竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

草の玩具

2011-08-28 16:02:50 | 山野草

エコクラフトテープは素材としては何でも編める、実に便利な素材です。
加工もしやすいし、色もカラフルです。
 
最近佐藤邦昭著「作ろう草玩具」と言う本を買いました。
ススキやシュロ、麦わら、ヤブカンゾウやシャガの葉を使って、
カタツムリや虫や虫かご、馬を編むのです。
猫ジャラシの馬

 
この人は日本以外の草の玩具でも、
編み方を研究して自分で編んでいます。
昔は身近な草や木を使って玩具を作って遊んでいました。
笹舟なども作った覚えがあります。
日本の植物の世界はとても豊かです。
日本人は昔から子供をとても大切に育てましたから、
子供の玩具も沢山ありました。
このあたりのことは明治の初めに日本の地方を旅行したイギリス人女性、
イザベラ・バードの「日本奥地紀行」に載っています。
シャガの葉のカタツムリ 
竹でも玩具がいろいろありました。
竹製のにょろにょろ蛇は最近見なくなりましたね。
草の玩具も消えてゆこうとしています。
 
実は私が足湯でまわった宮城県の仮設住宅には、
集会所はあるものの、子供の遊び場は全くありませんでした。
子供達が自分で作って楽しめるもの、
それにはこういう草玩具がいいのではないかと思います。
 
エコクラフトテープは練習台としてとても便利なものです。
来年は草笛とか草玩具とか、身の回りのもので遊ぶスキルを身につけて、
被災地に行ってみようかと思っています。


掛川の野の花

2011-08-27 06:06:20 | 山野草

 

24日から掛川に来ています。
昨日はやっと天気がよくなって、いつものコースを走りました。
辺りには秋の花々が咲きだしています。
女郎花
女郎花、オトコエシ、ヒヨドリバナ、キンミズヒキ、ミズヒキソウ、
キツネノカミソリ、ヤブミョウガ、クズ。
夏から咲いているタカサゴユリ、ガガイモ、
空もなんとなく秋の気配です。
 
毎月東北に行っているので掛川滞在が一週間弱になりました。
こちらに来ると教室が木曜日と日曜日、草刈りその他で、
あっという間に時間がたってしまいます。

クズ
 
6月からは日本財団の足湯プロジェクトに参加してきました。
その間遠野に2回、気仙沼に1回、山元町に1回行って来ました。
でも9月は日程が合わなくなったこともあって、
遠野まで自分で夜行バスで行って、まごころネットで一般作業をする予定です。
オトコエシ
 
私の従兄弟たちが3人、陸前高田の仮設住宅で暮らしています。
その人たちに会いたいし、自分が生まれた場所にも行ってみたい、
でも自分の車で行くのでない限り、自由に行動することは出来ません。
 
今後復興のために自分が何が出来るのか、
じっくり考えて少しずつでも準備して行きたいと思っています。

 


まず野菜サラダを食べよう

2011-08-26 14:23:11 | 日記

 

先日NHKテレビでアンチエイジングの食事の摂り方を放映していました。
野菜サラダを10分間ほど食べて、それからご飯を食べるというやりかたです。
ご飯のような糖分の消化を遅くさせるやり方は、糖尿病の対策としても有効です。
糖尿病歴20年の私が、5年ほど前から飲んでいる薬がそういう薬ですから。
掛川の野の花、ミズヒキソウ
 
実は6月遠野の足湯ボランティアで遠野まごころ寮に泊まったとき、
釜石で料理屋さんをやっていて店が津波で流された親子が、
食堂で朝夕の食事をまかなっていました。
そこの食事が美味しくてついつい食べすぎ、
家に帰ったら血糖値が上がっていました。
食事を制限したものの、胃袋が大きくなっていたので効果は上がりませんでした。
キンミズヒキ
 
でも先日山元町で一週間ボランテイアをやったときは、
野菜サラダをまず食べることを実行しました。
とはいっても調理はしにくいところなので、
レタス、キュウリ、トマトという切るだけでいい野菜が中心でした。
ドレッシングは自家製のものを持参していました。
効果はてき面、血糖値は下がっています。
センニンソウ
 
アンチエイジングについては分かりません。
年齢の割りに幼稚な面がある人間です。
髪は抜け気味で歯もボロボロ、顔もしわくちゃですが、
マラソンを走る体力はあります。
青山の学生達は年齢より10歳以上若く見えるとお世辞を言ってくれました。
でも外見はどうでもいい、気分は若いときのままで、
ということは、年齢相応に成熟してはいないということですね。
 
いいのか悪いのか、このままの人間でやっていくしかありません。
 

 


足湯ボランティア 宮城県亘理郡山元町 その3

2011-08-24 22:28:30 | 被災地ボランティア

 

青山学院大学の学生達はよくやっていました。
同室の男子学生二人は早朝私といっしょにジョギングしました。
本来なら夜の遅い人たちですが、
私と同じく5時起きで、10キロほどの道を走りました。

コースは主に阿武隈川の堤防ですが、
時にはよく目立つH2ロケットの模型がある公園に行きました。
角田市に宇宙航空研究開発機構がある関係で設置されたものです。
 
ADRAの職員達もよくやっていました。
接したのは3人でしたが、それぞれに個性的で素敵な人たちでした。
特に常勤ではなく友軍のような形で参加していたM氏は、
さわやかでたくましい人柄で、みんな惹かれてしまいました。
6人の子持ちで本職はツリークライミング、
根っからの自由人です。

 
私は長い間自営業をやってきた関係で、
人付き合いやチームプレイが苦手でした。
でも60歳を過ぎてからデイサービスで働いて、
チームプレイの楽しさを知りました。
 
今度の被災地ボランティアでも、自分のいたらなさを感じることもあります。
でもチームとして行動し、素敵な人たちと触れることが出来ることが、
ボランティアを続ける理由の一つにもなっています。
 
被災地の復興はまだまだ先です。
私も気長にボランティアを続けていきたいと思っています。

 


足湯ボランティア 宮城県亘理郡山元町 その2

2011-08-23 09:26:14 | 被災地ボランティア

 

ADRAの配慮で3日目の活動終了後、山元町の被災地をまわりました。
海岸線は何も無く、今は家々の土台しか残されていません。
常磐線の駅舎も線路も壊滅状態、線路は土台から崩れています。
海岸から1、2キロ離れると一階が浸水して二階だけ残っている家が目立ちます。
この辺りから北に向かって直線的な海岸が続き、
亘理町名取市、どこも津波のすごい被害を受けています。
 
普通ならリアス式海岸が津波の被害を受けやすく、
直線的な海岸には津波はひどくならないと考えられてきました。
足湯に来た人たちも、この辺で津波を経験したことはない、
チリ地震津波のときにも被害が無かったと言っていました。
阿武隈川の堤防上のガガイモの花。
 
今回は1000年に一度という大地震です。
でも住民は津波が来るとは思わず、
警報が出ても大丈夫と思っていて、逃げ遅れた人たちも多かったようです。
 
1000年に一度と言うのは微妙な間隔ですね。
海岸線を走っていた常磐線は壊滅しました。
復活させるとして、どの路線を通すか、問題が起こっています。
住民の中には従来どおりの路線にしてくれと強く主張している人もいます。
安全なのは津波の来なかった山側を通すことでしょう。
経済面も考えても、なかなか難しい問題です。
 
今度の足湯で88歳の男の人のつぶやきを聞きました。
この人は10年ほど前脳梗塞を患って、死の瀬戸際まで行き、
家族は医者から最後の準備をするようにと言われたそうです。
でも命をとりとめ、リハビリに努めて右半身の麻痺は少し残るものの、
杖を突いて歩けるし、言葉も普通に出るようになりました。
そして津波にあって、それも生き延びて今仮設で暮らしています。
 
この人は戦争の時にはジャワにいて、飛行機の維持管理の仕事をしていました。
ジャワはひどい戦場にはならず、無事に帰還しました。
でも戦中はひどい体験をしたようです。
初年兵時代、上官に毎日ビンタを食らったと言います。
仕事を失敗してもビンタ、きちんとやってもビンタ。
少年飛行兵たちもビンタの連続の中で、
そのうちに特攻に出撃していったそうです。
 
そういう話は戦争中の兵の体験の中でいくらでも出てきます。
敵に対して残虐だっただけでなく、味方に対してもひどかった。
沖縄戦の民間人、満蒙開拓団に対して軍が犯した犯罪的な行為はあきれるほどです。
これって日本人のどこから生まれてくるのでしょうか。
震災時の日本人の行動をたたえる声を聞くたびに、
戦時中の日本軍の行動も思わずにはいられません。
仮設住宅にいたアマガエル

 

 


足湯ボランティア 宮城県亘理郡山元町 その1

2011-08-22 09:25:58 | 被災地ボランティア

8月14日(日)から20日(土)まで、宮城県亘理郡の山元町の仮設住宅で足湯活動をやってきました。

往復に一日ずつかかるので正味5日間です。
今回はいつもの日本財団ロードプロジェクトの足湯隊ではなく、
国際支援団体ADRAの日本支部ADRAJAPANと
青山学院大学の学生ボランティアステーションとの共同企画に、
日本財団が加わった形でした。
ロードプロジェクトからは足湯経験者としてベテランの女性と私の二人、
青山の学生は男女二人ずつの4人でした。

  
宿は角田市の駅に近いアパート、
ADRAが震災支援用に使っている部屋のバストイレつきの一室です。
男三人女三人が別の部屋で、他に冷蔵庫や電子レンジのある共同の部屋があります。
8時半に出発して山元町に行き、そこの仮設住宅の集会所で、
10時から4時まで足湯を行います。

  
宮城県では20戸以上の仮設住宅には、集会所を作ることになっています。
岩手県では架設を作るだけで手一杯で、集会所はありませんでした。
 
学生達は大学で研修を積んできたようで足湯にすぐ慣れていきました。
住民の人たちも若い学生達が足湯をするのを喜んで、
反応もとてもよかったようです。
学生達は周囲の子供たちともすぐに融け込んで、
足湯の合間に子供達と遊んでいました。
 
初めに3日間続けて行った仮設は小学校にも近く、
学童がいる家族を中心に入居していたことと、
夏休み中だったこともあって、集会所が子供の遊び場のようになっていました。
 
子供の多い割には外に子供の遊び場が無いのです。
空き地は駐車場になっているので、子供達の行くところが無いのです。
子供達もみんな被災者でストレスを負っていますので、
遊び場の配慮が必要だなと思いました。
 
学生達はとてもよくやっていました。
もともと優しいタイプの学生がボランティアに来ているのでしょうし、
受け入れる側も自分の子や孫のような学生達に、
感謝すると同時に、よく育って欲しいと言う気持ちを持つのでしょう。
他の足湯ではなかったような差し入れも何度かありました。


8月3日(水)のつぶやき

2011-08-04 02:26:17 | 被災地ボランティア
09:11 from ついっぷる/twipple
来年2月の東京マラソンにエントリーしました。参加した第1回と第4回はともに悪天候で苦しいレース、タイムは散々でしたが、この大会はお祭りですから完走すれば上々です。足の故障も癒えて一昨日から走り出しています。10月末の大井川マラソン目指して無理をせず練習を続けます。自戒の言葉です。
09:18 from ついっぷる/twipple
昨夜で今年の盆踊りは終わりました。いっしょに踊った同級生達と来年の再会を約して別れました。なんだか夏も終わりかけている気分です。8日が立秋ですね。 http://bit.ly/ql3tSC
by akaisi7230 on Twitter