竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

スペイン巡礼 その4 日本女性のウェイトレス

2016-06-30 09:41:58 | スペイン巡礼

5月28日、いよいよ本格的な山登り、と言っても登り道が延々と続くだけ、岩山を手を使って登るわけではありません。追い越される度にお互いに「ブェン・カミーノ」と挨拶しあいます。まだフランスなので、ボン・カミーノか。昨夜の宿で若い日本女性と一緒になりました。20代の中頃か。一人でゆっくり歩いているそうで、その後会うことはありませんでした。

一緒に歩く二人は好対照です。O氏は登校拒否児、学校嫌いで管理されるのが嫌いな自由人、一方は校長ですからね。校長と言ってもあまり上から目線は感じない人です。私は?素直な普通の優等生として育ったけれど、子供時代からいつも周りに違和感を感じていました。なぜ今こんなことを書くかと言えば、旅の途中でそれぞれの現在の生き方が現れてぶつかる元になってゆくからです。

3人旅、初めは何とも思わなかったけれど、難しいことになりがちです。今思えば私が一番目立たない人間なので、遠慮がちにふるまえばいいのです。でも個性の強い二人はいずれぶつかります。これはカトリックと現代仏教のぶつかり合いと言えるかもしれません。面白いテーマです。お楽しみに。

今日の道は最頂部で1450メートル、少し下ってロンセスヴァレスの宿に泊まります。ここの宿は元修道院、とても趣があります。

その街のバルに入ったところ、出てきたウェイトレスが日本人でした。この店でアルバイトとして働いているそうです。6,7年前にここに来て、ボランティアとして手伝っていたら、現地の青年と知り合って結婚した、今は子供もいるとのことでした。夫の仕事はもっと山奥の羊飼い、現金収入を得るために夕方までここのバルで働いているとのことでした。このあたり羊があちこちで放牧されています。カミーノの道は線ですが、ピレネーは面です。延々と広がっています。昔「ピレネーの山の男は、いつも一人、雲のなかで・・・・」という歌謡曲がありました。

http://arisada.bglb.jp/spain/music1.html 『ピレネエの山の男』(作曲:古賀政男、作詞:西條八十、 歌唱:岡本敦郎、1955)

こんな歌が以前よくもまあ作られたものです。そんな訳で私にとってロマンティックなイメージがあります。おまけに羊飼いの男、実は学生時代に12,13世紀のキリスト教の異端運動 カタリ派について関心を持ったことがあります。弾圧を受けてピレネーに近い南フランスのモンセギュールの山の砦で最期を迎えます。でもその後もピレネーの山の羊飼いたちの間に残っていたという記録があります。

もちろん今は昔の話、でもそんな男と日本女性が一緒になって暮らしているなんて、驚きです。絵本作家は将来この巡礼について絵本を描こうと思っています。それで次に多分編集者と一緒に来た時に彼女にインタビューをしようと、住所を聞いていました。また子供に自分の絵本を送ると話していました。

その晩街の教会のミサに誘われて生まれて初めて出席しました。集まった人は10人前後、言葉は全く分からず、ただ司祭や信者が歌う聖歌に聞きほれました。終わりごろに出席者がお互いに周りの人と握手したりハグしたりする場面がありました。神の前でお互いが仲間として認め合い親愛の情を示すのでしょう。聖餐は、列に並んだものの勿論受けず、ただノンカトリックと言って頭を下げて祝福だけしてもらいました。初めてのミサは厳かで親しみのこもったものでした。U氏は気分が悪くなったといって途中で出ていきました。

この巡礼の道を歩ける幸せを感じているので、素直に頭を下げることが出来ました。

 


スペイン巡礼 その3 初めての歩き

2016-06-29 10:24:03 | スペイン巡礼

歩き始めの初日、5月27日は好天、朝もゆっくり起きて朝食、と言ってもパンとオレンジジュース、コーヒー、ハムと野菜程度のっ軽いものです。この日以後は宿で提供される朝食をとることはありませんでした。高齢者3人組、歩くペースが遅いので、朝のスタートをできるだけ早くするようにしたのです。

サンジャンピエドポーの街並み

ピレネー山脈への登り道をゆっくり景色を楽しみながら歩きました。

驚いたことに、道の両側は山野草の宝庫、見慣れない花も沢山あります。しばしば立ち止まって写真を撮りながら歩きました。

ここで仲間を紹介しましょう。O氏は70歳、今までに絵本を150冊以上出している絵本作家、熱心なカトリックで私をこの旅に誘ってくれた人です。一昨年小平市の家の近くの小さな画廊で家内と二人展をやったとき、その画廊でやっている絵画教室に参加していて、そこで家内の人形と私の籠を買ってくれました。

そのとき私が四国遍路をやったことがあると知って、自分もやりたいからいろいろ聞きたいといって私の家まで来たので、参考資料などを少しお貸ししました。昨年四国に行ったけれども一週間ほど歩いて足を痛めて戻ってきました。そして今度はサンチャゴ巡礼に行くので一緒にどうか、と誘われたのです。調べてみるとサンチャゴ巡礼は異教徒も異端者も歓迎ということなので、参加したくなりました。

U氏は62歳、小学校の校長を退職したばかりで、今はお寺の住職、結婚相手がお寺の娘なので、住職になる羽目になった人、絵本作家とは四国遍路で知り合ったそうです。四国遍路は一週間ぐらいずつ暇を見ては続けて、今は愛媛県に入っているとか。3人それぞれいろいろな思いを秘めて歩いているわけです。

登り道の両脇は主に羊を飼う牧草地、ところどころ麦畑が広がっています。

オリソンの宿に着いたら若いアメリカ人の女性と話しました。彼女も初日ですが、タバコが吸いたくてたまらない、オリソンの宿は禁煙なので、1キロほど戻って泊まるということでした。

オリソンの宿では他に夕食を食べる店もないので、宿で提供する夕食を摂りました。そこで宿の主人、男ならホスピタレイロ女ならホスピタレイラと言いますが、みんなに自己紹介を求めたのです。30人ほどいた人々がそれぞれ自国語に英語を交えて自己紹介をしたり歌を歌ったりしました。私は生まれ故郷が津波で破壊されたことを語って、故郷で歌われていた「斎太郎節」を歌いました。津波のことはみんな知っているので、喝さいを浴びました。この宿で一緒だった人たちとはその後の宿でもしばしば一緒になって、いろいろ語り合いました。あまり疲れもせず、いい一日でした。


スペイン巡礼 その2 フランス人の道

2016-06-28 11:47:24 | スペイン巡礼

出発前に参考にした本はいくつかありますが、特に大切な地図は以下の本です。(写真は全てボルドーです)

Camino de Santiago: St. Jean Pied de Port - Roncesvalles - Santiago de Compostela - Finisterre (Camino Guides)

2013/10

ペーパーバック

この本の日本語版はありません。なんとか基本的なところを理解しておけば、地図ですからとても参考になります。この本によると全行程は33日ですが、サンチャゴでミサに出ることを考えると、34日になります。

持っていくものについてはカミーノ友の会のページに出ています。今はスマホの時代です。私のスマホは格安のシムカードを使うものなので、海外用のシ ムカードに入れ替えて使いました。日本へ電話することはありませんでしたが、ラインでメールのやり取りはしていました。またフェイスブックに文章や写真を 投稿していました。友達からのコメントに励まされて歩きました。

友達が歩けなくなってタクシーを呼んだりするときに、何度か現地で電話を使いました。若い人たちはいろいろなアプリを使って道を間違えないようにしたりしていました。私はスマホ自体に慣れていないので、メールや写真撮影、フェイスブックへの投稿につかっていました。


Wi-Fiは宿やバルにも使えるところが多く、ナンバーを聞いては使っていました。

私たちは無事TGVでバイヨンヌにむかいました。途中ボルドーで別のTGVに乗り換えます。朝6時ごろに乗ってボルドーには昼頃つきました。予定で は2時ごろバイヨンヌに着いて3時頃の地方列車でサンジャンピエドポーに4時ごろ着きます。それから宿を探す、ちょっと遅くなるけどまあ何とかなるさ、と 思っていました。

ところがボルドーについてみると、バイヨンヌ行きの列車がなんと4時間待ちなのです。途中で交通ストライキがあって、時刻表通り動かず、長々と待た されるのです。仕方なくボルドーの街に出て、あちこち歩き回りました。ボルドーはガロンヌ川沿いに広がる街で、かってアキテーヌ公国の首都だったそうで す。12世紀に名をはせたエリノア・ダキテーヌのいたところとは今知ったことです。

さてやっとTGVに乗ってバイヨンヌに着くと、その先の列車が運行されていません。大勢の巡礼姿の人々が集まっていました。結局バスが運行されるこ とになり、サンジャンピエドポーまで先に2台の大型バスが出て、私たちはしばらく待たされて小型バスで目的地に着きました。もう9時になっていました。で もまだ明るくて行動には困りません。観光案内所に行くとまだ大わらわで活動していました。遅くなってからバスがついたので、数人の職員が働いていたので す。

そこで宿を紹介してもらい、ついでに翌日の夜の宿も予約してもらいました。本来なら山越えしてロンセスヴァレスまで歩くはずでした。でも9時を過ぎているので、明日はとても30キロ歩く自信がありません。10キロ先のオリソンに泊まることにしました。

観光案内所から少し歩くと、「日本人はどうぞ」という表示が出ている宿がありました。もう歩く気がしないのでそこに泊まりました。10ユーロでした。翌日の朝食も4ユーロ出して予約してじたばた続きの初日が終わりました。

 

 

 


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スペイン巡礼 その1 旅の準備

2016-06-27 20:37:24 | スペイン巡礼

5月25日夜、羽田空港から10時50分のエールフランス航空の飛行機でパリに向けて出発しました。メンバーは3人、一人(U氏と呼びます)は2週間使って日本へ帰ります。私は6月25日にパリを発って日本に帰ります。もう一人(O氏と呼びます)はパリで5日間美術館巡りをしてから帰ります。

行きは皆同じエールフランス機に乗り、帰りはバラバラです。

飛行機はHISで格安航空券を買いました。3か月以上前から買えるので、できるだけ早く買ったほうがいいと思います。私はネットで買ったので帰りの便の選択に失敗しましたが、直接店に行って相談して決めたほうがいいと思います。

予約したのは往復の航空券と、サンチャゴコンポステラからマドリードまでのバス、これは英語だけどアルサバスのネットから予約できます。マドリードからパリまでの飛行機とパリのホテルはエクスペディアで予約しました。

パリからバイヨンヌまでのTGVの切符はネットで予約すると、遅い便しかないので、パリのモンパルナスの駅で直接買いました。実はモンパルナスの駅は巨大で買うことが出来ず、列車に乗ってから車掌から買うことが出来ました。空港から駅まではバスや電車もありますが、わからないことが多いので、タクシーを使いました。3人で分ければそれほど高くありません。

日本のサンチャゴ友の会のネット上の資料を参考にして必要なものをそろえました。荷物の重さは体重の十分の一が理想と書いてあります。長期間歩くのですからもっともでしょう。私は電気カミソリやちょっと重いスマホやカメラの充電器も入れたので、7,8キロになりました。

サンチャゴまで一緒に歩くO氏は荷物が重くなりすぎて歩き始めて数日後、苦しくなって途中の町の郵便局からサンチャゴの郵便局まで、局留めで送ることになりました。これも簡単にできます。

また多くの人が足を痛めるので、泊まった宿から次に泊まる宿まで荷物を車で運ぶサービスがあります。これは7ユーロほどです。そして軽い荷物で歩く人もだんだん多くなります。

宿はアルベルゲといい、通路の村や町にあります。一泊5ユーロから10ユーロ、ほとんど予約が要りません。直接行けばいいのです。アルベルゲはユースホステルにあるような2段ベッド、男女混合の部屋です。早朝5時に起きて暗い内に出発すると、昼過ぎに宿に着きます。すぐシャワーを浴びて洗濯すれば、夕方には乾きます。

この巡礼の旅はとても安全です。アメリカ人の17歳の女子高校生が一人で歩いていました。女性の一人旅はとても多いです。

旅行中に困ったことなどはこれからおいおい書いていきます。

私は野草が好きなので随分写真を撮りました。