竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

遠州灘40キロラン

2014-01-24 19:13:28 | マラソン
今朝は寒さも少しゆるみ、風もなくいい天気でしたので、
久しぶりに遠州灘まで走りました。
去年の3月頃走り、それ以来です。
 
山の中で暮らしていると、時々海を見たくなります。
子供達がいた頃、30年も前ですが、よく車で大東町の海岸へ行きました。
車で真南へ進むと大東町の海岸、遠州灘に出ます。
 
一人で車で海に行ってもつまらないので、
近年は掛川の街に車を置いて走って行きます。
往復でちょうど40キロ、マラソンの練習にはちょうどいい距離です。
海岸に出るまで交通量の多い道路を通るのが難点です。
 
街を離れて南に下っている途中には坂やトンネルもあります。
このコースは4月の掛川新茶マラソンと一部コースが重なります。
その練習にはちょうどいいのです。
 
広い平野に出ると、北に南アルプスの雪山が見えます。


南には遠州灘の風力発電の大きな風車がいくつも見えてきます。

 
海は穏かで、全く人気がありません。


波が静かに寄せています。
 

遠州灘沿いには自転車専用道があり、菊川の河口には立派な橋が架かっています。


でも自転車道は砂がたまって、走るのさえ困難です。


海岸は風が強く、吹きさらしですから、自転車には走りにくいところです。
無駄な感じがしますね。

帰りは同じ道を北上していきます。
掛川の街に着いたら、立派な門が見えました。
再建した大手門です。


掛川城も再建天守です。
でも街の象徴としては美しい城です。

 
車に戻ってから買い物をし、家の近くの温泉に入って帰りました。
ちょっと疲れましたが、気持ちのいい一日でした。

独り暮らしの楽しみ?

2014-01-22 23:02:02 | 田舎暮らし
昨日21日掛川に来ました。
途中沼津から富士市にかけて富士山が見事でした。
小さな川に大きな富士山が映っていました。

 
図書館に寄ったり買い物をしたりして、昼頃居尻に着きました。
今まで毎日走リ続けているので、夕方いつもの道を走りました。
 
山は眠っています。
今咲いている花は水仙、フユイチゴが赤い実をつけています。

 
走っているときはあまり寒さを感じませんが、家に戻ってから寒さがこたえます。
毎日走るので毎日寒い寒いと言う始末で、そのためうるさがられています。
風邪も引かずに暮らしているので良しとしましょう。


 
こちらでは日曜日に午前と午後、来週の木曜日の午後、三回教室があります。
教室は居尻の公民館、暖房もよく効いています。
 
そのために掛川に来る?と考えると効率が悪すぎます。
ここではそれだけではない楽しみがあります。
 
独りで暮すこと、これは何にもまして嬉しいことです。
日中はクラフトテープの籠作りや竹の籠を作りますが、それ以外は何をしてもいい。
音楽を聞きながら籠を編み、夜は本を読む。
 
食事を作るのも一人だと簡単です。
今日は午前中薪ストーブを焚いていたので、おでんを作りました。
料理は得意ではありませんが、自分の好きなものは作れます。
糖尿病もあるので栄養の摂りすぎはなし、質素であればあるほどいいのです。
]
 
実は家内も私がいない方がいいようで、お互いに独りの自由を満喫しています。
 
風が強いとドラム缶風呂は危ないので温泉に行きます。
歩いて5分、夕食の時間帯はすいているのでのんびり入れます。

 
という風に書くといいことばかりのようですが、そんなわけはないですよね。
 
ストーブの薪は自分で作らなければならないし、ほこりが出やすいので掃除ばかりしています。
それでもほこりっぽい
自分自身がなんとなく汚れっぽくなり、2週間もすれば小平が恋しくなります。


それでいいんですね。帰りたくなくなったら問題ですから。

昔の小平の名残り

2014-01-18 21:48:24 | 歴史と人類学
昨日はジョギングで小平発祥の地の辺りを走りました。
富士山が今日もきれいに見えています。

小平市は本当に平坦で、昔はどこからでも富士山が見えたことでしょう。
 
玉川上水を西に進むと小川橋にでます。
そこでいつもは引き返すのですが、今日は玉川上水の分水小川用水に沿って、
青梅街道を東に向かいます。
 
元旦に初詣でをした神明宮の近くに小川寺(しょうせんじ)があります。


小川というのは地名でもあり、この辺りに最初に定住した一族の名前でもありあります。
玉川上水が開削され、分水を引き込むことでススキの原だった小平に人が集まりました。
私の小学校時代の町長は小川一族の人でした。

 
青梅街道沿いにはかって多くのケヤキが植えられました。


材として高価なことや落葉が嫌われて、今はわずかになってしまいました。
この辺りの農家の垣根にはヒイラギの生垣が使われていました。

 
玉川上水の分水はあちこちに伸びて、畑が作られました。
小川新田、鈴木新田、野中新田、大沼田新田などです。
新田と言っても田ではなく畑でした。
 
武蔵野の雑木林は自然林ではなく、江戸の街のための薪や炭用の人工林でした。
今でもわずかに保存樹林として玉川上水沿いに残されています。 
私が住む小平学園は、昭和の初めごろに西武多摩湖線の開通とともに開発された住宅地です。新開地のため神社もお寺もありません。
 
日本の伝統的な村社会から切れて、大都市周辺の新開地に住むことは、
いろいろな意味で現代日本の象徴的な住まい方であり、
私自身はそれに反発して、田舎暮らしを志向して来ました。
 
でもどこに行っても根無し草、傍観者、どこの共同体にも属することは出来ません。
でも田舎でも過疎化の進行と共に共同体は壊れつつあります。
 
その中で生きていくことは現代人の宿命です。
 
でも新しい動きのようなものも見えています。
東北の被災地で活躍する若者達、
手作りの料理を志向する人々、
自分の手で物を作りたいと思う人々、
現代のグローバリズムの流れとは違う方向を目指す人々も大勢います。
 
未来はそんなに暗いものではないと思います。
 
 

貧乏神の走り

2014-01-10 20:32:27 | マラソン
暮の26日から今日10日まで16日間連続して走っています。
私としては新記録です。5日も続ければ休日を入れていました。
無理して故障するのが恐いので。

 
今は以前と違いゆっくり走っているので、疲れません。
42キロ走った翌日も10キロ走っていました。
いわゆるスロージョギングです。
アマチュアの運動として今はあちこちで推奨されています。
 
「貧乏神、夫に似てないか?」という記事で、にやっとした友人が何人もいたような。
似ている似ていないは別として、我が家の貧乏神的存在かもしれません。
 
桂枝雀に「貧乏神」という落語があります。
ひどい怠け者のところに貧乏神が来ます。
でもあまりの怠け者のために、貧乏神が吸い取る養分がない。
そこで貧乏神が近所の洗濯物を引き受ける内職をして、
怠け者を養うはめになる。
そんな人の好い貧乏神の話です。
 
よく出来た話しで昔テープにダビングしてよく聞いていました。
今はユーチューブで簡単に聞けます。
 
 
それにしても、貧乏神の人形を作って売れると思うのがおかしいですね。
 
近頃は天気のいい日には富士山がよく見えます。
夕方の富士山も素敵ですし、


朝の富士もいい。


団地の9階の踊り場からは筑波山や新宿の高層ビル群も見えます。

 
今は貧乏なのでなかなか外国には行けません。
でも富士山を見ると清々しい気持ちになります。
この辺には川もないし山もない、いたって平坦な土地ですが、
だからこそ富士山がどこからでも見えます。
 
大昔この辺は富士山の火山灰が堆積して出来た土地です。
地面を掘っても赤土ばかりで石が出てきません。

マユミの実 

いつか富士山が大爆発を起こして桜島のようになったら、
また灰に埋もれることでしょう。
 
東北の大震災を見ても感じましたが、人間本当はどこにいても安全な場所がない、
何が起こるか分からないそんな世界に住んでいるのですね。
 
貧富の差はいろいろあっても一蓮托生、か弱い存在ですね。

貧乏神

2014-01-06 18:41:39 | 日記
貧乏神は良い神様   朝日新聞1月6日 ひととき欄より
 
 米俵にのり、打ち出の小づちを持った大黒様。タイを小脇に抱えた恵比寿様。お正月が近くなると、実家の床の間に飾られた木彫りの福の神だ。その人形は両親が亡くなるまで力を発揮することなく、ニコニコ顔で我が家に鎮座しておられた。みんなになでられて、ピカピカとつや光りして。
 
 私は結婚して、和紙を使った人形を作る仕事についた。効き目がなかった七福神は作らないぞと思っていた。でも貧乏神はどうかと、ふと思った。落語「貧乏神」で、桂枝雀が「きれいな夕焼けやなあ」とつぶやくシーンに、笑いながら胸打たれたではないか。
 
 貧乏神も神の仲間である。「きっとその貧乏には意味がある。恐れることはない、私がそれを引き受けちゃる」と言っているのではないか。貧乏神っていい神様と思えてきた。
 
 結局、私が作った貧乏神の張り子の人形は売れず、ビを丸で囲った印をつけた前掛けをかけ、仕事場の棚の上にニコニコ顔で立っておられる。見るとなんだか幸福な気持ちになる。今年も私なりに頑張ろう、この神様が見ていてくれる、そんな風に思える。

 
 しかし、待てよ、この貧乏神、夫に似てないか?
 
東京都小平市 伊藤絹子 人形制作 62歳
 
家内は黙っていようと思ったようですが、友人がメールで知らせてきたのでばれました。
面白い文章なので転載しました。



 

元旦ラン

2014-01-01 17:32:05 | マラソン
明けましておめでとうございます。
静かな元旦を迎えました。
今朝はめずらしく5時からいつものコースを走り始め、
帰りに神明宮という地元の神社で初詣でをして来ました。
人出は少なく、屋台も閉まったままで、これからと言う感じでした。

 
家に戻る途中で日の出の時間になったので、
いつもの団地の9階に上がったら、何人か初日の出を見に来ていました。
初日の出をめずらしく拝みました。


歳をとってくると無事がなにより、
何事もないよう万物に祈る、というか感謝する、そんな気持ちになりました。
 
冬型が緩んでいるのか昨日よりは靄がかかリ、富士山も霞んでいます。


昨日は上水の道からも葉を落とした木々の間から富士山が見えました。

 
今年は衰えがちな走力の強化を目指します。
仕事も頑張ります。
 
歳をとるっていいですね。
何事にももう大きな成果は期待できません。
こつこつ小さな努力を積み重ねていくだけ。
 
変転極まりない世の中のことは横目で見て、
終わりに向けて一歩一歩ゆっくり歩いていきます。
 
走り続けるよさは、走っている間、一人だということを感じることです。
人間本来のあり方に帰る、というと身勝手なようですが、
歳をとるほど一人になります。
子や孫もそれぞれの人生を歩み、家内も自分の人生を歩んでいます。
 
私も自分の人生に直面して生きていきます。
そんな中では浮世の義理はしょうがない、仕方がないものとしてこなしていけばいい。
それだけのこと。
 
自分といっても大したものじゃない、虫けらのような自分が、
広大無辺の世界の中で生きてうごいていること、それが楽しいのです。
その内に終わりが来ます。
静かに広大無辺の世界に戻っていく、これはそんなに悲しむべきことではありません。
 
その場になったらジタバタするかもしれないけど、それも仕方がない。
あらゆる生き物はジタバタして死んでいきます。
 
そんなことを新年早々思うのも歳のせいでしょうね。
今年もよろしくお願いします。