竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

偏屈な、どうしようもない私。

2012-09-26 06:35:32 | 田舎暮らし
遠野に行った前日と前々日15日(土)と16日(日)は遠野祭りでした。初めはこれが最後の遠野行きになるから、前日に行って遠野祭りを見ようと思っていました。
でも何かと忙しくて結局16日の夜上野を発つことになり、祭りは見ずじまいになりました。
 
今まで土地で有名な祭りを見る機会が何回かありました。京都の祇園祭、葵祭、宇和島の和霊様など、見ようと思えば見れたのです。わたしはどうもひねくれ者で祭りを見に行くのが嫌いなようなのです。つまり普通の観客になることが出来ないのです。

ツリフネソウ
 
自分が参加できる祭りならいい、見るだけの祭りならいらないということのようです。本当は祭り好きで、お御輿を担ぐのやら屋台を引っ張るなら大歓迎。でもそんな機会は東京にいる限りなかなかありません。せいぜい盆踊りでしょうか。
 
今年は盆踊りも出来ませんでしたが、昨年までは地元の商店街主催の二日間の盆踊りに参加していました。郡上踊り、おわら風の盆、阿波踊りには参加したい気持ちがあります。

ノアズキ
 
田舎や自然が好きなら、時々そこに遊びに行くのじゃなくて、実際にそこに住みたい、それが嵩じて今こうして掛川にいるようです。
 
踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らなにゃ損々

ホトトギス
 
海外旅行もお仕着せの旅行はしたくない。自分で計画を立てて一人で出かけて、出来たら現地の人と話したい、異文化をいろいろ吸収したい。だからいいホテルに泊まりたいなんて思ったこともありません。美味しいものにもこだわりません。

ノコンギク
 
そんな人間ですから立派な家にも縁がないし、立派な車にも縁がありません。今日は久しぶりに浜松まで行って、中古タイヤ4本買ってセットしてもらいました。計16000円、もう17年になるライトバンです。でも故障もしないし私の用は十分足してくれます。壊れてもいないものを乗り換えるわけにも行かないしね。

ヤブマメ
 
どうも私は貧乏が性にあっているようです。というよりやりたいことをやり続けてきているので、大した才能もない人間としては、当然のこととして貧乏だと言うだけのこと。貧乏は気にならないのです。貧乏の確信犯ですね。

ノササゲ

そんな人は世の中に大勢います。その点私よりスケールの大きい人もいっぱいいるようです。今読んでいる「アマゾン、インディオからの伝言」の著者、南研子さんもそう、あきれちゃいます。だから世の中面白いんですね。
 
写真はジョギング中に見かけた花です。
 
 
 

被災地支援 その2、陸前高田と大槌町

2012-09-25 14:43:12 | 被災地ボランティア
遠野の朝 ここに来るのも最後です。

17日18日は陸前高田の下壷仮設と長部でのコミュニティーセンターでのかご編みです。いつものように陸前高田のコーディネーター島田友理子さんに連れて行ってもらいました。
 
遠野早瀬川

下壷仮設では今後自分の足で来なければならないので、今回はくずかごを一日で仕上げるために、朝10時から午後4時までかご編みをすることにしていました。前もって材料は自分達で注文し、自分達で切っておくことになっていました。
 
でも一人の積極的な人がみんなの分を切ってくれていました。
8人分ぐらいですから大変な作業です。
お昼は私たちが自分で用意していましたが、その人も何人分か用意してくれていました。ホタテご飯と夕顔の煮付けです。どちらもとても美味しくて、懐かしい味がしました。4時を少し過ぎましたがなんとかみんな完成しました。

 
18日は午後1時から長部でのかご作りです。
今回は午後からなので9時半から一緒に参加するボランティアの2人に、かごに使うひも編みの講習会を開きました。2人は鹿児島大の女子学生で、東京までは飛行機で、上野からは夜行バスで来ていました。この時期夏休みなので学生が大勢来ています。被災地に行ってボランティアをするのは良い社会勉強になると思います。
 
講習したのは花の四つ編みと4本のマル編みです。
前回はこれが最後かと思って、急いで2本のひも編みをやりましたが、時間切れで十分やれませんでした。
 
今回行ってみると皆さん本体の網代編みの部分はしっかり完成し、一部の人はひも編みもほとんど完成していました。これならその内自立も可能でしょう。

 
島田友理子さん、毎回陸前高田まで送迎していただいてありがとうございました。随分無理なお願いをしたことがありましたが、かなえて下さったおかげで今後も活動を続けられます。10月からは遠野まごころネットを離れて、陸前高田で子供支援の活動をなさるとのこと、今後もどうぞお体に気をつけて持ち前の優しさでご活躍ください。
 
20日は最後の大槌町での活動です。こちらはいつも大槌町で活動してきたスタッフでしばらく離れていた人たちも参加し、小さな仮設にテントを張って午前中にかご作りをしました。10人ほどの人が集まってかご編みをしました。
 
午後はのんびり大槌町の海鮮レストランで昼食、私は店の名物イカ飯を食べました。海をすぐ下に見下ろす高台にあって、素晴らしい景色です。津波があったことを忘れてしまいます。
 
大槌町のカフェ隊には昨年10月被災地でのかご編みを始めてから、ずっとお世話になりっぱなしでした。活動の規模は小さくなりつつありますが、これからも続けていくようです。大槌町の人々にとってはありがたい存在でしょう。
 
来月からは遠野まごころネットの活動から離れて、自分で陸前高田に来ることになります。
 
来月は10月14日の午前9時から下壷仮設で、午後は1時から4時まで長部でかご作りをやります。下壷から長部までは、長部でもかご作りをやりたいと言う下壷仮設の人に、車で送っていってもらうことになりました。
 
13日の夜11時池袋発、陸前高田6時40分着
14日夜9時40分陸前高田発、15日朝5時40分池袋着
 
ちょっときついスケジュールですが、夜行バスには慣れているのでなんとかこなせるでしょう。
 
 
 
 

被災地支援 その1 昭和女子大のインターンシップ。

2012-09-24 08:32:34 | 被災地ボランティア
16日(日曜)の夜出発して、17日18日19日20日と活動をして、
21日の朝東京に戻って来ました。
 
17日18日のことは後で書きますが、19日に同級生に関係のある出来事がありました。
 
19日は大船渡のカフェ隊に参加することになっていました。
いつもならこのカフェ隊は何人かボランティアを募集して、
出発前にタッピングタッチという癒し効果を目指す軽いタッチを練習するのです。
今回は隊長の佐々木洋枝さんと運転者と私の3人だけで出発しました。
大船渡のまごころネット事務所で学生4人が参加するので、
そこで前もって学生達にかご編みの講習をして欲しいということでした。
 
事務所に行ってみると女子学生4人がいました。
昭和女子大の3年生3人と短大の1年生です。
昭和女子大?同級生が教えている学校です。
一人の学生が彼のの授業に出たと言っていました。
 
新聞社の政治部その他の編集長たちのが来て、
問題の捉え方や企画の仕方などの話をしてくれたということでした。
 
インターンシップというのはよく知らない制度ですが、
大学生や高校生が就職を決める前に、
その職業を経験するということのようです。
最近は就職してもすぐ辞める学生が多いので、
自分の志望とのミスマッチを避けさせようというものなのでしょう。
 
学生達は2班に別れ、2人は運転者といっしょに別な仮設に行き、
2人がかご編みの手伝いです。

 
私たちが今回行くところは小さな仮設住宅で、全部で5棟、その内4棟に入居者がいて、場所は大きなスーパーの後ろ、買い物などには便利な場所です。
 
入居者は高齢その他で車椅子を使う人たちです。
仮設の一室が談話室になっていて支援員の女性が二人常駐しています。
大船渡カフェ隊はしばしばここに来るらしく、カフェ隊で来た人たちの写真や、
支援員が作った紙の薔薇や花束が飾ってありました。

 
住人の一人の女性は一番かご編みを期待していたんだけれど、
家の中に工事が入って遅れてくるとのことでした。
 
支援員2人と高齢女性の2人の4人で編むことになって、
学生達は高齢の女性を手伝っていました。
2人とも学生達に大喜びで、まるで孫のようだと嬉しそうでした。
 
2人とも一人暮らしで、一人は86歳、震災前に娘さんを亡くしていて、
孫もいないとのことでした。でもその場では元気そうでした。
もう一人は70代、精しい話は聞けませんでしたが、
学生達に手伝ってもらってとても喜んでいました。
 
この仮設には男性の一人暮らしの人もいますが、
ほとんど外に出ず、タバコ好きで煙が溢れる部屋で暮らしているとか。
そこには隊長の佐々木さんが一人でお茶を持っていきました。

 
かごが出来た後支援員さんがまだ来ない人の分も作るといって、
もう一度挑戦していました。
 
こんな小さな仮設にやってきて、毎回いろいろな支援活動をやっている
大船渡のカフェ隊の活動は、まさに被災者に寄り添うという形です。
カフェ隊や支援員さんの優しさに触れて、ちょっと感動しましたね。
 
架設を出るとき車椅子で外に出て見送ってくれました。

ボルネオのかご

2012-09-15 09:18:42 | 歴史と人類学
クアラルンプールで買ってきたプナン族の籐の背負いかごを、
クラフトテープで編んでいます。


初めは胴体から編むのか底から編むのか分かりませんでしたが、
胴体から編んでみて、これでいいと分かりました。
でも底編みのやり方、なかなか複雑で一筋縄ではいかないようです。

 
ところでボルネオ関係の本を読んでいるうちに、
インドネシア領のボルネオカリマンタンにも、似たかごを編む部族がいることが分かりました。
ダヤク・ケニャ族です。
 
この部族は、定住して焼畑農耕をしており、レヴィ=ストロースが「野生の思考」のなかでペナン族(プナン族)の独特な名前の付け方として考察しているものと、よく似た名前の付け方を持っているようです。井上真「熱帯雨林の生活」1991年 下の二枚の写真はこの本から取ったものです。
 
プナン族は周辺の定住民ダヤク・ケニャ族と交易して、鉄や塩、タバコなどを手に入れていました。プナン族は籐や沈香や樹脂などを渡していたようです。
 
ダヤク・ケニャ族にもいろいろな名称のかごがあり、私が持っているような目の詰んだ背負いかごはアンジャッと呼ばれているようです。


ダヤク・ケニャ族の集会所の壁に描かれている絵は独特のもので、赤ちゃんを背負うかごや正装の模様も同じです。かごの網代模様といい、模様自体に意味があるのでしょうか。


このケニャ・ダヤク族の生活についての動画がネット上にあります。同じ模様が出てきます。
 
 
ボルネオではインドネシア領でもマレーシア領でも熱帯雨林の伐採が進み、原住民の生活が脅かされています。マレーシア領のサラワク州でも森林伐採が進み、1980年代にプナン族が世界に知られたのは、森林伐採のためのトラックやブルドーザーの通り道に彼等がバリケードを作って、伐採の進行を阻止しようとしたからです。
 
その戦いは奥地のダム建設への反対運動として周辺民族も巻き込んで今も続けられています。
 
伐採された樹木の60%は日本に輸出されていました。ラワン材として合板の表面に張られています。伐採された後にしばしば植えられるパーム椰子も日本や欧米に、輸出されマーガリンや食用油、洗剤等に利用されています。
 
一方で日本の森林は手入れもされず放置されています。山村は高齢化が進み、高齢者中心の小規模農業はイノシシに脅かされています。掛川の私の家のまわりもイノシシに掘り返されています。
 
私が生きてもせいぜいあと20年、世の中はどんどん変わっていきます。その進み方についていけなくなっています。未来の子供達のために何を残せるのか、私に出来るのは全く個人的なことだけです。
 
11月から小平と掛川で、竹のかご編み教室を始めます。
 

ヤノマミ族の虐殺

2012-09-12 09:41:28 | 歴史と人類学

アマゾン先住民80人虐殺か=ベネズエラ 

 【カラカスAFP=時事】熱帯雨林が広がるベネズエラ南部のブラジル国境に近いアマゾン地域で7月、先住民ヤノマミ族約80人が不法入国したブラジルの鉱山業者に虐殺された疑いがあり、ベネズエラ政府は31日、現地に調査団を派遣していることを明らかにした。
 ヤノマミ族の代表組織によると、ブラジル人らはヘリコプターを使い、ヤノマミ族の集落を焼き払って虐殺した。狩猟から戻った3人が無残な状態の焼死体を発見した。代表組織は昨年からベネズエラ、ブラジル両国に対し、虐殺の調査や違法業者の排除を要求している。(2012/09/01-22:13)

 
9月の初め以上のような衝撃的なニュースが流れました。ヤノマミ族は数年前NHKスペシャルで放映され、その映像はとても印象的でした。「ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる」2009年(NHKオンデマンドで今も見ることが出来ます。)
 
長倉洋海さんの美しい写真集「人間が好き アマゾン先住民からの伝言」1996年 もヤマノミ族を扱っています。このブログの写真はそこから取ったものです。

 
実は先月岩手にかご編みのボランティアに行ったとき、かご編みを手伝ってくれた大学生が、人類学に関心を持った人でした。今では数少なくなった採集狩猟民のボルネオのプナン族のかごを研究するつもりと言うと、自分も採集狩猟民を知っているといって、挙げたのがこのヤノマミ族でした。
 

ブラジルなど南米の先住民は、国家の発展に伴いどんどんその数を減らしています。一部に保護区を作ってアマゾンの原生林を保護されていますが、保護区で鉱山が発見されたりすると、鉱山業者や労働者が侵入し、トラブルを起こします。ジャングルの奥の出来事ですから警察権力も及びません。
 
レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」の中に記録され、後に川田順三が「ブラジルの記憶」の中で現状を伝えたナンビクワラ族も、ブラジル発展の軌道の中でつぶされていったようです。
 
文明は周囲に広がる文明以前の社会を蹂躙しながら進んでいきます。近代ではヨーロッパがアフリカ、アジア、南北アメリカで植民地化したり奴隷化したりして世界を支配してきました。グローバリズムの名の下にその過程は今も進行中です。

 
日本文明も大和朝廷が成立するやすぐに、東北の蝦夷征伐を実行しています。
 
現代の日本でも竹島や尖閣列島の問題で国際紛争の渦中にあります。これほど情報社会が進んでも偏った情報が広まり、国家意識にとらわれた人々が個人的に冒険に乗り出したりしています。
 
北方4島の問題でもロシアとの間でもめています。もともとあそこはアイヌ人が住んでいたところで、それをロシアと日本が自分のものとして主張しているのです。
 
現代文明と国家、これは切っても切れない関係にあり、どんな奥地の森に暮らしている人々も国家の一員になることによって、文明の恩恵?に浴すことになります。それと共にグローバリズムの進展によって、個性的な文化も失われていきます。
 
そのようにして文明化された人々は多くの社会で最下層を形成することになります。
 
人類にとっては文明化以外の選択肢は残されていないようです。そしてその先に何があるのか・・・・