竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

被災地でのボランテイア その1

2011-04-30 16:48:42 | 日記

28日の午後陸前高田を発って夜遅く小平に帰ってきました。
東京の従兄弟達のお見舞いを届け、
現在の惨状も見てきました。
 
以下は私がいた日の陸前高田の画像です。
 
 
到着した翌日の27日は瓦礫の片付けのボランテイアをやってきました。
やっていた場所は津波が到達した境界辺り、高台との境目です。
重機で片付けた後の後始末で、残った瓦礫を集め、
更地にしながら瓦礫の中の写真とか本とか、
思い出になりそうな品は拾い集めておきます。
瓦礫はまとめて、重機で扱えるようにします。
 
そんな人手による片付け作業は陸前高田では始まったばかりです。
今後どれだけの人手が必要になるか見当がつきません。
人手も時間もかかります。
津波の跡は一面の焼け野原のような光景です。
 
一日働いて気づいたことは、ここでは現在車がなければ活動できないことでした。
そして車は大渋滞を引き起こしています。
 
内陸からのルートは現在一関ルートと盛岡遠野ルートの二本しかありません
気仙沼からの海沿いルートは橋が流されて通行不能です。
 
その二本を通って復興作業の自衛隊その他の車両、物資や水を運ぶ車両、
道路の復活や給油所の復活によって、
現地の人々へのお見舞いに来た車両がどんどん入ってきます。
その二本は途中で合流するので渋滞の元になっています。
その流れが津波を免れた高台に集中してきます。
 
そこには高田一中の最大の避難所、仮設住宅、仮設の市役所、銀行その他、
都市機能が集中しています。そこでも渋滞が起こっています。
 
ボランテイアセンターは中心から10キロも離れた、盛岡ルート沿いに出来ました。
毎朝そこに車で通い、ボランテイアが必要な場所を聞いて、
そこまで自分の車で行き、終わったらセンターまで戻らなければなりません。
ボランテイアの要請があって初めて、そこにいって作業をするわけですから、
センターから出発しセンターまで戻って、報告するのがボランテイア活動の大原則です。
 
被災地周辺は安全のためにテント泊は禁止されています。
個人のボランテイアは車中泊しかありません。
 
私は災いを免れた親類の家に泊まるよう勧められましたが、
ボランテイアに行ってそんなことは出来ません。
たまたま被災地との境目に温泉の湯治宿が残っており、
そこに二日間泊まることが出来ました。
 
ボランテイアセンターまでは、高田まで一緒に来た従弟が送ってくれました。
センターでは不足していると言う介護の仕事を希望しましたが、
もう人は足りていて、瓦礫片付けの仕事がいくらでもありました。
同じ場所に行く個人ボランテイアの車に乗せてもらって、
瓦礫の片づけをやったわけです。
 
終わってセンターから宿まで一時間半歩いて帰りました。
ここでのボランテイアは車なしでは続けられないことが分かりました。続く


4月23日(土)のつぶやき

2011-04-24 02:15:20 | 竹工芸
06:52 from goo
陸前高田へ行ってきます。 #goo_kodairagakuen http://blog.goo.ne.jp/kodairagakuen/e/332cdd8a5d966fc15b38a25b16002ee1
07:39 from ついっぷる/twipple
来週火曜日から陸前高田に行きます。現地の親類に東京の親類のお見舞いを届け、一週間ほどボランテイアをして来ます。山用のテント寝袋自炊道具8日分の食料持参で、行きは同じく高田に行く従弟の車に同乗、帰りは5月3日夜高田発新宿行きのバスを予約しました。行動できることでほっとしています。
by akaisi7230 on Twitter

陸前高田へ行ってきます。

2011-04-23 06:50:19 | 日記

4月26日に陸前高田に行くことになりました。
来週とゴールデンウィークは用事がないし、
陸前高田に行く公共交通機関が動き出したので、
バスで盛岡に行き、そこから高田に行く朝晩二便だけのバスに乗るつもりでした。
小平の従兄弟達を代表して現地にお見舞いを届け、
高田で出来ることがあれば、一週間ほどお手伝いしようと思ったのです。
 
兄一家三人を失った茨城にいる従兄弟が車で高田に行ったので、
電話で事情を聞いたら、また車で行くつもりだから一緒に行こうと言ってくれました。
彼は高田の避難所に一人残っている姉を、茨城の自分の家に連れてきたいのです。
 
私は小学二年になるときに一家を挙げて小平に越してきました。
でも先祖代々高田にいましたし、亡き父も母も高田出身です。
私の代で高田との縁も切れますが、
それでかえって出来ることはやりたい気持ちになります。
 
「お金のある人は義捐金を、力のある人は力を、何もないと思っている人は
元気を出しましょう!」という言葉を堀さんのコメントで知りました。
鬱々として過ごすよりも、現地に行こうと思いました。
 
山用の一人用テント、寝袋、自炊道具、八日分の食料持参です。
荷物は多くなりますが行きは車でいけますから、大丈夫です。
帰りはネットで調べたら、陸前高田夜始発の新宿へ行くバスがありました。
バス会社の配慮で陸前高田から一関インターまでは無料になっていて格安です。
予約制で5月3日の夜の便がとれました。
 
明日日曜にはこちらで教室があるので、その後小平に発ち、
月曜日には小平のボランテイアセンターでボランテイア保険に入ります。
 
陸前高田は街が壊滅しているので、
地元の人か団体以外はまだボランテイアを受け入れていません。
気仙沼市ではもう個人ボランテイアを募集しているので、
しばらくそちらに行くか、高田の避難所で地元の人間として働かせてもらうつもりです。
糖尿病があるので毎朝早朝走ることになります。
元気でさえあればやれることはある、そう思って頑張ってきます。
 
 


4月19日(火)のつぶやき

2011-04-20 02:13:35 | 竹工芸
09:15 from ついっぷる/twipple
一昨日掛川新茶マラソンを走って、今朝から練習です。今回掛川に来てから初めていつものコースを走り、季節がどんどん進んでいることを感じました。朝は雨模様、でも桜と新緑で、今が一番美しい季節かもしれません。自然に癒されています。 http://p.twipple.jp/LaYg9
20:48 from ついっぷる/twipple (Re: @sachino_senmaya
@sachino_senmaya ご心配いただいて有難うございます。小学校一年までいた陸前高田は思い出がいっぱいで、その後もずっと帰りたいと思っていました。後の島根や静岡での田舎暮らしは、帰るに帰れぬ田舎を求めてのことだったようです。思い出のなかの町は再建しようもありません。
by akaisi7230 on Twitter

掛川新茶マラソン

2011-04-18 19:21:20 | マラソン

掛川の家の周りの花桃

昨日掛川新茶マラソンを走りました。このマラソンで頑張って、新しいスタートを切ろうと思っていました。
でもものごとはそんなにうまく行きません。
めずらしく前半快調に、いつもより速いペースで走りました。
もしかしたら4時間を切れるかもと思ったのもつかの間、
25キロ辺りから坂が連続し、どんどんペースが落ちて行きました。
 
このマラソンは11回目ですが、近年コースが変って坂が多くなり、
それに閉口して四,五年出場していなかったのです。
 
以前は後半つま恋のゴールにいたる坂しかなかったのに、
今は後半は坂の連続になっていました。
以前は掛川小笠マラソンとして、菊川町の中も走って平坦なコースを取れたのに、
今は掛川市単独主催になって小笠山の起伏地帯を走ることになったのです。
 
ゴール近くまでとりあえず走る形はとっていたものの、
そばで歩いている人とスピードは変りません。
足も動いてはいますが疲れがたまっています。
頑張って走ってダメージを受けるよりは、と歩き始めました。
時間は4時間36分58秒、予想外のタイムでした。
 
初めのうちは30キロまでは普段の走りをして、
30キロ以後は大津波のすごさを想像して、
それに立ち向かうつもりで頑張ろうと思っていました。
でもでも、手もなく津波にひねられ沈没してしまいました。
 
とにかく震災の日から津波の惨状が頭から離れません。
以前のように気持ちよく走るということが出来ません。
糖尿病対策として走っているだけ。
 
震災で故郷の陸前高田市が壊滅し、親類が亡くなったり被災したりして、
暗い気持ちで過ごしています。
ゴールドコーストマラソン参加は自粛しました。
したがって来春のボストンマラソンもあきらめました。
今年は仕方がないですね。

今年も桜が咲いています。掛川の家のまわりは花桃がいっぱい。
一週間前玉川上水ではカタクリやシュンランも咲いていました。


でも気持ちがはずみません。

この震災でなんだか急に歳をとった気がしています。
でも走るのをやめれば一層歳をとります。
元気を保つためにも頑張って走り続けるつもりです。