竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

スペイン巡礼 その32 飛行機の中で

2016-07-31 12:48:10 | スペイン巡礼

以下の写真は巡礼中に見た印象的な花です。

6月26日、やっと自宅に帰って来ました。帰りの便は以前慌てて注文したためにエールフランスの羽田行きの直行便があるのに、KLMオランダ航空のアムステルダム乗り継ぎ便で成田空港行きを予約してしまいました。それで朝7時のホテルの送迎バスでシャルルドゴール空港に行き、そこから1時間半かけてアムステルダムへ、そこで2時間待ちで成田行きのKLMに乗り変えました。

でもこんな面倒をしたことが思わぬ結果を生みました。隣の席に坐った中年の女性が日本人らしく、小学校の説明書を頻りに見ています。そこで話しかけてみたら、父親が日本人で母親がドイツ人それで名前も日本名だけれど、今はオランダの大学で社会学を教えているということでした。今回は学会などで1週間の日本旅行だけれど、いずれもっと長期に日本に来たいので、娘(7歳)の入る学校を探しているということでした。

彼女の研究テーマは第二次大戦中のオランダの植民地インドネシアで、進出してきた日本人と現地人との間の子供やオランダ人と現地人との間の子供たちがどうなっているかということ。彼らの多くはオランダに帰り生活しているけれどかなり差別的なあつかいを受けている、オランダはインドネシアを植民地にしていた時に現地人にひどい扱いをしていたのに、そのことへの反省の意識は全くなく、むしろ自分たちを追い払った日本に対して反感を持っている、歴史認識があまい、などと話していました。

彼女自身は日本人とのハーフ、彼女の夫はユダヤ系ロシア人で、ロシアでもアメリカでも迫害された経験があるとかで、現代の国際社会で故郷喪失者のような経験をしているようです。

彼女はアメリカに留学して学位論文はアメリカの大学に提出して学位を受けたそうです。今では学位を持つ人の数が多く、特に文科系の博士は就職難で、彼女は今のオランダのライデン大学の教授職を得るまでに5年かかった、それは早いほうで、40,50になっても職を得られない人がいるとのことでした。彼女は国際語として各地で有力な英語での学位をとったことがオランダでの就職につながったそうです。

彼女が日本に留学していたころ志戸呂焼きの窯元で陶芸の勉強をしていて、陶芸を続けるか学問に生きるか悩んだそうです。今でも手仕事が好きでまた何かやってみたいといっていました。学問の上でも人として生きるという上でも、手仕事は心を安定させる、頭だけを使って生きれば、心の発達がおろそかになる、手仕事や運動が現代文明のゆがみに抵抗する手段だ、ということで私たちの意見は一致しました。もちろん私の仕事が竹細工で今も毎朝ジョギングしていることなどを話しました。

彼女の話で特に関心があったのは私のドイツ人の友人のことがあるからです。彼も満州国での日本人や現地人のための教科書の研究をしてドイツで」学位論文を提出して博士号を持っているけれど、なかなか大学に職を得ることができずに悩んでいます。

彼もすごく優秀な青年で、大学の研究職を得られずにいます。でも多くの人がそうなんだと思えば、我慢して機会を待つことが出来るかもしれません。最後に彼女と名刺を交換して別れました。私よりも友人のほうが彼女と親しくなるといいような気がします。

最後の最後でとても有意義な出会いがありました。

もう一つ、家に帰ってスマホのシムカードを交換しようとしたら変なところを開けたらしくて作動しなくなってしまいました。長男と次女が専門家なので、おまかせすることにしています。しばらくスマホは使えません。