竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

森の教室

2009-09-30 05:44:57 | 竹工芸
今日は昼から、木工旋盤をする友人と二人で、
図書館と市役所に行きました。
図書館のギャラリーを借りるためです。
社会教育課の推薦をもらえば、無料でギャラリーを借りられます。
売ることはできませんが、教室を開くための発表会をやる、
という私たちの計画にはぴったりの場です。
 
写真は全て木工旋盤をやる友人のものです。 

 
発表会は「森の教室」ースローライフの里でー という名前にするつもりでした。
 
掛川市は前の前の市長のとき、生涯学習都市宣言をやったり、
七期続いた任期の初めごろは工芸コミュニティー構想を打ち上げたり、
終わりごろは、スローライフをうたっていました。
 
彼が辞めてから四年半、スローライフがどうなったか分かりません。
でも3人で発表会をやっても大して人を集められない。
行政の力を借りてなんとか、と考えていました。
 
私は山村の昔からの技術(味噌作り、こんにゃく作り、炭焼き・・)
を町の人に伝える場をイメージして、
そういう森の教室の一環に、
私たちの発表会を持って行きたい、と考えていました。
社会的に意味のある広がりを匂わせないと、
応援もしてもらえないのでね。
 
そのための場所が、ちょうど今あるのです。
地区の小学校が来春で閉じます。
その後の建物の利用法はまだ未定のようです。
それを使って、スローライフセンターのようなものが出来ないだろうか。
 
手仕事をやる部屋が、木工とその他で二部屋、
料理をする部屋が、給食を作る部屋があるのでそれを一部屋。
ユースホステルやドミトリーのような二段ベッドの宿泊できる部屋が二部屋。
他の部屋のことはまた考えればいい。
 
そんなことを夢見ていました。
 
地域振興課に行ったら、ちょうど小学校の建物の利用法について、
地区と話し合っていて、一応案を練っている段階でした。
私が考えたこととよく似た計画もあるようです。
でもでも地元の木工の友人が初めて聞くぐらいなので、
どうなることやら。
施設の管理の母体をどうするかなど、
難しい問題が山積みのようです。
 
とりあえず私たちは「森の教室」を開きます。
初めは自宅で、
でもその内に小学校を使うことも出来るかもしれません。
でも去年から話し合ってまだ決まらないんだから、
あまり当てに出来ませんね。
 
3月の17日(水)から20日(土)まで四日間、
図書館ギャラリーを使って発表会をやり、
「森の教室」をスタートさせます。
 
まず一歩踏み出しました。
今度掛川に来たら、我が家でパーティをやって、
ほかの友人達の意見を聞くつもりです。


四次元の世界

2009-09-28 06:16:11 | 日記
毎日夕方になると、パーキンソンの友人のところに話にいきます。
私のできることは話をすることだけ、と思っています。

秋海棠
 
彼はよく夢の話をします。
体が硬くなってだんだん動かなくなる、という感じをもっていて、
足を軽くゆすってもらうと力が抜けて軽くなる、
するとすーっと4次元の世界に入っていく、と言います。
 
そこには老いも若きも大勢の人が歩いている、
顔ははっきりしないし、何をする人かも分からない、
ただ歩いているといいます。
そうしている内に、体が心臓から遠い部分からしびれてきて、
心臓に近づいてきて、いよいよ心臓かと思ったとき、
パッと電気がついたように生き返るんだ、と言います。
 
普通パーキンソンの人は認知症にはならないといいます。
デイサービスの経験でも、碁を打ったり、俳句や短歌を作る人もいます。
薬の影響で認知症になる人もいるようですが、
彼は意識がはっきりしている。だから恐怖も感じるのです。

 
一昨日はシャワーを浴びたいと言って、回りが引き止めるのに、
自分で手すりにもつかまらずにスタスタ歩いていったそうです。
シャワーのことばかり思いつめていたからのようです。
 
彼が自分の今の状態に慣れていけば、もう少し安定して、
動きが良くなるかもしれません。
まわりはそれを期待しています。
 
ススキの花

カモシカに会う

2009-09-27 09:11:28 | 竹工芸
昨日と今日、二日続けてジョギング中にカモシカに出会いました。
林道のほとんど同じ場所で同じ時間、6時半ごろです。
 
川沿いの道
 
昨日は私を見て道から右手の山の下り斜面を降り、
立ち止まってじっとこっちを見ています。
 
私も立ち止まって、ただ見ているのも変だから、
ちょっと話しかけました。
一人なのか、とか、朝飯はくったか、家族は何人か、など。
口をもごもご動かして話したそうでしたが、
声は聞こえません。反芻しただけかも。
その内下に下っていったので、
私も走りさりました。
 
今朝は道で出合ってすぐ、左の山の登り斜面に登っていき、
姿が見えなくなりました。
カモシカが姿を見せるようになったのは、
10年ほど前からでしょうか。
 
 
イノシシもその頃から人里に現れるようになりました。
里に人が少なくなるに連れて、イノシシやカモシカが増えて行きます。
 
里では家のまわりの菜園にもイノシシが出て荒らすので、
垣根や電柵で囲むようになりました。
ししがき、という古い言葉が復活してきました。
 
掛川市の最高峰八高山(832m)

山村の木工と竹の教室

2009-09-26 05:12:40 | 竹工芸

シシウドの花
 
昨夜、我が家で地元の木工をやる二人と私で、初会合をやりました。
発表会を掛川の図書館ギャラリーでやること、
発表会の中で、N氏の木工轆轤やM氏の簡単な家具、エコクラフトや竹細工の
教室をこの地で開くことを宣伝して人を集める、
そんなことが決まりました。
 
とりあえずN氏と私が来週火曜日に図書館のギャラリーを見に行き、
市役所の社会教育課に行って応援を頼む、
市長もNの知り合いなので、市役所にいたら会って応援を頼む、
そんな相談が出来ました。
 
発表会の時期は二月か三月、その辺は会場の都合によります。
 
次会は、今度私が来る来月中頃、ちょうど私の家内も来るので、
陶芸家や機織の友人達にも声をかけて、
囲炉裏を囲んで持ち寄りパーティーをやろう、ということになりました。
 
この地の生活を楽しみながら進めていきます。


朝露
 
お盆前に思いついたことが少しずつ実現していきます。
人が集まればもっといい考えが浮かぶでしょう。
東京と掛川の往復生活が、少しでも地元の役に立てればいいですね。
 
私の一番の友人S氏は病気が少し重くなっています。
昨日は、いつも空を飛ぶ夢をみるんだと言っていました。
時々東京から来る彼の息子は、この春木工の職業訓練校を出ているので、
一緒にやれればいいなと思っていますが、それは先のこと。
 
昨夜は上弦の月を見ながらドラム缶風呂に入りました。
ここでの暮らしのよさを、町の人たちにも楽しんでもらえればと思っています。

サクラタデ

友人の病気。

2009-09-24 05:46:50 | 日記
昨日癌と闘っている友人からメールが届きました。
現在寛解の状態にあり、
楽しみにしていたフィルハーモニーのコンサートにも
参加できるようになったとのことでした。彼は趣味でチェロを弾きます。
 
去年の夏癌が発見されて、あと半年ぐらいと言われていましたが、
なんとか頑張って今に至っています。
彼は小、中、高、大と同じ学校で学び、
同じクラスになったのは高校で一度きりでしたが、
仲のいい友達の一人です。
昨秋会いたいというので、
別な友達と二人で、鎌倉の自宅まで会いに行きました。
元気な顔を見るのはこれが最後か、と思っていたのですが、
まだ元気だと知ってほっとしました。
 
 
イタドリの花
 
近所のパーキンソンの友人は一進一退、
昨日は、昔一緒に水彩画の教室に通っていた頃の話をしました。
言葉がスムースに出にくくなっていますが、
だからこそゆっくりでも話すのが大切です。

ヤマホトトギス
 
明日の晩は木工をやっている仲間が二人来て、
懸案の図書館ギャラリーでの発表会の相談をします。
なかなか忙しい毎日です。
 
 

秋を走る。

2009-09-21 12:36:41 | 山野草
今朝は久しぶりに山村のジョギング、彼岸花や黄花コスモスが満開だ。
9月の初めには見なかった花が咲き出している。
 
黄花コスモス
 
シシウドが花火のような花を開かせ、ホトトギスも咲き出した。
ツリガネニンジン、カラスノゴマ、ツリフネソウが咲き、
アオツヅラフジの実も色づいてきている。
シシウド
ホトトギス
ツリガネニンジン
カラスノゴマ
ツリフネソウ
アオツヅラフジの実
 
帰りに元の家のあたりでかっての隣組のおばさんが、
庭掃除をしていたので、立ち寄って話を交わす。
もう84歳、足が痛いのであまり歩けないと言いながら、
草取りや洗濯物干しなど、出来ることはなんでもやる。
 
山村のおばあさん達は忙しい。
若い人はみな町に働きに行くから、
家事をやり、畑を作り、草取りをやり、
動けるうちはこま鼠のように働く。
 
逆にのんびりすることが罪悪のように思っている節がある。
私などは悪の塊かもしれない。
 
まあ、私はこの地では異邦人のようなもの、
もともと変な人なので、そういう人として許容されている。
 
別れるとき彼女の写真を撮った。
写真を撮られるのは久しぶりだと喜んでくれた。
 

静かな朝。

2009-09-20 06:15:43 | 田舎暮らし
昨日から静岡に来ています。友人のところに行ったら、状態は少し悪くなっていました。食事はいつも介助が必要になり、夜中にも何回も呼ぶので回りが眠れない、足の動きが悪くなっているなど。奥さんもお嫁さんも丈夫なほうではないので、医者は施設に入れたほうがいい、と助言したようです。
 
長期療養型病棟なら常時医者がいるし、リハビリもやってくれるので、そこに申し込んだ、今は空き待ちの状態と言うことでした。彼にはそのことをまだ話していないそうで、息子が東京から来たら話すようです。
 
彼とは昔一緒に水彩画教室に通っていた頃の、知り合いについて話しました。私は一年ほどでやめ、彼はずっと続けて今度倒れるまで描いていました。病棟の個室に入ったら、話し相手もへるでしょう。でも彼は本当に頭のいい、優れた人です。どんな状況も落ち着いて受け入れることでしょう。彼のそばにいると、こちらも何か厳かな気持ちになります。
 
昨日は懸案の家の修理を目いっぱいやりました。一人暮らしが戻ってきました。今朝はモズの声がしています。静かな朝です。
 
一昨日まで四日続けて20キロランをしたので、体重が減りすぎました。お菓子をやめて二十日になるので、その影響もあります。空腹時血糖は90以下に下がって安全圏です。
 
お菓子を食べずに、血糖値も上げずに、運動も十分やって、いかに体重を減らさないかが今後の課題です。蛋白質を多く摂ることでしょうね。
 
いかに安い食材を使って課題をこなすか、これがまた楽しみなんです。先月はオカラ入りのホットケーキを作っていました。これはおいしかった。人参をすりおろして入れたらやわらかくなり過ぎました。すりゴマを入れたら成功。
 
オカラ、すりゴマ、卵、牛乳、強力粉、砂糖に塩少々、これが私のお気に入りです。
 

修理した玄関脇の壁。板を張って塗装しました。

開発のかげで。

2009-09-17 04:30:58 | 歴史と人類学
 
川田順三がナンビクワラ族に会った4年後、
この地域は世界銀行の資金援助により開発が進められた。
舗装道路が作られ南部の貧困層が入植した。
 
ナンビクワラ族のある村はブルドーザーによって蹂躙されてしまった。
 
開発するために森林が伐採され、除草剤が散布された。
しかし土地は現代農業を進めるには不毛だったため、まもなく放置された。
計画は失敗に終わったようである。
後に残されたのは、生活基盤を奪われて、無理やり同化させられた人々と、
枯葉剤の影響である。
 
インデイアンの精神世界について、北米のヤヒ族の最後の生き残り「イシ」の伝記が豊かに語っている。これはイシに出会って彼について研究した高名な人類学者のアルフレッド・L・クローバーの奥さんが二人の死後書いた本で、感動的なものである。ちなみにクローバー夫妻の娘が「ゲド」戦記の著者アーシュラ・K・ルグインである。
 
 
精緻な網代編みの籠を編むデサナ族について、それを研究したドルマトフが「デサナ」-アマゾンの性と宗教のシンボリズムーという本を書いており、これは翻訳がある。その本が昨日私の手元に届いた。
 
デサナ族出身で、都市的な教養を身に付けた一人の男と、人類学者ドルマトフが大学の研究室で七ヶ月にわたり延べ300時間インタビューし、それを著者がまとめ、二人でチェックしあって出来上がった本だという。
 
網代編みの本と、デサナ族の精神世界を伝える本を読むこと、それからデサナ族の籠の網代編みの模様を編むこと、これが当分続く私の旅になりそうだ。
 

竹?を割くデサナ族

はだかで暮らす人たち。

2009-09-14 06:28:01 | 歴史と人類学
 
アマゾンの奥に裸で暮らすナンビクワラ族がいました。主に採集狩猟生活を送っていて移動の際は、女達が大きな籠に全てを入れて背負います。寝るときは焚き火のそばで灰にくるまって、夫は妻をうしろから抱き、母は子を胸にかかえ、独り者は両手を腿の間にさしこんで、エビのようにからだを曲げて寝るのです。
 
彼らには挨拶言葉がありません。物をもらったら黙って受け取る。それだけ。こちらが何かほしいと言えば作ってくれたりする、でも御礼は求めない。
 
子供をとても可愛がり、叱ったり躾けたりすることもありません。犬やオウム、鶏、猿が子供達と同じように可愛がられています。(イギリスでは犬さえも見事に躾けられています)
 
 
毎日の生活にも決まりがありません。それぞれが食べたいときに食べ、寝たいときに寝る。
 
今から20年ほど前に彼らを観察した川田順三は、「われわれのゴタゴタした社会では、めったに到達できない解脱の境地に、無一物で暮らす彼らは、ごくあたりまえに入ることができるのかも知れない」と語っています。
 
子供や小動物を可愛がること、正座をしてすわることなどから、川田順三は日本人によく似ていると感じています。かって日本の庶民は、裸をあまり恥ずかしがりませんでした。庭先で行水をして、それが外から丸見えだったり、外国人が通ると聞けば男も女も素っ裸で外に飛び出して見たりしていました。私の子供の頃も人前で赤ちゃんにおっぱいをやるのは当たり前でした。
 
儒教道徳が身につかなかった日本人は、かなり古い生活文化をどこかに残しています。躾けのできてない私も、せっせと竹細工に励むことにしましょう。
 
 
 
レヴィ・ストロースの「悲しき熱帯」を読みかけてから、不思議と南米に縁があります。「悲しき熱帯」のなかに印象的な部族ナンビクワラ族を、レヴィ・ストロースの弟子で、「悲しき熱帯」を訳した人類学者の川田順三が、レヴィ・ストロースの調査から50年後に訪れています。その記録が「ブラジルの記憶」です。

なんとすごい網代編みか。

2009-09-13 05:17:54 | 歴史と人類学
南米アマゾンの奥、コロンビアとブラジルの境に、デサナ族がいます。
彼らの編んでいる網代編みのかご、これがなんとも素晴らしいのです。
 
 
 
この写真は Gerardo Reichel-Dolmatoff (著)
Basketry As Metaphor: Arts and Crafts of the Desana Indians of the Northwest Amazon 
 
からのコピーです。ある本の裏表紙に籠の写真が模様のように使われ、
その写真の出所の本の名前がこれです。
 
この本を国会図書館から借りて、時々小平市の中央図書館の閲覧室で読んでいます。というよりコンパクトデジカメで撮影しているのです。
彼らはほとんど裸で暮らしている人々で、人類文化のレベルからいえばもっとも原始的といわれる生活をしています。そんな部族がこんな精緻な網代編みのかごを編むのです。
 
もう一つ、前にも写真を載せたボルネオのプナン族の籠を見てください。
プナン族はボルネオの最後の狩猟採集民と呼ばれています。
この網代編みもすごい。
 
 
そのうち実際にこれを、素材が違うので模様だけ竹で編んで見ますが、
頭が変になりそうなほど複雑です。
 
実用性を考えたらこんな複雑な模様を作り出すはずがないのです。
 
この模様は何を意味しているのか、それを追求したのが上に載せた本です。
 
これから読み進んでいくので、だんだん分かってくるでしょう。
薄い本ですが、私の英語力では時間がかかりますね。