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「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

リーマン10年爪痕② 欧米中心秩序の崩壊

2018-09-15 12:18:05 | 国際政治
リーマン10年爪痕② 欧米中心秩序の崩壊
米国発の世界的経済危機だったリーマン・ショックは、米国を中心とする大国が世界経済を仕切ることの無力さを、まざまざと示しました。大国が集う主要8力国(G8)に代わって登場したのが20力国・地域(G20)の枠組みです。アジア、アフリカ、中南米、中東の新興国が参加しています。
リーマン・ショックで問題になったのが、どの国が集まって対策を協議するかーでした。危機の震源地は米国です。欧州も大きな打撃を受けました。何より、世界経済を話し合うのに、国内総生産(GDP)で当時第3の大国だった中国抜きでは何も決められません。



G20首脳会議に向けて「人々を優先に」とデモ行進する労働組合員=2009年3月、ロンドン(小玉純一撮影)



G8からG20へ
リーマン・ショック直前、08年7月に北海道で開かれたG8首脳会議、洞爺湖サミットではフランスのサルコジ大統領がG8に中国などを加えた「G13」創設を提案しました。このときは米日の反対で葬り去られました。
しかし、リーマン・ショックは「世界経済のかじを誰がとるのか」という問題を再び各国に突きつけました。注目されたのが1990年代から財務相会合として存在したG20でした。ブラウン英首相の説得にブッシュ米大統領が折れて、08年11月14~15日にG20首脳会議が開かれました。
採択された首脳宣言は、金融・経済の安定化に向けて各国が「あらゆる追加的措置」をとることや国際通貨基金(IMF)改革などが盛り込まれました。
「追加的措置」で最も強力だったのが、中国による4兆元もの財政出動です。現在のレートで約65兆円。各国経済が急速に落ち込む中、世界の景気を支えました。米欧日だけで世界的経済危機に対応できないことがはっきりしました。
翌09年9月に米ピッツバーグで開かれたG20首脳会議はG20を「国際経済協力の第一の協議体」と規定し、定例化を決めました。新興国・途上国を含む多様な国々が国際経済秩序を民主的に決めていく道が示されました。
G20を舞台に、タックスヘイブン(租税回避地)対策など多国籍企業による税逃れを取り締まる取り組みも始まりました。ただ、その後、国際経済秩序をめぐる改革は遅々として進んでいません。IMFは中国の出資比率を引き上げましたが、米国が今も決定の拒否権を握っています。

投機規制に逆流
米国ではリーマン・ショック後、巨大金融機関への規制を求める動きが強まり、オバマ政権のもとで10年に金融規制改革法(ドッド・フランク法)が成立,しました。大手金融機関による野放図な投機を規制し、消費者を保護する法律です。その後の動きは、規制強化に抵抗する多国籍企業や大手金融機関と、格差、貧困の根絶を求める民衆の運動とのせめぎ合いが続いています。
トランプ米大統領は就任早々、金融界の意を受けて金融規制改革法を見直す大統領令に署名しました。
米国では11年に「人口の1%の富裕層の負欲と腐敗の根絶」を掲げた「オキュパイ(占拠)」運動が起きました。16年の大統領選挙ではこの流れを受け、「民主的社会主義者」を名乗るサンダース上院議員が民主党予備選挙で大健闘しました。格差と貧困の根絶を求める運動は欧州でも高まっています。
G8では14年にロシアが資格停止となり、G7となったサミット体制が崩壊状態です。今年6月にカナダで開かれたサミットではトランプ氏が会議後、採択した首脳宣言を、通商政策を理由に拒絶しました。米国を盟主とする体制が逆流となって元の力を取り戻す見通しはありません。
(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2018年9月14日付掲載


主要8か国だけで事を決めるって許されない。せめて、1990年代から財務相会合として存在したG20で。
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