九州の風来坊

今は自由人で風来坊、何処までも突っ走る男は何処に行くのやら

沖縄

2009年10月19日 22時11分12秒 | Weblog
沖縄国体まで選手を続けようぜと当時の選手達と良く話した。
25歳までが選手として限界で、若い選手がしたからどんどん出てきた時代でもあった。
沖縄、都道府県大会は国体の予行大会、ここで総合優勝を果たし国体を迎えた。
本番の国体は、ヨーロッパの遠征疲れで、かって無いほどの不調で疲労のピーク、団体追い抜きメンバー変更となれない食事、忘れもしない。
帰りはじゃんけんに負け、船で九州まで向かい、そこから陸送となった。
船の旅は蛍お光りを聞きながら各小さな島を経由、まさしく寂しい雰囲気でシーズンが終わった。
1989年には合宿、合宿、合宿で筋肉が崩壊しそうなぐらい走りこんだ。
2月雨が多く、レーサーパンツとレッグカバーが擦れる所で又ズレ。
今なら又ズレクリームが簡単に手に入るがその当時は無く痛さに耐えた。
ユニホームを乾かすの使った布団乾燥機が元でダニが発生、全身ダニの餌食になる。
あれから20年ほど、2009年になっても沖縄に行っている、何でだ?選手でも無いのに。

1990年当時の映像やデーターが残っているが、信じられない。皆強かったんだね。
当時沖縄は山が無いからと言って、何度も坂を登った記憶がある、そして練習風景を収めたテレビ局の映像がある、シングルギヤ?インナーギヤ使って無いじゃん?当時は未だ7段で後ろは最大でも21T、うー時代を感じる。
ツールド沖縄も年を取り、コースが新しくなつて行く、そこで難易度が下がっているのは残念。
ここ数年で一つ山が無くなった。そして当然道は生活道路でもある為に綺麗になり、北部の曲がりくねった道は今は無い。曲がりくねった道が非常に選手を苦しめたのだが。その分レースは高速化するはずが、なんと逆行してここ数年の山場の速度がダウンしているらしい、海外招待選手も一流のナショナルチームが来ていたが、今は来ない。イタリア、アメリカ、フランス等。
でも市民レースは今でも激しいぞ、皆時間が無いわりに練習をして挑んでいる。
そんなツールド沖縄、見るより走るほうが楽しそう。
つい最近始まったように思うが、んなと20年近くも行われている。