竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

スペイン巡礼 その17 郷愁

2016-07-16 14:24:34 | スペイン巡礼

6月10日 レオンからヴィラダンゴスデルパラモ

今朝も6時出発、この街にはガウディの建築があるというので探したけれど見つからず、諦めて巡礼道に戻ったらありました。この街はローマ時代の軍団の滞在地で軍団レギオンからレオンの名前が来ています。街を出ると道は国道に並行し山が遠いので360度見晴らしがかないます。道端の草花は前と違うのも出て来ています。友人の足の調子は昨日1日休んだせいで調子がいいようです。

明後日から山間部に入るので、その時から荷物を次の宿に配送してもらうようです。バスで8日ほど飛ばしたので、知った人がいなくなりました。回りは欧米人ばかり、またブェンカミーノの挨拶から始めます。

今日の宿には1時すぎに着いたのですぐ洗濯ものを手洗いして外に干しました。毎日好天続きで楽になります。この村は人口700人とかで国道に車がやたら通り信号もないので道を渡るのが大変です。さびれて今にも消えそうな村です。ミサへの参加者の少なさ、高齢化の進行、地方の衰退などこの国も問題山積みですね。

解決策など分かりません。ただ地方でも楽しくやれることを人にちょっぴり伝えるだけ。掛川の山村での暮らしも好きです。かご編み教室で馬鹿話で笑いあったり地元の友人を訪ねて一緒に童謡唱歌を歌ったり、そこで笑いや笑顔が生まれればいい。そんなことだけですね。カミーノの道を歩いていると自分が何かを考えます。まあ石ころみたいなものでしょうか。大した結論じゃないですね。 

この村にも教会があるようです。このアルベルゲは人がかなり大勢なのに静かです。見回せばイタリア人や中南米人がいないようです。国民性でしょうか。ラテン系の人々は賑やかで大声で話します。静かなのはドイツ人、私個人が親しくなるのもそう。カーステンにもう会えないのはちょっと寂しいですね。

明治以降の日本の音楽教育はイギリスとドイツの民謡唱歌から始まりました。まさか古来の小唄や俗曲じゃ無理ですよね。そこからクラシックに入ってゆくわけで、古来の音楽は遠いものになりました。私は日本民謡が好きで、ここでも何度か歌って喝采を浴びました。私たちは古来のものを捨て去って近代化しました。でも大正時代に始まる童謡がどうして悲しい歌が多いのか、それは失われた近代化以前、故郷がまだ生きていた時代への懐かしさ、ノスタルジーの歌だったのでしょう。三橋美智也や島倉千代子の歌には故郷を歌う歌がたくさんあります。でもそんな歌はほとんどなくなりました。デイサービスで歌っても若い職員は知りません。韓国でも似た状況のようです。

私たちは心の中の大切な部分から切り離されてさまよい始めているのか、その点で友人と意見が一致しています。社会に出られない人々、心を病む人々が周りにたくさんいます。今の社会通念、出世主義や経済第一主義、グローバル主義が豊かさをもたらす一方で、心をどんどん貧しくさせていると思います。これは昔から言われてきていることで、それが今まさに身近に起こっているのです。私は人が大昔から楽しみにやって来たこと、それを楽しむことが心の回復に少しは役立つのではないかと思っています。少し手前味噌になりますが、それは歌と籠編みです。

籠編みは人類と共にあった工芸で大昔は女性の仕事でした。必要を超えた素晴らしい籠が作られました。それはさまざまな編み目模様で宇宙を表現したのです。かって女性の化粧もさまざまな模様で宇宙とつながっていたのです。人は単なる個ではない、宇宙の神々とつながり支えられて生きている、それが今よりはっきり認識されていたのです。道端の草花は思い思いに咲いています。それでも彼らの間にも棲み分けその他の秩序があります。現代人だけが深い秩序の存在を忘れているようです。人はどこに行くのでしょうか。