の魅力です。そんな彼も一人で重いテントや寝袋を持って歩いている34才の日本人青年には全く関心を示さない。彼は格好良さを重んじる人、そんな人が私のような男と一緒に歩くのだから彼も相当我慢づよいのかも。


スペイン巡礼 その14 カール・グスタフ・ユング

2016-07-12 20:42:29 | スペイン巡礼

6月7日 ベロラドからアヘス

友達と歩いている74才のフランス人の女性がいます。田舎の農婦の感じで重い荷を背負って歩いています。英語は全くわからず友達がちょっと解る程度、でも私がコマタレブ?と聴くと喜んで答えていました。次に会った時月の光というフランス民謡を歌うと、一緒に歌いました。歌は大きなコミュニケーションの手段ですね。

絵本作家は本当にごく普通に人に良くしています。細かいかねの計算などしないのです。本当に喜んでするのです。カトリック精神でしょうか。でももともとそんな広い心を持っているのでしょう。彼に教わることは沢山あります。本当にいい人と旅をしています。彼がドン・キホーテなら私はサンチョパンサ、ケチで小心な男、でも歌うサンチョならいいですね。マロニエの花が咲いていました。名も知らない花も。本当に素敵な旅です。

彼と話すと共通の話題が出て来ます。それは精神病理学者のカール・グスタフ・ユングです。彼は若い頃、悩み事があって、たまたまユングを読んで衝撃を受けました。そこでスイスのユング研究所から帰国して間もない河合隼夫を訪ねてカウンセリングを申し込みました。でも彼が絵本作家なので領域が近いので同じ研究所をでた秋山さと子を紹介されました。二人ともユング研究では有名な人です。彼にとってユングは自分の問題なので真剣です。

 

私は若い頃キリスト教異端のグノーシスへの関心からユングを読み始めました。でも私のはちょっとかじっただけでユングから離れました。今ではユングは人気がありません。でもユングはキリスト教やフロイトを超えた精神の深奥を求めていました。

自分の体験からユングを求めた絵本作家には敬意を表します。私は反現代資本主義の立場からキリスト教よりはるか以前のアニミズムに関心を持ち、自分の職業に絡めてカゴアミニズムと冗談に自称しています。彼とは深い因縁を感じます。

キリスト教について私は中世南フランスの異端カタリ派に関心を持っていました。彼らはカトリック教皇庁とフランス国王によって絶滅させられました。ミサに出て思うのは愛と隣人への優しさです。それは自ら進んで良きことをしようという愛です。これは世界中にキリスト教を広めようというかってのカトリックにつながります。でもそれはスペインやポルトガルの世界征服を伴いました。かってのスペインの栄華は田舎町の小さな教会にも残されています。このキンキラキンの祭壇は世界中から集めた財宝の結果です。人間のやるすべてに善悪両面があります。その両面を感じながら旅を続けます。