九州の風来坊

今は自由人で風来坊、何処までも突っ走る男は何処に行くのやら

無事到着

2006年11月10日 12時30分29秒 | Weblog
家を出て18時間後、上海経由で海南島に到着、
途中香港、マカオの100万㌦の夜景を見ながらのフライトだ、到着した小さな空港で盛大な歓迎を受け、ホテルに到着したのが夜中の1時過ぎ。
到着したホテルは高級リゾートだった、マッサーの宮島はこんなホテル見た事ありませんよと声が上ずっている、ベットの上にはお姫様寝るようなひらひら付き。
選手も同じで格2名で宿泊だ。
俺はというとシングルルームに通され一人で寂しい、部屋の雰囲気は皆と違い、和風、部屋からは海とやしの木、それに一望できる風呂付、ここ3ヶ月ほどほとんどシャワー生活の俺には最高だ、ベッドはキングサイズで、どちらを向いても寝れる、ここは本当に中国?????
まだ外には出ていないから何ともいえないが、中国のハワイと言うのは間違いないみたいだ。
そして昼飯前に風呂に入る、レース前のほんの一時。

合宿

2006年11月08日 23時40分24秒 | Weblog
アジア大会の合宿を沖縄で行なった。
4ヶ月、ほとんど自転車に乗っていない俺が人間バイクペーサーで女子選手の練習相手。
だがそんなに甘くは無かった、日本を代表する女子選手の力を甘く見ていたのだ、
初日、坂でぶちぶちにちぎられてしまう。
上がりきる心拍と肺が苦しい、足は何とかなるがとにかく苦しい。
だが人間の体は凄い、次の日には錆付いた心臓は動き出し、対等に走れるようになり戦闘モードに突入、実践練習の始まりだ、俺を振り切ろうとする女子選手、力以前に経験が違う、弱みを徹底的に突く、そしてダッシュの応酬で戦う。
それでも食い下がる女子選手はわずか数日で走りを覚え強く育っていく、
対戦結果は世界選手権を走りぬいた萩原と1勝1敗、今度の合宿ではさらなる戦いが、今度も人間バイクペーサーで勝負だ。

トレーニング

2006年11月01日 12時14分02秒 | Weblog
少し前にトラックで強くなる為に必要なものはなんですかと質問があった。
トレーニングはまず計画性が必要で、サイクルを分けて年間のスケージュールを決める、これができないと最初の1歩を踏み出せない。
それから基礎体力、ここはランニングやウエートだがそんなに難しいレベルでは無い。
自転車を使うトレーニングでここからが難しく、ここには書ききれないほど難しく、勉強が必要で経験のみでは語れない。
素人にもできる一番簡単な方法はひたすら反復練習をして最大出力を上げる事、
たとえば200mのハロン、スタンデングダッシュ等がある、ここをどのギヤでいくかが問題だ、最初は48×15Tで十分。

ロシアの友人

2006年11月01日 10時32分51秒 | Weblog
俺の友人がベトナムに派遣されて何年が経つ事だろう。
その友人はロシアスポーツ科学アカデミーからベトナムナショナルチームを強くする為に、その友人の教え子を敵に回し何回もレースを走ってきた俺の印象は、相当な時間が必要だろうとその当時思ったが、確実に強くなり日本に迫ってきている。
数年前はレース中に指をさされ、オープニングセレモニーでは紹介もされないという光景を幾度も見たことがある、そのたびに友人は俺に必ず強くするからと言い続けた、そして今回のアジア選手権でDH2位、3位、クロスカントリー日本に続き5位、6位。
少し前に行なわれたアジア選手権でも女子ロードで6位入賞とその実力は確実に上がってきている、来期のアジア選手権では確実に日本と渡り合う事だろう、日本も負けない為に何をやるべきかは考えないといけない。
俺もこのロシアの友人に負けないように頑張らねば、そのスタートが明日から沖縄で開始される、後は選手が耐えれるかだ。
それにしてもアジアでの食事ロシア人にはきついだろ?

ベトナム

2006年11月01日 10時14分13秒 | Weblog
想像以上に凄かったメコンデルタ、カンボジアのポルポト政権大虐殺の地まで18kmと近い所でのアジア選手権、俺が訪れたアジアの中では最強に凄い所。
雨季で田畑が水深して右も左も湖のように見える広大な台地の中に、車が通れる道が1本果てしなく続く、ここで浸水した湖の上に家が点在して生活をおくる住人。
子供が学校に行かず生活も助けながら働く中、治安部隊はだらだらとハンモックの上で昼寝と賭博。
レースで大量に余るパンや弁当は小さな子供達に分け与えると、腹をすかせた子供がおかーさんと一緒に食べると大事に握り締めた。
その子は小学5年生、〔小さくてそうは見えない〕学校はたまに行くだけで母親が作った物を売り歩き生活費を稼いでいる模様、服装は何時洗ったかわからないほどぼろぼろだ、しかしなかりしっかりしていて、綺麗な言葉使いで自分達にお礼を言っていると通訳の子が話す。
帰り際、車に乗り込む自分達を見つけお礼に現れた少年は、車が走り出すまでの20分ほどと車が見えなくなるまでそこに立ちつづけていた。