広島平和記念公園の慰霊碑めぐりをしました。

被爆アオギリです
市内東白島町の中国郵政局(旧広島逓信局)の中庭(爆心地から約1300m)で被爆し、爆心地側の幹半分が熱戦と爆風により焼けてえぐられていましたが、その傷跡を包むようにして成長を続けています。
1973(昭和48)年5月に、平和公園内の現地へ移植されました。
被爆アオギリ2世
2000(平成12)年夏、この場所から約10m離れた植え込みの中で自然の実生から育っていた「被爆アオギリ2世」と確認できる苗木が見つかりました。2003(平成15)年3月19日に移植しました。
被爆したにもかかわらず、50年以上経った今も元気に葉を茂らせ、2世も生まれている。生命の力強さを感じます。

被爆詩人 峠三吉の句碑です。
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ

先生が、子供たちに、詩の文面を朗読させて、説明しています。

天神町北組の慰霊碑。 平和公園内には、被爆前には多くの町がありました。被爆とともに、住人が全滅した町が多くあります。天神町もそのひとつです。

被爆アオギリです
市内東白島町の中国郵政局(旧広島逓信局)の中庭(爆心地から約1300m)で被爆し、爆心地側の幹半分が熱戦と爆風により焼けてえぐられていましたが、その傷跡を包むようにして成長を続けています。
1973(昭和48)年5月に、平和公園内の現地へ移植されました。
被爆アオギリ2世
2000(平成12)年夏、この場所から約10m離れた植え込みの中で自然の実生から育っていた「被爆アオギリ2世」と確認できる苗木が見つかりました。2003(平成15)年3月19日に移植しました。
被爆したにもかかわらず、50年以上経った今も元気に葉を茂らせ、2世も生まれている。生命の力強さを感じます。

被爆詩人 峠三吉の句碑です。
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ

先生が、子供たちに、詩の文面を朗読させて、説明しています。

天神町北組の慰霊碑。 平和公園内には、被爆前には多くの町がありました。被爆とともに、住人が全滅した町が多くあります。天神町もそのひとつです。