九州の風来坊

今は自由人で風来坊、何処までも突っ走る男は何処に行くのやら

俺が見た範囲でのレース

2008年08月12日 12時58分40秒 | Weblog
11時スタートで曇り空、北京市内は高温多湿、周回コースまでいけば涼しい風が吹いていたが湿度が高く選手を苦しめた。
坂は強烈な追い風で軽く感じるがその分ペースが上がる。10kmほど登るが途中何度も平地や下りがある為にペースがつかみにくい、本当に登るのはわずかだが勾配は8%ほどでだらだら登るので選手はきつく感じるだろう。
実際公式練習で登ってみる、1回目は中速域で走るがダンシングしなくても十分に回して登れる、2回目はポルトガル、スペインチームが引く集団で登る、今の自分には最高速だが切れることは無い、スター地点から最後尾をひらひらしながら付いていく、切れそうになると集団の真ん中に入る、当然追い風の為に吸い込まれるようになり登っていく。ギヤは39T19、21T残り1kmは少しだけきつくなるが速度が上がっているのでだせいで登る、先頭が向かい風になり失速したからそのまま頂上通過。場所によりラインを右にとれば風にはあたらない事が判明するあくまでも自分の感想だと坂はトータルで長いがさほどでも無い、鈴鹿サーキットの直線をイメージすれば想像はつく、所により鈴鹿の直線ほどの勾配、逆に勾配が緩いからギヤがかかり速度が上がるからアタックが掛かった時が勝負なる、その一蹴を我慢すれば頂上にたどり着く、後は長い下りで回復。
しかし勾配が緩い分ギヤをかけるから乳酸が溜まり結局坂のきついコースと同じだ。
この予測はオーストラリアの二ールも同じ感想だった。(オンセに居たオーストラリア人で昔一緒に走っていた友人、現在オーストラリアナショナルチームのスタッフでアスタナのスタッフでもある)
90年代スペインの世界選手権の時は12km平気勾配11%、を一気に駆け上がりその後も休む暇なく更に2kmの登りのコースを9周回ほどだった。その時の選手のギヤ比は39×21、急勾配で高温多湿の日本の世界選手権も39×21でグレグレモンやほとんどの選手がギヤを踏んだ、今回はギヤが踏めなければ辛い。
シャンベリーでは、あのきつい登りを42×18Tのフィ二オンが選択する。
人間では無い。

当然今回のギヤ設定を見ると21Tが多い、下りは強烈な向かい風で全然進まない、ほとんどブレーキをかけずに下れるが踏まないと遅れる、勾配がそれだけ緩いのだ。
その為にクライマー勿論だがTT選手も来るだろうと予測がほとんど。
補給地点で見ていると最初は南米系の選手が選考するが、中盤はやはりTTを得意とする選手が多く先頭を引いている、スペンの引きは更に強力、12人ほどの逃げが決まった中でもガンガン引いている選手と楽にこなしている選手が見える、レべリンやべッテイー二は全然苦しそうに見えない、中盤追撃グループがペースを上げた所で宮沢、別府が切れた。アジアではイランが先頭グループに2人残している、ミズバー二とアスカリだ、カザフのミズロフも残っている。
最初に切れた韓国は補給が居ない、朴に水を渡すが食料は自分達も持っていない。
そのまま補給無しで走り続けるが速度が一定なので疲れがないように見える、後半遅れた選手をどんどん追い抜いていく、余り選手権では見れない光景だ。それにしてもこの暑さと湿度の中補給無しで走りぬく体力は凄い。
遅れた別府は補給所2で自転車を降りる、全力で挑んだがもう身体が動かない、すいませんと言葉少なく言った。もう十分だすぐにTTの準備に入れ別府。

一人で走る続ける宮沢に絶対降りるなと叫ぶ、走り続けろと激を飛ばすが完走が怪しくなる、最終補給終了のバスがゴールに向う時間が来た。
中国語で日本の選手が来るから待ってくれ、これを渡さないと選手がゴールのたどり着くのは難しいとお願いする。
もうこれ以上待てない、バスが発車するる瞬間に日本のユニホームが見えた。
最後の補給を渡す為に猛ダッシュ、後はゴールにたどり着くのを待つだけだ。
レースは先頭の選手3人が通過するが速度は落ちていない、遅れてロシア一人、更に遅れて集団だが、補給地点で追撃アタックが仕掛けられ目の前で、カンチエラーラーが切れる、見ていて物凄く苦しそうだ。カンチエラーラーは中盤以降も苦しそうだった為スイスのスタッフも今回はダメだとうなだれていた。
対照的にスペイン、イタリアのレべリン、べッテー二は楽そうに見える。
最終の集団追撃グループの15人ほどの後方にべッテー二が居て、下りで追いつき世界選手権の時のようにゴールを狙うのかと予測。
しかしゴールは切れそうだったカンチエララーが激引きで先頭に追いつき表彰台。
もう少し早く追いついていればどうなった事か。
ゴール前は緩やかに登っており選手が想像する以上にスプリントが難しそうだった。
日本の2人はレース後開放された安堵感が顔に出ていた。又次にチャレンジするしかない、今できることはやったんだろうなと思った。
心残りは別府一人選手村に置いていた事が気がかりだ、練習にはいけたのだろうか?調整はうまくいっているのだろうか?TTコースの下見にはいけたのだろうか?別れ際に無線機を渡し、これで指示を受け全力で戦えTTはペース配分が難しいから指示を仰げ、頑張りますと答えた表情はやる気であふれていたがやはり心残りだ。何の手伝いも出来ずメカ鬼原氏と俺はトラック組みに引継いた。
そして宮沢、沖、鬼原メカと北京空港を後にした。

それにしてもトラックもメカ一人で大丈夫?多分寝る暇無いぞあきちゃん。
メカの森昭雄は同じ年で長く1kmの日本記録を持っていた男、世界に通用するタイムを18歳で叩き出した本物のスプリンターだ。
強化合宿で怪我して選手を辞め、今回は後半組みのトラック、MTB、BMX、パラリンピックのメカを担当している。
14世は何を考えているのやら、皆わからん?ロードも14世が担当で色々わからに事が多かった。







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2 コメント

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納得できた (やま)
2008-08-12 13:21:04
レースの裏側を読ませていただきありがとうございました。
カンチエララーが下って来た時には眼を丸くしましたが、
中盤で厳しかったということを知り、一層驚きをましました。

日本のメカニックやマッサーがかわいそうです... 
海外強豪チームの体制も似たようなものなんでしょうか??
Unknown (noguchi)
2008-08-12 15:43:11
14世は相変わらずみたいですね、こんな事ならルパン3世でも雇ってたほうが良かったかも(謎)
森メカも一人じゃ大変でしょうね、トラックの選手で時間があるから何か手伝いましょうか?って言いそうな選手もいないし・・・

ロンドンまでの4年どうなることやら・・・なんって言ってられませんよね、とにかく若手の育成頑張ってください。