竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

思いがけぬ山旅

2018-01-18 10:00:51 | 旅行

昨日の17日は東高尾山稜を歩いて来ました。

昨年末多摩ハイキング同好会に入りました。
以前から山登りが好きで南アルプスや富士山などに登っていました。
でもここ5.6年は登山をやめていました。

一昨年あたりから大岳山や川苔山に登り始めましたが、
いろいろ予定が詰まっていて一人で登る気にはなれませんでした。
そこでサークルに入って登る気になった次第です。

このサークルは中高年中心のサークルで、
保険に入るなどして安全を第一に考えています。
規則書なども送られてきており、それをしっかり読んでおくべきだったのです。

昨日は9時半に高尾登山口駅に集合ということだったので、
早めに行って待っていました。
登山グループは何組かありましたが目当てのグループではありません。
このハイキングのリーダーに電話しても通じません。
仕方なく、案内所で簡単な地図をもらって出発しました。

高尾山は人が多いと聞いていましたが、このコースは人影まばら。
でも低い山稜なのに登り下りが多くて面白い道でした。

草戸峠

半分ほど歩いたところでリーダーから電話があり、
今日は規則通り中止になったとのことでした。
前日の予報で午前中は20%午後は30%以上なら自動的に中止ということでした。
そんなことも分からずに午後は60%の雨の予報の中で出てきたのでこんな結果になったのでした。

あとはもう予定のコースを歩くのみ、雨が降ってもゴアテックスのレインスーツがあり、
滑らないよう気を付けて歩けばいいのです。

城山湖

コースは途中から関東ふれあいの道というルートと重なりました。
これは関東の外周部を一周する1800キロに及ぶハイキングコースのようです。



途中西山峠でふれあいの道と別れ下って登山口駅に出ました。
徒歩3時間半のコースを10時から2時過ぎまで歩いて降りてきたわけです。

これで山道を歩く自信がつきました。
人よりスピードは遅いものの連続していくらでも歩けます。
これは去年のスペイン巡礼でも経験したことで
マラソンでも同じこと、年齢は争えませんが持続力は劣らないのです。

今までも山は独り歩きを続けてきたので、これからもその方がいいかもしれません。

久しぶりにスリリングな面白い山旅をしました。
関東ふれあいの道は一人で歩くのに面白いかも知れません。


真っ白な富士山

2016-12-20 15:42:07 | 旅行

昨日の夕方、掛川から小平に行く途中、富士川サービスエリアで富士山の写真を撮りました。
もう真っ白です。富士山が見えるのをあまり期待していなかったので、新東名を通りました。
静岡あたりに来たら真っ白な富士山が見えます。
でも新東名には富士山をゆっくり見れるサービスエリアがありません。
そこで清水ジャンクションから東名に移動し、富士川サービスエリアから富士山を眺めました。



まっ白な富士山は迫力があります。
初めは高速道路は早く東京と掛川を往復するために使っていました。
でもこの頃は途中のサービスエリアで写真を撮ったり、お土産を買ったりするのが楽しみになって来ました。

うっかりすると12,30キロとスピードを出しすぎますが、これからは時速80キロぐらいで安全運転を心がけようと思っています。そんなに急いでも意味がない、楽に運転できれば。


台北旅行 その2

2015-09-26 09:32:31 | 旅行

0日の早朝、せっかく用意してきたのでスポーツウェアに着替えてジョギングに出かけました。
行く先は大安森林公園、5,6キロあったか、森林公園といっても日比谷公園のような都市公園で、ジョギングする人たちが目立ちました。


大きな池もありコサギのような白鷺が遊んでいました。

遠くに台北の超高層ビル台北101が見えたので、近くに走っていって写真を撮りました。 この ビルは509,2mで101階建てのところからこの名前があります。帰りはMRTで帰ってきました。



朝食後は家内の妹一家とは別行動で、家内の妹の夫から聞いた花の植物園に行きました。
実際に行って見るとそれは花の万博がかって行われた会場で、特に植物が多いということもなく、地場産品の即売会をやっていました。おいしそう な野 菜やお菓子が並んでいて、家族連れが集まっていました。

真っ赤なドレスを着た美人女性が若い男と一緒に写真を撮られていました。結婚式の後か と思いましたが、どうも二人のモデルの写真を撮っているようです。それにしては回りは小さいお店ばかりでお店の宣伝でもないような。よく分か らな いけれど私も写真を撮らせてもらいました。



即売会のそばは大きな食堂で、いろいろな料理の店が並んで、その中央にテーブルや椅子がいくつも並んで、自分で選んだ料理をそこで食べるとい う形 式です。これは日本ではあまり見かけませんが、クアラルンプールではよくある形式です。中国式?華僑式なんでしょうか。



夜は大きなショッピングモールの5階のレストランを借り切っての披露宴でした。姪の夫になる人は日本に住んでいてお母さんもやはり日本に住 んで いる台湾出身の女性。とても細やかな気を使う素敵な女性でした。この人が10人兄弟で外国に住んでいる二人を除いてみな台北に住んでいます。今8 人は父親が建てた5階建てのマンションに一緒に住んでいるとか。とても兄弟の結びつきが強くて、何かあるとみんなが集まるということのようで す。 披露宴の後そのマンションを見せてもらいました。

一階から4階まで二家族ずつ住んで最上階は広い共同ルームで、しばしばそこでみんなで夕食を囲むようです。台湾の人たちの穏やかな生活が見え るよ うです。

翌朝は5時にホテルを出て空港へ、そこで朝食をとり妹一家は格安航空で少し早い機で発ちました。
その便は安いことは安いけれど座席は狭く窮屈で、食事は出ないし飲み物もお金を払うとのことでした。私たちの便は9時ごろには食事も出まし た。料 金の違いってすごいですね。

成田からは行きに利用した京成バスの八重洲口まで1000円の便に乗って帰りました。この便は今回の旅での新発見です。


台北旅行 その1

2015-09-25 11:14:32 | 旅行

9月18日(金)から三泊四日で台湾の台北に行ってきました。
家内の妹の長女が母親が台湾出身の青年と結婚することになり、
台湾の親族の間で披露宴をすることになったのです。

私たち夫婦が一緒に旅行するのは7,8年前のマレーシア行き以来。
その時はクアラルンプールに住んでいた長男とその日本人ガールフレンドが案内してくれました。
その後二人は結婚して二児の親になり、小平の我が家のすぐ近所に住んでいます。

私たち二人はともに一人で海外旅行をしたことがあるので、あまり不安もなく成田を出発しました。

飛行機やホテルは前もって姪が手配してくれているので、こちらは気楽なものです。

台北の桃園空港からホテルへはタクシー、4000円ほどかかりました。
ホテルは台北西華大飯店という高級ホテル、朝食がいろいろ種類があっておいしかった。

私が個人で海外旅行するときには安ホテルにしか泊まりません。
初めての体験なのでそれはそれでいい経験をしました。

翌19日は妹とその長男、私たち夫婦で故宮博物院にでかけました。


主に陳列してあるのは玉その他の宝玉や陶磁器、絵画や書で、
楽しみにしていた殷の青銅器類はあまりありませんでした。
第二次大戦後のドサクサの中で本土から運んだのですからいろいろ選別したのでしょう。



故宮博物院の近くに原住民博物館がありました。
民の時代ごろから漢人が入ってくるようになりましたが、それまでは原住民の世界でした。
アウストロネシア系の言語を話す人々でいくつもの部族(政府公認では16部族)に分かれています。


この原住民はかって日本統治時代には高砂族と呼ばれていました。
今日本の各地で見られる台湾原産のテッポウユリに似たユリはタカサゴユリと呼ばれています。

博物館には数多くの織物や生活用具が展示されていました。


ここは訪れる人もまれなので、家内の要請で衣類の展示の写真を撮りまくりました。

夜は地下鉄と高架鉄道(MRT)を乗り継いで士林の夜市に出かけました。


ここには無数の小さな店が並び、土曜の夜ということもあってものすごい人出でした。


ここで食堂に入って台湾料理を楽しみました。野菜料理が種類も豊富で、中華料理のイメージとはちがってさっぱりしたものが多いようでした。総員5人なのでいろいろな料理が楽しめました。






岡村桂三郎展と宮沢賢治

2015-02-19 07:16:31 | 旅行

17日天竜に行ったとき秋野不矩美術館に立ち寄りました。

岡村桂三郎の特別展をやっていました。
まったく知らない作家です。

http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/akinofuku/index.html

大きく張り合わせた板を削ってその上に絵を描くというやり方で、
特に10m以上もある大きな板絵「降り注ぐ」では、黒い画面からいくつもの大小の顔が浮かび上がっていました。



その日の朝東北地方に地震があり、青森岩手に津波注意報が出されました。
「降り注ぐ」を見ていると東北大震災のときに津波にのまれた人々の顔に見えてきました。
しばし呆然と見ていました。

こんな絵は見たことがありません。
ピカソのゲルニカや丸木夫妻の原爆の図を彷彿とさせます。
画家本人の意図は別なのかもしれませんが。

人の命は津波のときのように自然の恐ろしい力の前に翻弄されます。
そのような事態を前にしては呆然と黙するしかありません。

宮沢賢治に「青びとのながれ」という連作短歌があります。

青びとのながれ

680
そもこれはいづくの河のけしきぞや人と死びととむれながれたり

681
青じろき流れのなかを水色に人々長きうでもて泳ぐ

682
青じろきながれのなかにひとびとは青ながき腕をひたうごかせり

683
うしろなるひとは青うでさしのべて前行くもののあしをつかめり

684
溺れ行く人のいかりは青黒き霧をつくりて泳げるを灼く

685
あるときは青きうでもてむしりあふ流れのなかの青き死人ら

686
青人のひとりははやくたゞよへる死人のせなをはみつくしたり

687
肩せなか喰みつくされてしにびとはよみがへりさめいかりなげきぬ

688
青じろく流るゝ川のその岸にうちあげられし死人のむれ

689
あたまのみわれをはなれてはぎしりの白きながれをよぎり行くなり

ーーー
これは宮沢賢治が見た幻視ないし夢に基づいた詩のようで、
同じ描写の「流れたり」という詩もあります。

三陸海岸は明治の大津波、昭和の大津波、チリ地震津波そして今回の大震災と何度も大津波を経験してきています。
私の従兄たちも流されました。

あの「降り注ぐ」という絵はさまざまな災害で失われた人々への鎮魂の意味が隠されていると思うのは私だけでしょうか。


秩父巡礼 その6 同行4人

2014-06-22 10:17:11 | 旅行

今日は久しぶりの本格的な雨、近頃土方仕事に集中して腰が痛いので、
いい休みになっています。腰が痛いのに走るのには差し支えありません。
でも腰痛が治りにくいのは走るせいかもしれません。
もう若くはありませんね。ちょうどいい雨です。

6月9日最後の秩父巡礼に出かけました。
今回は4人、前回から参加した竹細工教室のメンバーの友達が加わりました。
天気予報は午後から雨でした。
でも今回は31番から34番までタクシーで回るので,少々降られても大丈夫です。
これまでの5回、1番から30番までずーっと歩いて来ました。

31番から34番までの4ヶ寺は歩けば3日かかります。
歩く距離も長いので、高齢者巡礼はここは無理をしないことにしました。



タクシー代は18000円、今回の参加者4人で割ればたいした事はありません。

4月は桜、5月は桐の花が見事でした。
今回はアジサイ、菖蒲その他、どこでも鮮やかな花が迎えてくれました。
鳥もホトトギスがしきりに鳴いていました。



それとガビチョウ、蛾眉鳥がいい声でさえずっていました。

http://www.youtube.com/watch?v=KQGzRw87wKE

初めて聞く鳥ですが、生息域を広げているようです。
タクシーの運転手さんは何度も巡礼たちを乗せて札所を回っていて、
いろいろ観光案内もしてくれました。
秩父や札所の寺の事情を教えてもらいました。



タクシーで回って思ったことはやっぱり歩くほうがいい、特に今回回った寺は山奥にあって、
奇岩や深緑に満ちてゆっくり回りたいところでした。



その内一人で、秩父に宿を取ってすべて歩いて回ってみたくなりました。
あまり信仰心には縁のない人間です。
でもどういうわけか巡礼と言う徒歩旅行の形がすきなのです。



今回はこれで終わりです。


でもタクシーの乗車人数の関係で二人に参加してもらったので、
今週二人が第一番札所から回るときに、
一日だけ未だ経験していない秋の巡礼を一緒にしてみようと思っています。

 




秩父巡礼 その4

2014-04-13 21:04:10 | 旅行

4月8日(火)従兄と一緒に秩父巡礼に出かけました。
昨年の秋は暑かったり従兄の具合が悪くて出かけられませんでした。
今回は久しぶりの秩父です。

この冬秩父でも大雪が降って1メートル以上積もったようです。
巡礼中に地元のお年寄りに聞くと、経験したことのない大雪で、100年に一度かもしれないということでした。

秩父まで来る電車からも、林の中に雪が残っているのが見えました。
でもこの日は暖かく、桜がちょうど満開で、どこへ行っても美しい花であふれていました。

巡礼の楽しみの一つは人との出会いです。
都会とは違って出会う人たちとは挨拶したり話を交わしたりします。
巡礼の人、地元の人、納経所の人、食堂のお姉さん。


今回お昼に立ち寄ったのは小さな餃子屋さんでした。
いつもなら秩父名物の蕎麦屋さんに寄るのですが、
この日は道端にあった六畳ほどのプレハブのような店でした。
40前後のお姉さんが一人でやっています。

言葉がちょっと違うので聞いてみたら中国出身、ハルピンから来た人でした。
日本に来て13年、日本語はちょっとなまりはあるけれど上手です。
地震の話から東北の震災、四川大地震の話をしました。
餃子も野菜炒めもおいしかった。


外来の人がこうして日本の地方に定着しているのを見るのはうれしいことです。
中国と日本の間にはいろいろ問題があるようです。
でもそれは国家の指導者たちの問題です。
私たち庶民の間では見知らぬ人たちは興味の対象です。



私たち庶民の間ではこちらに興味を持つ見知らぬ人なら誰でも歓迎です。
海外旅行でもどこに行っても親切な人たちがいました。
私が四国の宇和島、島根の石見銀山、掛川の山村で暮らしてこれたのも、
親切な周りの地元の人たちのおかげです。



日本では少子化、高齢化、人口減少による危機が叫ばれています。
もっと積極的に外国の人を受け入れてはどうかと思います。
もともとこの国はいろいろな地域から人が入ってきて生まれた国ですから。

新秩父橋

巡礼に出ると気持ちが明るくなります。
飛び切り忙しい毎日の間にぽっかりあいた休日でした。


新秩父橋から見た荒川の流れ



旅への憧れ

2013-09-02 19:09:55 | 旅行
いつまでも暑いですね。
 
日曜日は朝ジョギングして汗をかき、8時から9時半まで外仕事で伸びた枝きりをして大汗、二度も汗をかくと夕方また外仕事をする気にはなりません。

 
おまけに次女が子供を連れてきたので、長男の息子と大騒ぎをして遊びまわり、
それに巻き込まれないよう仕事場で静かにしていました。
 
小平図書館のクラシックはほとんど終わったので、民族音楽のCDを借りました。
トルコの弦楽器やオスマントルコの軍楽隊の音楽、トルコマーチの原型ですね。
 
今日は梅ノ木伐り。
毎年梅がよくなって、梅酒にしたり梅干をつけたりしていました。
秋になったらキュウイや藤棚も伐ります。
だんだん労力をかけないようにしなければなりません。
 
歳をとるにつれて退くことが多くなります。
その分残されたことに集中することになります。
 
最近クラシック音楽に夢中なのも、ジョギングしたり仕事をする際に欠かせなくなったから。
聞けば聞くほどその微妙な美しさに心を捉えられます。

 
読書は夜中に目が覚めたとき読む程度です。
中学時代に夢中になって読破したロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」を読み出しました。
文章が細部にわたって印象的で、こんなに魅力的な文体を持った人だったかと、改めて驚きました。ベートーヴェンの子供時代を模しているとか。
 
ベートーヴェンの音楽は聞けば聞くほど魅力がましてきます。ウィルヘルム・ケンプが演奏するベートーヴェンのピアノソナタ全集を求めてよく聞いています。ケンプの演奏する「悲愴、月光、熱情」のレコードは私が高校時代初めて買ったレコードでした。今はレコード2枚分の値段でCD8枚組みの全集が買えてしまいます。弦楽四重奏も全曲持っています。こちらは図書館で借りたものをPCにダウンロードしたもの。音楽の世界も変わりました。
 
若い頃はヘッセやロマン・ロランに惹きつけられていました。
その影響はかなり受けているかもしれません。
とくにヘルマン・ヘッセの「クヌルプ」を読んで以来、旅、特に徒歩旅行への憧れは今も続いています。特にクラシックの故郷ドイツでの徒歩旅行は今後やってみたい旅です。

 
イギリスにはフットパスという歩行者専用のルートがあり、以前2週間ほどかけて歩きました。ドイツにもそういう道があるといいですね。
 
ボルネオにも行きたい。でも今後行けるのは2、3年先でしょう。
この秋の予定は秩父巡礼だけ。
10月になって涼しくなったらまた始めます。
 
秩父は東京の近くなのにとてもいいところです。
ちょっと別世界の雰囲気があります。

秩父巡礼その3

2013-06-23 18:26:11 | 旅行
長男の嫁と孫の男の子が、第二子出産のために7月2日にマレーシアから返ってきます。
隣の家に住みますがお風呂は一緒なので、昨日は風呂場のペンキ塗りをやりました。
 
築60年以上になる木造平屋なので、お金があれば建てかえるところです。
それをなんとか手を入れて持たせていますが、あと10年は無理もたないかも。

今日は従兄と一緒に秩父巡礼に行って来ました。
昨日の予定でしたが数日前は雨の予報だったので、今日に延期しました。
時々日も差してあまり暑くもなくちょうどいい巡礼日よりでした。

新しい道しるべ
 
今日は朝4時に目が覚めたので、4時半から玉川上水を10キロ走ってきました。
体調は上々、これまでは朝食を摂ってから走る癖が付いていましたが、
これなら朝食前に走っても大丈夫、
胃袋も小さくなったのでしょう、らくらく走れます。
 
秩父巡礼の楽しみの一つは、飯能から秩父までの山の中を走る電車の風景です。
 
東吾野、吾野、西吾野、正丸と切り立った山の間を走ります。
ここにある伊豆ヶ岳には子供達と一緒に何度か登りました。
青梅線方面と違って電車を降りたらバスに乗る必要はなく、
すぐ山登りできるのです。子連れには面倒がない山です。
 
屋根にかぶさるかと思うような木々の間を抜けてゆくと秩父盆地が広がります。
今日のコースは市街地の中を通ります。といっても古い家や空き地が多く。
のんびりと周りの草花を愛でながら歩きます。13番から19番札所です。

お寺に咲いていた花、名前不明
 
私は各札所で般若心経を唱えます。でも信仰心からと言うより挨拶代わり、
四国遍路も経験しているのに仏教とは縁の遠い人です。
歩いて旅をするのが好きで、コースが整っている巡礼道は歴史もあって魅力的な道が多いのです。
歩くのは好きでも国道一号線を歩く気にはなれません。

 
今回は歩く巡礼さんにはあまり会いませんでした。


東京の近くにこんな素敵な巡礼コースがあるのに、来る人が少ないのは勿体無いですね。
 
でも世界遺産になった富士山に今後どれだけ登るかゾッとします。
山小屋の状態を考えると当分登る気にはなりません。
それに比べればここに来る人が少ないのは幸いだったのかもしれません。

 
秩父がすっかり気に入っているので、12月の秩父の夜祭には是非来て見たいと思っています。
 

5歳年上の従兄は故郷の陸前高田の状況や親類関係に精しい人なので、昔話が中心になります。
 
彼は津波で奥様と自宅、ガラス屋の店も失ってしまい、今は千葉県に住む長男一家のところに同居しています。とても現実的でしっかりした人ですが、一方かなりの皮肉屋で神信心その他については懐疑的です。私とは共通性はない様なのですが、親戚の中ではこの人が昔から好きで、今もこうして一緒に巡礼をしています。どこだか分かりませんが似た所もあるのでしょう。

 
いつも一人でばかり行動していますが、こうして人と一緒に過ごすと言うのも、それぞれの違いがよく分かって面白いものです。あと5,6回は一緒に旅をすることでしょう。

 これもベルガモットみたいです。


原鉄道模型博物館

2013-02-21 15:50:21 | 旅行
先月30日に小平に戻り、昨日20日ぶりに掛川に帰って来ました。
昨日は神奈川県の秦野から御殿場、裾野まで雪が降りました。
でもそれ程積もらず、無事に掛川に着きました。
今回は富士山は全く見えずちょっと残念。

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野原はまだ冬景色。
 
東京にいる間に一度立川に映画を見に行きました。
「レミゼラブル」ミュージカルの実写版で、スケールが大きく見ごたえがありました。
小説は若い頃読んでいます。でも忘れています。
映画としてはよく出来ていて感動しました。
もう一度見たいような・・・
 
従兄と一緒に横浜の原鉄道模型博物館に行きました。

 
これは現在93歳の原信太郎氏が小学校時代から鉄道に関心を持ち、
13歳の時に模型の電気機関車を自作し、
以来80年以上にわたって世界の鉄道関係資料や模型を集めたものを公開しています。
そこにはNO1ゲージの世界有数の巨大なジオラマがあり、
氏の製作になる機関車や客車、電車などが走っています。

  
 
私の小学校時代、近所の年上の友達が電気で動く機関車を持っており、
時々遊びに行っては見せてもいらいました。
あの当時簡単に手に入るものではなく、好きだという思いだけが残りました。
子育ての頃には安価なプラレールがあって、子供と一緒に遊んでいましたね。
 
模型は架線からパンタグラフで電流を取って走り、レールには小石が敷き詰められています。
ここは本物の鉄道博物館よりも魅力がありますね。
グルメには縁のない私にも横浜の魅力が増しました。

 
来月は従兄と2人で秩父34箇所巡礼を計画しています。
毎月1回秋まで5、6回かけてゆっくり回るつもりでいます。

 
掛川に来てからも厳しい寒さが続いています。


梅が咲いていますが春はまだ遠い感じがします。