竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

糖尿病への新たな挑戦

2012-06-19 09:15:24 | 糖尿病
今回の写真は家の周りの帰化植物です。
ギンバイソウ 家の庭に知らぬ間に咲いています。
 
6月14日の朝日新聞に、糖質制限食のことが載っていました。今まで糖尿病の人の食事はカロリーが問題で、一定のカロリーを超えないような食品を食べることが重要でした。肉類などの高カロリー食品は避けるのが常識でした。

サフランモドキ これも庭に咲いています。
 
でもその記事によると問題になるのはカロリーではなく、糖質、炭水化物だというのです。糖質の少ない食品なら問題は無いと言うのです。
 
私は20年前に糖尿病と分かり、以来運動療法と食事療法により、また血糖測定器で毎朝空腹時血糖を調べることで、進行を抑えてきました。
 
でも5年ほど前から血糖値が下がりにくくなりました。そこで近所の内科医で毎月1回ボグリボースという薬をもらって、毎食前に服用しています。これは炭水化物の消化を遅らせる薬で、毎食前に野菜サラダなどをしっかり食べるのと同じ効果があります。だからいくら運動しても他の薬のように低血糖にはなりません。
 
それでも最近血糖値が下がりにくくなりました。運動もかなりやっているし、食事も抑えている、これ以上何をすればいいのか思いあぐねていたところでした。そんなところにこの記事です。早速その日の昼食から糖質制限を始めました。

バーベナリギダ
 
先月家内と口論したときに、いろいろ面倒をかけているのに感謝の気持ちがない、と指摘されました。そう、その通り、そこで月に一回私のおごりで外食をすることに決めました。先月食べた中華料理店が美味しかったのでまた車で行ってみると、平日なのにお昼時のため満員です。女性同士、老夫婦、そんな人が多いようです。かなり待たなければならないので、近くのステーキガストに行きました。サラダバーは自由、久しぶりにビーフステーキを食べました。
 
アカバナユウゲショウ

その翌日金曜日掛川に出発、東北から帰ったばかりで疲れがたまっていたので眠気覚ましに、ピーナツやアーモンド、煮干などをガリガリかじりながら走りました。血糖値は?まだ下がりません。おまけに消化の悪いものばかり食べたのでお腹をこわしてしまいました。
 
日曜日は午前と午後の二回かご編み教室があります。これはなんとかこなしました。朝から野菜や豆腐やチーズなどを食べていたのでお腹もよくなり、元気も出てきました。日曜は夕方ジョギングをしました。月曜の空腹時血糖値は101、焼肉をバンバン食べました。そして今朝は80、こんなに低いのは久しぶりです。
 
始めて5日目でもう目に見えて効果が出てきています。この食事法を続ける限り糖尿病とはお別れです。

モモイロヒルザキツキミソウ
 
昨日の月曜日の教室でその話をしたら、生徒さんの一人が自分もやっていると言いました。その人は隣町の菊川から来ている人です。血糖値は高くないけれど医者に糖尿病になる危険があると指摘されたので始めたといっていました。私より二歳年下、元気で毎朝散歩をし、よく山にも登るそうです。

オキザリステトラフィラ
 
このクラスは磐田で機織をやっている友人(今はもうからないので休業中、別な仕事をやっています)が自分の友達を連れてきて始めたクラスで、浜松から来ている機織仲間もいます。和裁をやったりフラワーアレンジメントをやる人がいたり、こちらがいろいろ刺激を受けるクラスです。
 
今週の土曜にバリ島に行くと話したら、先週行ってきた、とかもう少し前に行ったという人がいました。工芸に関心を持つ人は行きたくなるようです。

近所の家の庭の名前の分からない花です。
 
フラワーアレンジメントを研究している人は、バリ島で買ったアタ細工の素敵なバッグを持ってきていました。アタ細工は籐より細い植物繊維で巻き上げ編みで編むかごです。以前は素の生地のままでしたが、これはこげ茶色に染めてあります。なかなか素敵なかごです。
 
この人はいろいろな編み方に関心があるようで、その点では私と同じ、いい仲間になりそうです。
 
今月から参加した人は本当は竹細工をやりたい、ということでした。ボーイフレンドが定年になったら竹細工をやりたいので習いに来たいといっている、自分もその人に材料を作ってもらって竹で編みたいといっていました。今現在は私は忙しくて駄目だけれど、11月になったら一緒に山に入って竹を切るところから始めて、個別に教えてもいいと話しておきました。
 
私の究極の目標も竹細工でいいものを作ることです。掛川の教室は四月に個展をやって以来生徒が増えています。東北でもあと一年続ければみんな自分で編めるようになると思うので、もう少し時間のゆとりが出来るでしょう。
 
来年の6月前半、いつも個展をやらせてもらっている静岡市の亀山画廊で、家内と一緒の二人展をやることに決まっています。ボヤボヤしてるとすぐ日がたってしまいます。
 
糖尿病の心配が無くなれば、気分も一層明るくなります。東北でも小平でも掛川でも、人に囲まれて暮らすようになりました。一人好きでもあるのですが、年とってから仲間といる楽しさが分かってきました。

ウツボグサ、これは在来種です。

被災地にて、遠野の帰化植物。

2012-06-18 20:52:12 | 被災地ボランティア
6月12日、早朝ジョギングしてカッパ淵まで行こうとしましたが、小雨が降り出したので少し街のほうに戻って農道を走りました。農家の脇の囲いで親子の馬が草を食んでいました。カメラを構えると少し近づいてきましたが、餌をもらえないと分かったのでしょう、離れていきました。親馬は子馬をかばうように動いています。

 


遠野の野原などに咲いている帰化植物と日本古来の花を写真で紹介します。


 
今日は長部のコミュニティーセンターで朝の10時から昼食をはさんで4時までやる予定です。車を運転して連れて行ってくれたのは昨日の島田さんと同じく陸前高田でコーディネーターをしている吉川さん、もう一人高橋君、かれは釜石中心に活動していた人で、二人とも若く、継続して活動しています。


フクロナデシコ
 
10時に会場に着くとほとんどの人が先に来ていて机を並べていました。午前中はくずかごの縁作り、午後は六つ目編みのかごの底の部分を編みました。来月は六つ目かごの完成と薬玉作りをやる予定。
 
昨日の下の壷仮設で参加者の一人のハサミを私が間違えて持っていってしまったのを、今日島田さんが返しに行くところでしたが、ご本人が長部まで来て、ついでに昨日編んだかごを5セット譲って欲しいと言うことでした。
 
その人は積極的で、下の壷仮設ではかご編みの中心になってくれる人なので、ただで差し上げ、エムズファクトリーから貰っていた本も一冊差し上げました。長部の仮設にも中心になってくれる人がいて、前もってみんなで集まってテープを一緒にカットしています。

これは日本古来の花クリンソウ
 
まごころネットに帰ってから高橋君が自分でかごを編んでみたいyと言うので、夕食前に陰の部屋でかご編みをしました。このかごや薬玉は大槌町のカフェ隊のスタッフ何人かに教えています。いつ何がどんな形で役に立つか分かりませんから、覚えておいて損はないですよね。

これも在来種のオドリコソウ
 
遠野駅を10時に出発するバスに乗ろうといつものスタイル、背中に山用のリュック、片手にキャスター付きのトランクを引いて歩いていました。途中キャスターの具合が悪くなり河岸で調べていたら、車が止まって「駅まで乗っていきませんか」と言ってくれました。知らない青年ですが、車に乗って聞いてみると、まごころネットのスタッフでした。いつも足湯隊の井上さんの下で働いているということでした。
 
井上さんには私も日本財団の頃から教えを受け、現場でかご編みを始めることが出来たのは、足湯隊と一緒のときでした。今回下の壷仮設を紹介してくれたのも井上さんでした。
 
前にも書きましたが井上さんは阪神淡路大震災のときから足湯に参加して活動し、以来災害が起こるたびに足湯をやって、東北でも当初から活動しています。筋金入りのボランティアです。その青年は井上さんのことを尊敬しているといっていました。井上さんは私より若いと思いますが、すごい人です。
 
10月ごろは足湯隊に入ってかご作りをやっていましたが、基本的に目的が違います。そんなことから今は足湯隊とは別になっていますが、井上さんはしっかりした頼りになる人です。これからもお世話になるでしょう。

こんないい人たちとの出会いがあるのも、活動を続けているからです。継続は力なり、そんなことを感じています。

被災地にて、生まれた場所に立つ。

2012-06-17 08:14:24 | 被災地ボランティア
11日は陸前高田市竹駒町の下壷仮設の集会所でかご編みをやりました。ここは20戸ほどの仮設で最近やっと集会所が出来ました。
 
連れて行ってくれたのは先月も同行した陸前高田担当の島田さん、一緒にカナダのトロントから来たギャロウェイさん、この人は日本人でカナダ人と結婚してお子さんもいますが、里帰りのついでにボランティア活動を数ヶ月やっています。出発前にかご作りの練習をやったので、お手伝いしてもらいました。参加者は来月もやりたいというので、継続してやることになりました。
 
陸前高田だと言葉が同じなので、古い言い回しを使ってみんなの笑いをとったりします。私は明治5年生まれの祖母に育てられたので、今若い人には使われなくなった言葉も知っています。ウザネハイテ(苦労して)とか、あっとうであ(ああ尊い、拝むときの言葉)
 
集まったのは8人、スムーズに進行したので残りの時間はアコーディオンで歌を歌いました。帰りに島田さんにお願いして、私が生まれた場所に行きました。以前遠くから見たことはありますが、そばに行ってそこに立つのは初めてです。
 
生まれた家は震災前にとうに無くなっていますが、そのあたり一帯は土台も片付けられ、昔を思うよすがもありません。
 
家からそばの階段を登るとすぐ昔の町役場の跡があります。そこまで津波が来て土台だけが残っていました。

もう少し階段を上がると天照御祖(あまてらすみおや)神社があります。ここは無事でした。


さらに上がると広い原っぱに出ます。そこに日清日露の戦没者を祀った忠魂碑があります。

この辺り一帯が小さい頃の遊び場で、途中の石段のそばの杉の木に開いたうろには狸の目が光っているといって脅かされていました。そのうろは今見ると小さくてリスならいるかもしれません。
 

地図で見るとここは本丸と言う地名です。ネットで調べると室町時代の城跡のようで、子供時代はそんなことは全く知りませんでした。
 
ついでに近くの高田小学校にも行ってきました。途中にあったヤマニ醤油は土台しかなくなっていましたが、小学校に通う途中にあった浄土寺は一部修理して残っています。

小学校1年の終わりまでいた高田小学校は一階を津波に襲われましたが、生徒達は2階に逃げて全員無事でした。ボランティアの活動もあってその4月から授業を再開しています。津波をかぶった場所なので校庭に仮設住宅が建つことは無く、近くの一中の生徒達もクラブ活動をしに来ていました。
 

跡形も無くなったヤマニ醤油も営業を再開しているようです。
 
忠魂碑のあたりは緑が鮮やかで、高田に来てやっと自然に出会えたような気がしました。
 

被災地にて、大船渡のみなし仮設その2

2012-06-16 19:21:57 | 被災地ボランティア
6月10日はやはり大船渡のみなし仮設、雇用促進住宅での活動です。
この日も昨日と同じショッピングセンターで昼食を食べ、
時間があったので盛駅の駅舎を見に行きました。
 
ここは大船渡線と南三陸鉄道がそれぞれ始発駅になっています。
JR大船渡線は気仙沼までは開通していますが、そこから陸前高田、大船渡までは津波で線路も駅舎もずたずたになって、開通の見込みが立っていません。

 
駅舎に貼られた写真より

南北の三陸鉄道は回復しつつあり、二年後には盛から釜石までの南三陸鉄道、宮古から久慈までの北三陸鉄道が全通します。でも釜石と宮古を結ぶJR山田線も開通の見込みが立っていません。


三陸鉄道の盛駅ではNPOが観光センターをオープンさせ、地元産品を売ったりして宣伝に努めています。駅構内の貨車には応援ありがとうの文字が見えます。


客車が一台ホームに止まっていて、時々喫茶室やカラオケルームになって地元の人を楽しませています。



 
三陸沿岸では仙台から宮古、さらに八戸へ続く三陸縦貫自動車道の建設が進んでおり、一部開通していて災害復旧にも利用されました。昨年の5月に陸前高田に行ったとき、山中で工事が進められているのを見てびっくりしました。三陸の人々や産業にとってはこちらも重要な交通路になります。
 
今回も雨の中のテント設営になりましたが、人の集まりはよく、アコーディオン伴奏で歌ってからかご編みをやりました。作った人は15人、一人では大変ですが、一緒に行ったスタッフが手伝ってくれて無事終わりました。
 
リーダーは私より年上の男性、11月から遠野にきて大船渡のカフェ隊で活躍しています。前にも会ったことがあり、これから時々一緒に行動することになるでしょう。

 

もう一人静岡県清水市から来た私より3歳年上の男性がいます。この人は60歳で停年になってから地元でさまざまなボランティア活動を続けているそうです。自分の山小屋を持っていて花や小鳥などの自然に精しい人です。今回は車の運転をしてもらっていますが、何事にも積極的で、雨中のテント設営には雨が降りこまないよういろいろ工夫をして、大活躍でした。多くの人のお世話になりながらかご編みを続けています。
 

被災地にて、大船渡のみなし仮設その1

2012-06-15 21:09:59 | 被災地ボランティア
この日は大船渡のカフェ隊と一緒に、みなし仮設の北里大学の旧寮に行きました。朝は降っていませんでしたが、大船渡に向かう途中の住田町あたりで激しい雨にました。それでも大船渡のショッピングセンターで昼食をとる頃には小雨になっていました。寮のそばにテントを張る時に、また雨が強くなりました。
 
遠野の野にも帰化植物がいっぱいです。
上はルピナス。北海道の道端にもいっぱい咲いています。
下はジャーマンアイリス、畑の耕作跡地は帰化植物の宝庫です。
 
 
みなし仮設というのは市が空いた住宅やアパートなどを借り上げて無料で被災者に貸しているものです。津波のすぐ後から入居が始まりましたが、その後続々と建設された仮設住宅のような洗濯機や冷蔵庫、テレビなどの備品がなく、自分で買わなければなりません。集会所も無いので支援物資も回ってこず、不利な状況にあります。どんな人が住んでいるかも公表されないので、援助の手が差し伸べられません。そんなところにまごころネットが手を差し伸べています。

 
雨の中テントに人が集まって来るか心配しましたが、アコーディオンを弾いて歌っていると集まってきました。何曲か歌った後かご作りを始めました。集まった人は9人、スタッフは5人いるのでみんなに手伝ってもらってどんどん進みました。スタッフもベテランぞろいで楽しい雰囲気で終えることが出来ました。
 
 
サクラナデシコ

スタッフの女性でとってもいい声の人がいたので、皆の要望で二曲ほど独唱してもらいました。
 
別な女性は栄養士さんで、ご飯や肉を食べる前にサラダや野菜類をしっかり食べると、インシュリン不足の人にいいと話してくれました。私が医者から貰って毎食前に服用しているボグリボースは同じ効果を狙っている薬です。でもこの薬には肝臓を傷める危険があり、3ヶ月に1回検査を受けなければいけないので、出来たらやめた方がいいと言っていました。三食サラダや野菜をしっかり摂るのは難しい、肝臓の数値も悪くないので当分薬を服用することにします。

ヒメキンギョソウ

大津波をくぐった父の手紙

2012-06-06 17:33:03 | 被災地ボランティア
昨日陸前高田で被災して、松戸の長男の家に越して来ていた従兄から、父の二通の手紙が送られてきました。従兄はガラス店をやっていたのですが、津波で奥様を亡くされ、店も自宅も流されてしまいました。高田一中の仮設住宅に一人で住んでいましたが、将来のことを考えて越してきたのです。

陸前高田のかっての街並み
 
父の手紙は若き日、17歳で姉、従兄の母親に宛てたもので、医者になるつもりで一高を受験する直前の手紙です。彼のことを心配している姉に精一杯努力していると書いています。もう一通では姉の長女の病気についても心配しています。その長女は嫁に行った先のお寺は流されてしまいましたが、御本人はお元気なようです。
 
母が亡くなった際に高田の従兄の家に立ち寄って、その手紙を見せてもらいました。大津波で彼の家が流されたと知って、もう手紙は無いものと思っていました。
 
その後彼の家にあった2台の金庫のうち1台が発見され、その中に父の手紙も入っていたのです。その手紙を大切に金庫に入れておいた従兄には感謝の気持ちでいっぱいです。

 
 
父は大正1年生まれ、一高受験には敗れ、医者にはなれなかったものの私立大学(夜学だったとか)を卒業して、故郷の高田実科女学校の国語の教師になりました。そして昭和19年に出征し、そのまま帰らぬ人となりました。その時34歳、今の私の長男の年齢で、あまりにも若い死です。
 
 
震災前の高田高校

陸前高田に行くと何度も高田高校の建物を見る機会があります。建物は昔と変っていても懐かしい場所です。高田に行くことについては、父の代わりに故郷の復興のために何かやりたい、そんな気持ちもあります。

 
大船渡の仮設集会所で、高田高校を出たと言う私より少し年上の女性に会いました。その人のお母さんも前身の高田実科女学校を卒業したとか。今月は長部のほかに竹駒の仮設集会所でかご作りをやりますし、大船渡でもやります。何か昔の情報をつかめるかもしれません。
 
被災地に行くと、人の不幸は背中合わせになっていて、人生何が起きるか分からないことを痛感します。ですから生き残ったもの、今生きているものは、苦しいことも楽しいことも全て、精一杯受け止めて行こうと思います。

手紙以外の写真は「未来へ伝えたい陸前高田」タクミ印刷株式会社刊 からカメラコピーをしたものです。

歳をとった今こそ海外へ-2

2012-06-02 12:29:01 | 旅行
クアラルンプールの宿を予約しました。
民芸品や雑貨店が集まるセントラルマーケットの近く、チャイナタウンの中の宿です。
1000円以下のドミトリー形式の宿も沢山ありますが、1000円ちょっと出してクーラー付きの個室です。一泊するだけなのでシャワーもバスもどうでもいい、セントラルマーケットに行って原住民の籠、出来ればペナン族の籠を買いたいのです。


この前に旅行したボルネオのキナバル山。

 
航空券や宿を予約したのはスカイゲートと言う会社。安い宿もいっぱいあります。貧乏くさい男の旅はどこへ行っても危険は少ないので、どんなところにも行けます。現地に行ってから宿をとるのには今まで散々苦労してきています。日本にいながらにして宿を予約できるのはありがたいことです。
 
キナバルバルサム。

東北にはいつもより早めに8日の夜出発して13日の朝戻ります。
15日から21日まで掛川、23日にはバリ島に向けて出発します。
 
忙しい日程ですが、掛川までの往復の車の運転が心配なだけで、
あとはみんなあなた任せ、自分はスケジュール通り行動すればいいのです。
 
掛川では籠編みの教室が4クラスに増えました。
今まで日曜日と木曜日の午後の教室に2回でした。
 
木曜日が多くなったので月曜日のクラスを設け、
日曜日の午前中は地元居尻の人たちのクラスにしました。
 
掛川の教室の生徒さんは、主に掛川市内から車で20分以上かけて通ってきます。
場所は居尻の公民館、この冬から友人の木工作業場から、
暖房もトイレもあるここに移って来ました。
公民館の使用料は700円なので一人100円ずつ出してもらえば間に合います。
 
月曜のクラスは磐田市や浜松市から来る私の友人とその友達。
大勢のクラスだとしっかり見切れないので、別のクラスにしたのです。
6月の教室は雨が降らなければ午前中近くの大尾山に登る予定です。
せっかく遠くから来るので、午前中は別の楽しみを考えています。
そばに日帰り温泉もあるし、いい場所なんです。
子供達には川もあって遊ぶことがいっぱいあるけれど、
おばさんたちにはどうでしょうか。

 

紙テープで編んだカエル、馬、シュロで編んだバッタ、
秋だったら草を使った籠なども出来ます。


友達は機織をやるので、何か提案があるかもしれません。
 

バリ島に行って見てみたいのは、様々な使われ方をした竹その他の編組品です。
その中には教室の遊びに使えるものがあるかもしれません。