竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

東京散歩5 上野国立博物舘と津波の文化財再生

2015-02-25 20:57:13 | 東京散歩

2月25日、従兄と一緒に4回目の東京散歩に出かけました。
今回は上野周辺です。
ちょうど国立博物館で「みちのくの仏像展」と「3・11大津波と文化財の再生」の特別展をやっていました。


特に文化財の再生展では陸前高田市の博物館の展示品の再生が中心で、陸前高田市で被災した従兄にとっては懐かしい品物がいくつもありました。

博物館の入り口に展示してあったのは、県立高田高校の海洋システム科が使用していた実習船でした。これは津波で流されて2年後にカリフォルニア州の海岸に漂着したもので、厚く貝殻で覆われていたものを復元したものです。これはケネディ大使が着任したときに返還されました。



もうひとつ私が通った高田幼稚園のオルガンが復元されて飾ってありました。

街中にあった幼稚園は流されましたが、オルガンが残って復元されたのです。記憶にはありませんが、きっとこのオルガンの伴奏で歌を歌ったのでしょう。

上野は美術館にはよく訪ねてきますが、ほかはあまり歩いたことはありません。
上野東照宮、不忍池の弁天堂、西郷隆盛の銅像など、久しぶりに見ました。

不忍池ではすずめが沢山群がっていました。

手の平にえさをのせている人が手を伸ばすと、雀たちが手の平にのってえさをついばんでいました。ヤマガラが掌にのるのは体験したことがあります。雀がのるのは初めてみました。きっといつもやっているのでしょう。



日曜日に東京マラソンを走ってから、一日練習を休んで火曜日、水曜日とまた朝の練習を始めました。歳をとると回復が早いのでしょうか、それともレースでぎりぎりまで体力を使うということは出来なくなっているのでしょうか。



4月19日には掛川新茶マラソンにエントリーしています。これからも年に2,3回マラソンを走り続けられればいいと思っています。


東京マラソン完走

2015-02-23 14:09:51 | マラソン

東京マラソンが終わりました。
写真は前日のビッグサイトでの受付の際の写真です。
人物は家族が撮った写真です。

昨年のマラソンの成績が悪かったので、 もうやめ時かと思っていました。

大井川マラソン、一昨年、昨年と2回続けて30キロ以降歩くことになり、タイムはともに6時間半でした。

でも東京マラソンにあたってしまいました。

そこで最近の走り方を反省しました。もう以前の走り方は出来ない、今にあった走りかたをするしかないと思いました。 そこでスタートからキロ8分ペースで30キロまで走る、 その後余力があればペースを上げる。 5時間30分前後が目標でした。 スピードを抑えるためにアイポッドで美空ひばりの歌を聞きながら走りました。 30キロ過ぎのスピードアップは出来ませんでしたが、作戦は成功し、予想通りのタイム5時間33分でゴールできました。

4月19日の掛川新茶マラソンにもエントリーしています。 今回のマラソンの成功で、当分マラソンを続ける自信がつきました。


今回のマラソンでは初めて家族が応援に来ました。
お産を来月に控えた次女の家が 秋葉原にあるので、
浅草橋で応援してもらうことにしました。
駅前は26キロと雷門の帰り30キロ地点になります。



家族の顔はすぐ分かりハイタッチをしました。
長女が写真を撮ってくれました。



明治座そばの交差点で友人も加わったエイドステーションがありました。
その友人には何年も前に一度顔を合わせただけなので顔も分からず、声を交わすことも出来ずじまいで残念でした。

東京マラソン、やっぱりすごいですね。
話題になったランニングポリスの姿も見ました。、
外人の参加が多いのにも驚きました。台湾やモンゴルからの参加者も多かったようです。催しものの踊りや演奏ゆっくり見れなくて残念でした。
東京挙げてのお祭りのようでした。
それに参加できて本当によかった。
来年も当たりますように!でも無理かな。

次は4月19日の掛川新茶マラソンです。
20年前にその前身の掛川小笠マラソンに参加したのが初マラソンでした。
そのときのタイムが3時間44分、それが今ではほぼ2時間遅れ。
仕方が無いことですね。

自分が衰えたことを認めることが新しいスタートになります。
東京マラソンに当たらなければマラソンは諦めていたかもしれません。
東京マラソンは多くのボランティアに支えられています。
皆さんありがとう。応援してくださった方々、ありがとう。


岡村桂三郎展と宮沢賢治

2015-02-19 07:16:31 | 旅行

17日天竜に行ったとき秋野不矩美術館に立ち寄りました。

岡村桂三郎の特別展をやっていました。
まったく知らない作家です。

http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/akinofuku/index.html

大きく張り合わせた板を削ってその上に絵を描くというやり方で、
特に10m以上もある大きな板絵「降り注ぐ」では、黒い画面からいくつもの大小の顔が浮かび上がっていました。



その日の朝東北地方に地震があり、青森岩手に津波注意報が出されました。
「降り注ぐ」を見ていると東北大震災のときに津波にのまれた人々の顔に見えてきました。
しばし呆然と見ていました。

こんな絵は見たことがありません。
ピカソのゲルニカや丸木夫妻の原爆の図を彷彿とさせます。
画家本人の意図は別なのかもしれませんが。

人の命は津波のときのように自然の恐ろしい力の前に翻弄されます。
そのような事態を前にしては呆然と黙するしかありません。

宮沢賢治に「青びとのながれ」という連作短歌があります。

青びとのながれ

680
そもこれはいづくの河のけしきぞや人と死びととむれながれたり

681
青じろき流れのなかを水色に人々長きうでもて泳ぐ

682
青じろきながれのなかにひとびとは青ながき腕をひたうごかせり

683
うしろなるひとは青うでさしのべて前行くもののあしをつかめり

684
溺れ行く人のいかりは青黒き霧をつくりて泳げるを灼く

685
あるときは青きうでもてむしりあふ流れのなかの青き死人ら

686
青人のひとりははやくたゞよへる死人のせなをはみつくしたり

687
肩せなか喰みつくされてしにびとはよみがへりさめいかりなげきぬ

688
青じろく流るゝ川のその岸にうちあげられし死人のむれ

689
あたまのみわれをはなれてはぎしりの白きながれをよぎり行くなり

ーーー
これは宮沢賢治が見た幻視ないし夢に基づいた詩のようで、
同じ描写の「流れたり」という詩もあります。

三陸海岸は明治の大津波、昭和の大津波、チリ地震津波そして今回の大震災と何度も大津波を経験してきています。
私の従兄たちも流されました。

あの「降り注ぐ」という絵はさまざまな災害で失われた人々への鎮魂の意味が隠されていると思うのは私だけでしょうか。


天竜区の「こみちカフェ」

2015-02-18 15:14:25 | 田舎暮らし

近頃は掛川に来るときは、運転が長くなると眠くなるので、東名で来ています。
富士山がきれいに見えるときは沼津や富士川で寄り道して写真を撮っていました。
いまは東名の富士川サービスエリアで休憩しがてら写真を撮っています。



14日も富士山がきれいでした。富士山の南側を見ることになります。


小平では富士山の西側を見ることになり、形が少し違います。
16日は東京マラソンまで1週間をきったので、17キロコースの林道ランをしました。
このコースからは掛川の最高峰八高山(832m)

と修験の山大尾山(おびさん670m)がよく見えます。

原谷川の谷をはさんだ向かいの尾根か ら見 ることになります。
道はかなり登ってスピードダウンしますが、体力づくりには最適です。
麓の日当たりのいいところでは蕗のとうが顔を出していました。


林道の途中でカモシカの姿も見ました。

17日の火曜日、天竜に行ってきました。今は浜松市天竜区になっています。
そこで古い友達が娘さんと一緒に2年前からカフェを開いています。、
まだ行ったことがなかったので、思い切って出かけました。

お店は11時からなので、その前に秋野不矩(あきのふく)美術館を訪ねました。
特別展として「岡村桂三郎展」をやっていました。
この展覧会については次回述べます。

こみちカフェは美術館からちょっと離れた路地にそってあります。
以前教会だった小さな建物ですが、中はしゃれています。


私が行った時は12時だったのでほぼ満席でした。

ランチを出すために仕事が忙しくてあまり話もできません。
でも彼女の笑顔は昔通りで、かえって若々しく見えました。
娘さんと二人で仕事ができるなんて幸せそうでした。

彼女のこれまでの人生を少しは知っているだけに、本当によかったねといいたい気持ちです。

ランチもプレートとパスタとピザの3種類あって、これは毎月メニューが変わるようです。
私はパスタを頼みました。自然素材を生かした料理のようでとてもおいしかった。
から揚げ中心のプレートもピザも、ほかの人が食べているのを見ると食べたくなりました。
これは次回のお楽しみです。

http://komichicafe.hamazo.tv/index_2.html

最近では掛川に来るだけで精一杯でここからほかには出かけなくなっています。
以前は天竜から水窪に抜けて峠をこえて、長野県の飯田から中央高速を通って
小平に帰ったりしていました。行動力の無さが最近の特徴になっています。

これじゃいけないと始めたのが従兄とやっている東京散歩です。
掛川でもこれからはあちこちでかけようと思っています。



高校の同窓会。

2015-02-07 19:44:20 | 日記

先週の土曜日の夜、新宿で高校の同窓会がありました。
といっても自分が卒業した高校の同窓会ではなくて、
40年前に教えていた高校のクラスの同窓会です。

同窓会は5時からでしたので、せっかく都内に出るのだからと、
都美術館でやっていた「新印象派」展を見に行きました。
スーラ、シニャックらの作品が中心で、点描画法を突き詰めて言った画家たちが中心です。
その初期にはモネやピサロも加わっていました。



100点ほど展示されていて充実した展観でした。


1月前半の東京散歩目黒編では庭園美術館のアールデコと新古典派の絵画を見ました。
東京には美術館が沢山あるので、出かけるたびに見るのは楽しみで寸。

同窓会は10年ぶりということでした。
私も前回出させていただきました。
はじめは面食らいましたがしばらく話しているとみな昔の顔がよみがえってきます。
その高校、日本学園高校では勤めたときにすぐ一年生の担任を持たされ、
そのクラスがそのまま3年まで持ち上がりになりました。

そして私は生徒たちの卒業と同時に務めをやめて、島根県に行きました。
そんな変な先生だったので、生徒たちの印象に残っているのでしょう。



生徒たちと話しているうちに歳の差を感じなくなります。
57歳、定年が近い人もいるし、孫がいる人もいます。
病気を抱えている人もいます。
バブルがはじけた時代を潜り抜けてきているので、
皆さんそれぞれ苦労をしています。



先生と生徒という関係がなくなれば71歳の男と57歳の男、
まったく対等の人間同士、でも生徒たちの優しさにうたれました。
老体をいたわる気持ちもあるのでしょう。

こういう繋がりがあることは嬉しいことでした。