竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

アルミ缶風車と竹のトンボ。

2011-11-30 08:23:24 | 日記

昨日で竹伐りは終わりにしました。
竹細工に没頭する暇がなくなってきました。
まだ作るものがありますが、それ以外にやることが増えて・・・・

 
今日はのんびりいつもと違うことをしました。
一つはアルミ缶の風車作りです。
今近所で流行っていて、木工轆轤をやる友人も熱中しています。
私もちょっとだけやってみましたが、すぐ飽きてしまいました。
でもネットでハサミを使わずカッターで切るやり方を知って、
これなら道具要らずだからどこででも出来るかと思い、試してみました。
 
初めの2、3個は不細工でしたが、
だんだん慣れてくると、よく回るきれいな風車が出来てきました。
 

竹のトンボは本に載っていたものです。
空に飛ばす竹とんぼはよく作りました。
でも竹で出来たトンボを作るのは初めてです。
これも慣れればきれいなトンボが出来そうです。
バッタやカマキリ、カブトムシも出来るようになればいいですね。

 
シュロの葉で作るバッタ、クラフトテープの馬や蛇やカエル、
だんだんレパートリーが増えてきました。
 
来年6月に予定している中央図書館のギャラリーでの森の教室展、
今度は子供の手作りおもちゃも展示して、
子供達と一緒に作ろうと思っています。
被災地の子供達とも一緒に作りたいものですね。

 

 


アコーディオンの修理、高居さんのこと。

2011-11-29 09:53:33 | 日記

 

60になってデイサービスで働き出してから、
アコーディオンを習い始めました。
月1回一年ほど習ってやめてしまいましたが、
練習用にオークションで中古のアコーディオンを買いました。
値段は6万円、41鍵120ボタンですから、
こちらの腕前さえ良ければ十分です。
でも一部に不安定な音があり、何しろ10キロと重いので、
デイサービスには中国製の安くて軽いアコーディオンを持っていっていました。
 
私の場合歌を歌うのが中心ですから、
メローディーしか弾かずに済ましていました。
 
岩手に行ってアコーディオン伴奏で歌を歌うことになって、
デイサービスで使っていたアコーディオンは、
遠野のまごころネットに送ってしまいました。
 
今も東京にいる二週間の間に4回ボランティアで、
デイサービスに歌を歌いに行っています。
そちらで伴奏に使うために重いアコーディオンを使うことになりました。
 
同じデイサービスにアコーディオンを弾きに来ている人、高居さんがいます。
この人は長年銀座のクラブでアコーディオンを弾いていた人で、
伴奏なら何でも出来るアコーディオンのプロです。
デイサービスで知り合う前、ジョギング中にいつも顔を合わせていて、
顔なじみだったので、デイサービスで顔をあわせてびっくりしました。
 
おまけにこの人は家も近所で、不思議な因縁があります。
昔々、岩手から小平に越してきたばかりのとき、
地元の神社のお祭りで、隣のお屋敷が御神輿のお旅所になり、
広い芝生の庭で子供音楽会も開かれたのです。
その時私は「浜千鳥」を歌って鐘を鳴らしましたが、
その時の伴奏者が高居さんだったのです。
 
高居さんは今86歳、穏やかで上品な笑顔の素敵な男性で、
ちょっと言葉を交わした家内がすっかりとりこになってしまいました。
 
夏に体調を崩してボランティアを休んでいましたが、
11月からまたあちこちで始めるそうです。
ご自分で車を運転していくのですからすごい!
数年前銀座に行ってた時はやはり自分で車を運転して行ったそうです。
 
アコーディオンの調律と修理の場所を教えてくれたのは高居さんでした。
見積もってもらうと7万5千円かかるということでしたが、
電話の応対をしてくれた人が、話しだけで腕のいい職人さんと分かりましたので、
お願いしました。一週間ほどで立派になって戻って来ました。
同じアコーディオンが中古で30万以上もしているので、
大切に使って上達しなければなりません。
 
毎日練習すること、これが第一です。
 
写真は日曜日に掛川の第5地区の生涯学習センターで作ったバッグ。

 
 

 


掛川で33年後にしてやっと・・・・

2011-11-27 18:32:38 | 竹工芸

 

今日は掛川市の第五地域生涯学習センターで、クラフトテープの籠作りをやりました。集まったのは46人、こんなに大勢に籠作りを教えるのは初めてです。前もって教室の生徒さんの一人に助手をお願いして置きましたが、とても足りません。そこで始まる前にスタッフの方たち8人ほどに基本的な底編みのところを教えておきました。
朝のアオサギ
 
50人近くになるといろいろな人がいます。私の話を聞いていない人もいます。私の言っていることをスタッフの方達が理解して、回りに教えることが有効になります。まあ、いろいろな人がいて進み方もいろいろでしたが、なんとか皆さん終わりまでたどり着きました。
 
苦労すればするほど出来上がれば嬉しいものです。2時間半の予定が3時間近くかかりましたが、皆さん完成した籠を持って、楽しかったといって帰って行きました。
地元の人が植えて育てた皇帝ダリア
 
33年前、私は一家で島根県石見銀山から掛川市に引っ越してきました。当時の掛川市長の榛村純一さんが掛川を生涯学習都市と宣言して、全国の評判になっていました。島根の新聞で市長さんが過疎地にも詳しい人だと知って、過疎地があるかどうか尋ねたところ、掛川にも過疎地があるからと、呼んでくれたのです。
おやまの農園ほーんびるで飼われているヤギ。
 
竹細工は下り坂の時代、私自身なんとか生活を立てなければならず、家内の作る紙塑人形と一緒に個展などを開き始めましたが、市長が目指す生涯学習のために役に立つには程遠い存在でした。
 
33年たってやっと、生涯学習の一環としての籠編みの指導が出来るようになったのです。長い年月自分のことで精一杯でしたが、やっとこの頃、それも竹細工からクラフトテープの籠編みに変って、少しは出来るようになったのです。
 
故郷の岩手県陸前高田市そのほかでも籠編みの指導を始めました。小平の公民館でも籠編みのサークルが4箇所あります。時代の流れと言うのか、これもめぐり合わせでしょうね。
 
46人分の材料つくりは大変でした。でもこちらも大変なだけ、やり終えた満足感があります。自分が元気なうちしか出来ません。これからも無理せず走り続けて健康を維持し、籠編みの指導に飛び回りたいと思います。
おやまの農園のガチョウ

 


15日 その2 震災と山村について考える。 

2011-11-26 14:09:23 | エコクラフトの籠編み

 

碁石海岸は陸前高田と大船渡の間にある、岩の多い海岸で、砂浜は碁石のような黒い細かい石で出来ています。ここにも津波が押し寄せてきたのですが、碁石浜ではかえって碁石のような黒い石が増えたとか。また岩の碁石岬も以前と変らず、岩に生えた松も青々していました。


 
静かに波が打ち寄せる海を眺めていると津波はなんだったんだろうと思ってしまいます。4月に高田を訪れた従弟からは碁石海岸は昔のままと言うニュースを聞いていました。三陸海岸の砂浜が軒並みやられています。高田松原が元に戻ることがあるのでしょうか。
 
車を運転してくれたまごころネットの本多さんは大学院生で、社会学科で社会リサーチを専門にしているそうです。被災地のリサーチから復興のための手伝いの方にまわったそうです。その方が生きた学問になるという考えは、指導教授の考えでもあるそうで、陸前高田のボランティア活動のコーディネートを一人でやっているようです。
 
陸前高田の復興を考える場合、長部や広田の小さい漁港は船その他の機材がそろえば復興するでしょう。でも高田の旧市街地の商店街は・・・というと難しいなと思います。津波以前にすでに高齢化と過疎化、シャッター銀座化をしていたようだからです。
 
でもそれは高田だけの話ではありません。私がこれまで月の半分暮らしていた掛川市の山村でも高齢化と過疎化が進行し、32年前私が初めてここに来たときには52軒あったこの地区の家は今は36軒になりました。特にこの地区には今子供は幼児も生徒も一人もいません。去年小学校は町の学校と統合されてしまいました。
 
子供のいない村、そこにはもう未来は無いのか、そんな気さえします。あと20年したら誰もいなくなってしまう・・・・
 
でも20年後の日本の姿もはっきりしません。人口が減少に転じていますし、もう右肩上がりの経済成長は望めないでしょう。問題が山積みです。
 
20年先の世界を想像しても分かりません。それなら、今ここであれこれ未来を考えるよりも、今必要なことをやっていくしかない。

 
子供達が生き生きと育っていく環境を作っていく、それは山村でも被災地でも根本的に大切なことだと思います。そのために何が出来るかも、これから考えなければならないことでしょう。

 


15日 その1  長部のコミュニティーセンター 

2011-11-23 12:30:14 | エコクラフトの籠編み

 

これからかご作りが本格的になると、一人では手に負えなくなります。
エムズファクトリーから寄付されたテープを、遠野でカットして、
セットにして皆さんに渡します。
 
だんだん高度なかごになるので、用意するのが大変です。
今回は幸い周りの人たちが進んで助けてくれました。
これからはボランティアの中から希望者を募って、
材料をカットしたり編むのを手伝ったりする人が必要です。
考えなければならないことがいっぱいありますね。
 
今回はかご編み教室としては10時から12時までになりました、
でも1時から4時ごろまでの時間なら、
午前中にボランティアの人たちで準備が出来ます。
会場の都合もありますが、
来月は午後からにするよう担当の本多さんにお願いしました。
 
もう少しやって慣れてきたら、皆さんでまとめてテープを買ってもらって、
前もってテープをカットしてもらう、いつもの教室のやり方になります。
出来たらそのかごを売って、材料代ぐらいにはなればいいと思います。
それは当初からまごころネット側から要望されたことです。
足湯の井上さんは売るルートはある、と言ってくれました。
 
初めは寄付されたテープを使っても、だんだん自立していかなくちゃね。
地元の協力者を得ることも大切なことです。
 
車は予定より大きい8人乗りでした。
本多さん、私、西村さん、京都から来た女性の山本さんが乗りました。
そうと分かったらもう少し参加希望者があったのに残念!
長部のコミュニティーセンターには何人か集まっており、
時間が来るまでアコーディオンで歌を歌いました。
 
二度目の人や初めての人が入り混じっていましたが、
手伝いもいるのでまあ順調にかごを編み終えました。
仕上げのリボンは用意した材料が見つからず、
来月のお楽しみと言うことにしました。
 
昼少し過ぎに終わって、本多さんがもう用事がないというので、
高田のラーメン屋で昼食をとり、観光地の碁石海岸に向かいました。
 
 
 

 


14日、足湯隊でのかごつくり、井上さんのこと。

2011-11-22 09:07:56 | 被災地ボランティア

 

11月から月曜日はまごころネットの定休日になって、
明日はボランティア活動は原則お休みです。
予定ではその日は休みで、翌日最終日に長部に行くことになっています。
でも陸前高田の横田町堂の沢の仮設に行くことになりました。
遠野の冬景色
  
日本財団の足湯隊を指導してくれた井上さんに会ったとき、
月曜日にどこかに活動の場が無いか聞いたところ、
考えてみると言ってくれました。
その翌日会ったとき月曜日の陸前高田での足湯隊の募集をするから、
募集のビラの応募者欄に名前を書いてくれと言われました。
壁に貼ってある募集のビラに早速一番目に名前を書き入れました。
まもなく定員5人が集まったようです。
遠野のカッパ淵

  
井上さんは遠野に来て出会った一番印象深い人です。
日本財団の足湯隊の世話をずっと見ていてくれて、
6月以来何度か彼の元で足湯をやりました。
  
井上さんは広島出身、小柄でスキンヘッド、年齢は50歳前後でしょうか、
冬なのでピンク系のコートを着ていて、すぐ分かります。
  
いつも被災者の立場を第一に考えている人で、
阪神大震災以来震災が起こるたびに仕事をやめて現地に飛び、
足湯を続けています。東北にも当初から被災地に入っています。
今まで休みを取ったことがないという熱中派です。
  
遠野まごころネットの中心には、
阪神大震災のときからボランティアを続けている人たちがいます。
そういう人たちの経験が遠野まごころネットに活かされて、
私達が働きやすい環境が作られています。
 
足湯隊には昨夜テープ切りを手伝ってくれた西村さんも参加しました。
予定の人数を二人オーバーしたので、車がもう一台出て、
そちらは西村さんが運転し、私も同乗しました。
 
場所は陸前高田市のはずれの横田町堂の沢仮設住宅です。
30軒ほどの仮設住宅で集会所はありません。
いつもならテントを張るのですが、
風も弱く日も照っているのでテントを張らずに足湯を始めました。
 
開始予定の1時前に人が集まってきたのですぐ3人に足湯開始、
4人ほど足湯を待つ人が出たので、待つ間にかご編みも始めました。
2時を過ぎると陽が翳りだします。

 
かご作りも終わったので、アコーディオンで歌を始めました。
一緒に行ったボランテイアの女性達5人も歌好きで加わったので、
賑やかで楽しい歌の会になりました。
歌声を聴いて仮設から出てきて加わった人もいたようです。
 
ボランティアの女性達は遠野に帰ってからの反省会で、
足湯とお茶、かごつくりと歌がマッチして、
とてもいい雰囲気の足湯になったと言っていました。
それもみんなの協力の賜物です。
 
明日は陸前高田市の長部のコミュニティーセンターでのかご編み講習です。
今回は二度目で前回20人ほど集まったので、
今回もそれぐらい集まると、一人では教えきれません。
西村さんが手伝ってくれるし、足湯に行った山本さんも手伝ってくれます。
そこで夜7時から簡単な講習会を体育館の相談室で開きました。
これも井上さんの手配です。
他にも参加希望者がいましたが、長部に行く車の人数制限で駄目でした。
人の自発的な協力によってことが進んでいく、
こういう経験は、なんでも一人でやりたがる傾向の私には、
得がたい貴重な体験です。
ボランティアに来ると教えられることが沢山あります。
 
 
 
 

 


13日 大槌町集会所。

2011-11-21 19:05:00 | 被災地ボランティア

昨夜も雨が降っていましたが、朝は止んでいます。
6時前にジョギング、もっと寒いかと思ったら意外に暖かかです。

今日は大槌町に行くカフェ隊と同行します。
以前いっしょに行ったことがある本間さんが隊長で、
他に神奈川県から来た男性二人がいっしょです。
小さな集会所に集まったのは10人ほどです。
 
ここではエムズファクトリーから送られたテープで、
同じく送られたレシピによるかごを作りました。
神奈川からの青年達も手伝ってくれて、
完成することが出来ました。

その後アコーディオンを持ち出して歌を歌う段になって、
一部の人は去り、別な人が入って、明るい声で歌いました。
「北国の春」になると、踊りを踊る人も出てきました。
歌謡舞踊と言うのでしょうか。何人か踊りの仲間もいたようです。

 
昨夜一人で作った籠を編む材料を今日使ってしまったので、
夕食後体育館でテープカットをしていると、
隣に寝袋を敷いている、鹿児島から来たボランティアの西村さんが切るのを手伝ってくれました。
すると西村さんと親しいそばの二人も手伝ってくれ、
4人がかりでテープを切ったので、またたくまに30人分のセットが出来ました。
 
こんな風にさっと手伝う人が現れる、まごころネットのいいところです。
今来ている個人参加の人たちはリピーターも多く、
男女を問わずボランティアとしては経験豊かです。
でも初めての人も大勢います。
皆さん様々な経験をして帰り、また来たくなります。
 
復興にはまだまだ時間がかかります。
ボランティア活動も長期戦になります。
 

 


ドイツからのお客様。

2011-11-20 21:21:41 | 田舎暮らし

 

今回はボランティアから離れます。
 
土曜日の夜、アパートに住むドイツ人のウリさんのご両親が訪ねてきました。
土曜か日曜のどちらかということでしたが、私は日曜には掛川の教室があるので、土曜の夜にしてもらいました。
 
ウリさんはウルリッヒさん、呼びにくいのでいつもウリさんと呼んでいます。
大学院生で満州事変についての中国と日本の見方についての論文を書いて、最近博士号をとったようです。
 
かって中国に留学し、その後日本に留学して3年、中国語日本語英語フランス語と話せ、友達も多く非常に優秀な学生です。話し始めると長くなるのが早寝早起きの私にはちょっと困りますが。
 
ご両親は3週間の予定に日本に来て、ウリさんの案内で関東中部、京都中国、四国を回ってきて火曜日に日本を去るとか。
 
お父様は今は定年退職したけど大学の先生で地理学、火山の研究していたそうです。お母様はメキシコ人で、メキシコからドイツ語を学びにドイツに来て、お父様と知り合って結婚なさったそうで、見るからに仲の良いご夫婦です。

 
昔どこかの国の首相が日本の家を見てウサギ小屋だと言ったことがありました。我が家はまさにその通り、今風の日本家屋と比べても小さいのですから、ヨーロッパの家とは比べ物にならないでしょう。でも、そんな家に住んでいるのが日本の現実です。
 
畳があり炬燵があり、襖、障子に囲まれた小さな部屋で、隣の部屋には仏壇があり、神棚もちゃんとそろっています。こういう家のほうが日本らしくて外国人には面白いのだろうというのが私達夫婦の見解でした。というよりそれしかないものね。
 
料理は手巻き寿司、魚は知り合いの料理屋さんから買いました。後は全て手製、家内はお雛様作りで忙しいし、私は翌日早く掛川に行くので面倒なことは出来ません。
 
でもみんなよく食べました。ウリさんは通訳に懸命で、おかげで震災のこと夫婦の馴れ初めのこと、ドイツの火山のことなどいろいろ話しました。
 
 
最後はプレハブ一階の私の竹やクラフトテープのかごの仕事場、二階の家内の紙塑人形の仕事場を案内しました。家内の仕事場でお母様がカッパ!と声を上げました。震災前に遠野に行ったウリさんが河童の人形を買ってお土産に持ち帰ったそうです。家内の河童の人形を見てすぐ分かったのです。家内はそれをお土産に上げました。
 
 
 
家内もバンクーバーに行った時、今は亡き親友のご主人や子供達の家を訪れて、カナダ人の暮らしぶりを見てとても面白かったと言っています。普通の生活を見せるのが最高のもてなしかもしれません。普通と言うにはちょっと我が家のレベルは低いかもしれませんが。
 
ご両親は間もなく日本を離れますが、ウリさんは残ります。12月には餅つきに招待しました。田舎風に注連縄や松飾りは自分で作りますし、餅つきも我が家の伝統として続けています。今時変な古い家、古い人ですね。

 


陸前高田、一中仮設住宅集会所、いとこたちが集まる。

2011-11-19 16:13:42 | エコクラフトの籠編み
昨夜激しく降った雨も朝には上っていました。
5時過ぎに走り出したが、暗い上に霧がたちこめ、
視界が利かないので安全な猿ヶ石川沿いの自転車道を走りました。
明るくなってきたら川に白鳥が浮かんでいました。


今日は陸前高田の一中の仮設の集会所に行きます。
時間は10時から12時まで、会場の都合かちょっと変な時間です。
そこに私の従兄と従姉がそれぞれ一人暮らしをしています。
まごころネットの一般作業や日本財団の足湯隊では、
チームとして行動するので、行動の自由はありません。
かごつくりでは私の希望を通すことも出来るので、
担当のコーディネーター本多さんに一中の仮設をお願いしたのです。
会場には従兄の幸ちゃんと従姉のよっちゃん、喜久ちゃんが来ていました。
幸ちゃんは津波で奥さんと自宅、店をなくし、
よっちゃんは自宅と兄一家をなくしています。
二人には4月のお見舞以来の再会です。
 
従姉たちを含めて12人ほどが集まっていました。
さっそく小さなかご作りです。
中には自分では言った通りにやれない人もいたので、
従姉にも手伝ってもらいました。
 
ここには私が育った高田町の人が多く、
私が育った家の向かいの家にお嫁に来た人もいました。
幼友達の無事も知りました。
 
従姉たちにも手伝ってもらいみんなのかごが出来ました。
その後千昌夫の「北国の春」と「星影のワルツ」を歌いました。
来月も来ることを約束して別れました。
 
担当の本多さんが遠野に帰る前に用事があるというので、
よっちゃんの家で待つことにしました。
一人暮らしなので一部屋と小さい台所、まるで学生アパートのようなサイズです。
 
よっちゃんに勧められて本多さんも私達いとこ3人もお昼をご馳走になりました。
配給されたカップヌードル、味御飯,海苔もちのレトルトです。
どれも結構おいしかったですよ。
以前は畑を作っていたけれど,今は何にもない、
でも体が衰えるといけないので、毎日散歩をしていると言っていました。
右手に少し麻痺があるので細かいことは苦手になったそうです。
それなのに私のためにかご作りに出てきてくれたのです。
 
ここは本当に私の故郷だ、みんなに喜んでもらえるなら、
毎月出来るだけここに来ようと思いました。
 
陸前高田に行くとき必ず寄る道の駅、川の駅よこた
そばを流れる気仙川
 
 
 
 

11日、大船渡の仮設の集会所

2011-11-17 16:20:05 | エコクラフトの籠編み
この数日めっきり寒くなってきました。
一昨日(15日)まごころネットの体育館から、
バスが出る遠野駅まで歩いたときは、雪がちらついてきました。
冬が近づいてきています。
 
遠野に滞在した5日間は幸い天気もよく、
気持よく仕事が出来ました。
 
11日の朝、遠野の体育館に着いた時には、
エムズファクトリーに寄付していただいたテープの箱と、
私が送ったアコーディオンの箱はもう届いていました。
早速その朝から仕事の開始です。
 
体育館の中
 
この日は大船渡に行くカフェ隊の一員として、
猪川公園の仮設住宅の小さな集会所に行きました。
 
大船渡には私の従姉がお嫁に来て住んでいます。
長いこと逢っていませんが、先月高田に来たとき電話をもらいました。
栄養士の勉強をしているときに小平の家に少し滞在したことがありました。
年齢は10歳近く上ですが、とても懐かしい人です。
その人に電話したら自分で車を運転して集会所にきてくれました。
津波は免れたと聞いていましたが、家業の酒屋と自宅は流され、
もう一軒ある高台の家に逃れてそこで暮らしているそうです。
仮設住宅に住んでいないだけでやっぱり被災者なんですね。
 
会場では従姉も入れて6人が先月作っていた小さなかごを編みました。
編んでいる最中はみんな夢中であっという間に時間がたってしまいます。
私と一緒にこの集会所に来たボランティアの女性が、
お茶を入れたりコーヒーを入れたりしてくれました。
この女性はいつもはスイスに住んでいて、
震災が起こったので日本に戻ってはボランティアをしているとか。
明るくて優しい気持ちの豊かな人です。
 
 
籠を編み終わった後アコーディオンを持ち出して、
みんなで千昌夫の「北国の春」と「冬の星座」を歌いました。
 
被災者全員が避難所から仮設住宅に移り、
時には孤立化が心配されています。
まごころネットでも心のケアーの一環としてカフェ隊やお絵かき隊、
足湯隊などが活動しています。
 
籠作りもそのような活動の一環として期待されています。
先月の長部でのかごつくりの際にみんなで大声で歌を歌いました。
そろそろ歌を歌える時期が来たのでしょう。
これからは自信を持って、アコーディオン伴奏の歌を続けていくつもりです。
 
皆さんが今後も続けたいというので、従姉もいることだし、
来月もくることにしました。
 
夕食は近くのスーパーで買ったおにぎりとレタスやきゅうり。
体育館は以前より人が減っています。
夕方から雨が降り出しました。
明日はいとこが二人いる陸前高田の一中の仮設の集会所です。
エムズファクトリーから送られてきたテープを切る暇がないので、
明日も小さなかごを作ります。
 
夜震災から8ヶ月目の11日なので、キャンドルサービスがありました。
正面玄関にペットボトル半切れにロウソクを入れて灯します。
静かな夜でした。