きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影

「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

どうぶつえん獣医師奮闘記④ 5時間におよんだライオンの手術

2010-10-11 20:01:07 | 政治・社会問題について
どうぶつえん獣医師奮闘記④ 5時間におよんだライオンの手術

 37年間で一番印象に残る診療はタケオというオスのライオンの手術です。タケオはもう1頭のオスと折り合いが悪く、けんかは絶えませんでした。
 1979年11月のある夕方、痛々しく左後肢を引きずって歩くタケオの姿がありました。どうやらオス同士の争いで堀に落とされ骨折したようです。翌日午前10時から始まった手術は昼食抜きで続行し、5時間にもおよぶ私自身も初めて経験する大手術となりました。(写真左下)



金物屋で買う
 長時間の麻酔維持に苦労しましたが、体重150キログラムのライオンを手術しやすい位置に動かしたり、骨折部位をレントゲン撮影のために動かしたり、骨折端を合わせたり、そのたびに6人がかりで動かすありさま。冷えこみの厳しい日でしたがそれだけで汗だくでした。
 しかも複雑骨折のために手術は容易ではなく、遊離した骨片を医療用ステンレスワイヤでつなぎ、下腿骨(脛骨)の骨髄内にはステンレスのピンを挿入することにしました。
 しかし動物園にあったピンは犬用で細すぎるため、窮余の一策、近所の金物屋で太いステンレスの棒を買ってきてもらうように頼みました。それを削って骨髄の中に通しましたが、医療用のピンの安全性に比べ、金物屋のステンレス棒ではどのような影響が起きるか保証の限りではありません。
 急を要することからやむを得なかったわけですが、骨折部の整復、ピンの挿入、骨片の固定、皮膚の縫合、ギプス包帯…5時間におよぶ手術が終わった時には空腹と寒さ、そして極度の緊張もあってまさに疲労困懸。さらに腰をかがめての手術で、終了後は獣医師一同、しばらく立ち上がれなかったのを覚えています。

最長記録樹立
 その後3カ月たっても進展はなく、タケオは横たわる日が続きました。二度と歩けなくなるのではと気持ちが落ち込みかけたころ、タケオは少しずつ患肢を動かし、床に付けようとする動作が見られだしました。
 7カ月経過したある日、手術後初めて外の運動場に出しました。久しぶりの外の空気、陽光、土の匂い、すべて懐かしかったことでしょう。かばうような歩き方で一歩一歩、しっかりと地面につけて歩きだしました。完治不能かと思われたあの複雑骨折が治ったのです。
 その日は感激の一日でした。しかし心の隅では、いずれ骨髄の中のピンが腐食して骨髄炎を併発し、長生きは望めないとも思っていました。
 ところが群れに戻ったタケオは、その後なに不自由なく歩き、走り、さらには17頭の子どもまでもうけて、93年2月に老衰で亡くなりました。手術後13年も生き、21年8カ月の天寿をまっとうしたのです。天王寺動物園のそれまでのライオンの長寿記録19年5カ月を大きく上回る最長記録まで樹立したのです。



 亡くなったタケオから取り出した下腿骨は骨標本となって私の書斎の机の上に置いてあります。骨折の跡も分からないほどきれいになっており、骨をつないでいたワイヤが3カ所で骨に食い込んでいるのが、名残といえるだけ。
金物屋のピンは膝関節側に5ミリほど顔をだしていましたが、錆もなく光沢を放っていました。動物の回復力のすばらしさに驚きを感じるとともに、銀色に輝くピンには感謝の念がこみ上げてきました。(おわり)



「しんぶん赤旗」日刊紙 2010年9月24日付掲載

暖房のある手術室に移動することもできなかったのでしょうね。
でも、金物屋でステンレスのピンを買ってくるという気転がよく働きましたね。経験の積み重ねでしょうね!
コメント
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どうぶつえん獣医師奮闘記③ サイの採血はできるのか?

2010-10-06 22:48:10 | 政治・社会問題について
どうぶつえん獣医師奮闘記③ サイの採血はできるのか?

 この地球上には5種類のサイが住んでいます。アフリカのクロサイとシロサイ、アジアにはインドサイとスマトラサイ、ジャワサイ。いずれのサイも野生での生息数は大幅に減少し、特にジャワサイとスマトラサイは絶滅寸前です。

 天王寺動物園が1960年代から飼育と繁殖に力を入れてきたクロサイは、サハラ砂漠以南のアフリカ全土にかつては広く分布し、100年ほど前は野生で約10万頭も生息していました。しかしサイの角が解熱剤や強壮薬として珍重されたり、短剣の装飾用として重宝されたりすることから、角目当ての密猟が絶えず、75年ごろには2万頭ほどに、95年にはわずか3千頭くらいにまで激減してしまいました。現在ではジンバブエ、南アフリカ、ナミビアなどアフリカ南部にしか見られなくなりましたが、角さえなければサイも密猟者に狙われることもないのでしょうに。



専用注射器で
 さて天王寺動物園で初めてのクロサイ誕生は72年。赤ちゃんはメスでサッチャンという名前をもらいました。サイは1トンを超える大型動物の割には臆病で、神経質な動物ですが、サッチャンは動物園生まれということもあってか、飼育担当者や私たち獣医師にもよく慣れてくれました。私は毎朝、園内を巡視する際、ポケットにニンジンやパンなどをいつも忍ばせていました。このオヤツで動物を近くに寄せて観察するのです。サッチャンも私のニンジンを待ち焦がれる動物で、餌を与えながら鼻先や首筋を触り、話しかけ、その日の健康状態をチェックするのが日課でした。
 ところが81年8月30日、サッチャンの尿に血が混じっているのが分かりました。食欲が日ごとに落ち、9月13日からはまったく餌を食べなくなりました。尿検査では潜血反応と尿タンパク陽性しか分からず、一応細菌性の腎炎を疑い、抗生物質の注射を毎日することにしました。といってもサイの皮膚の厚さは2センチ以上、そして古くなった餅のような固さ。動物に使用する注射器や注射針は通常、ヒトと同じものを使いますが、サイの場合はそうはいきません。
 近寄って直接の注射は危険なので、3メートルほど離れたところから、専用のピストルにアルミ製の専用注射器(針の長さは6センチ、太さは2ミリ)を装てんし、お尻めがけて発射。あたった衝撃で中の薬液が火薬の力でサイの筋肉に注入される仕組みなのです。治療を始めて4日目、微量な血液さえあれば正確な診断ができると、私は採血を試みました。唯一血管が分かるのは耳のところ。ニンジンで側に寄せ耳を持ったもののサッチャンは耳をパタパタと動かしとても採血は無理。それならば皮膚の柔らかい尻尾の裏側を狙おうと、私は無謀にもサッチャンの部屋に入り込んで背後に回り、尾を片手で持ち上げ、尾静脈からの採血を試みました。


私に向き直り
 元気を失っていたサッチャンでしたが気力を振り絞って私に向き直ったのにはびっくり。角で突かれると思った瞬間、サイの部屋から飛び出していました。本当に怖かったです。採血は失敗しましたが、連日の抗生物質の注射で回復したときはうれしさでいっぱいでした。
 サッチャンはその後、8回も出産し5頭の子どもを育てました。そのうちの1頭はイギリスの動物園に婿入りし、そこでサッチャンの孫に当たる子どもが2年前に誕生しています。(金曜掲載)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2010年9月17日付掲載


サイの様な固い皮の動物も採血できる場所があるんですね。サイやカバなど普段は穏和な動物でも異変を感じると向かってくるんですね。
本人は、ちょっとじゃれているつもりでも体格が人間と全然違いますので致死傷を負うことになりかねません。
草食性と言っても、相手は野生の動物ですのでそのつもりで接する必要がありますね。

コメント (1)
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