goo blog サービス終了のお知らせ 

きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影

「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

西日本豪雨2年 被災地を訪ねて① 岡山・倉敷市真備町 市を動かす「希望の家」

2020-07-10 08:10:25 | 震災・災害・復興・地震&災害対策など
西日本豪雨2年 被災地を訪ねて① 岡山・倉敷市真備町 市を動かす「希望の家」
約260人が亡くなり、約1万8100棟が全半壊した西日本豪雨から6日で2年になります。被害が大きかった岡山、広島、愛媛の各県の被災地を訪ねました。

西日本豪雨で市街地がほぼ浸水した岡山県倉敷市真備町に、被災者が戻りつつあります。日本共産党と災害対策連絡会が開く被災者支援センター「ガーベラハウス」に6月下旬、3カ月入院していた女性(59)が訪れました。センターと一緒に市に要請した医療費などの減免が延長されたことを報告し、「すごく助かりました」と喜びました。

被災者と交流し
「希望」の花言葉があるガーベラが壁に大きく描かれた支援センター。現在は週に一度開き、被災者の交流の場になっています。女性はパートの夜勤明け。医療費の心配なく持病の足を手術し、5月に退院できたと語りました。
女性が夫と2人の子ども、犬と暮らしていた自宅は2階まで浸水。胸まで水に漬かり、ポートで救助された後、避難所を転々としました。昨春、リフォームを終え、仮設住宅から戻りました。
「昨年までは急に涙が出たりしていました。今でも雨が多く降ると怖い」と女性。共同代表の須増伸子県議(54)は回復を喜び、「支援制度を活用し、たくましく生きないとね」と励ましました。



支援センター前に集まった(前列右から)須増、伊原、小坂の各氏と田辺牧美市議(後列右)ら=6月下旬、岡山県倉敷市真備町

忘れられない数
国が1年で支援を打ち切った医療費などの減免は、市独自で昨年末まで、さらに今年6月まで延長されました。市を動かしたのは支援センターの署名。人口約2万1千人の真備町で、予想を大きく上回る2367人分を1カ月で集約。支援する真備歯科診療所の小坂勝己・前事務長(62)は「一生忘れられない数。涙が出ました」と言います。
真備町では川が決壊し、5756世帯が全半壊。51人が亡くなりました。仮設住宅に最大で3285世帯が入居。自宅を再建して戻る人が増える一方、5月末現在で1278世帯が仮設住宅に残っています。共同代表の伊原潔さん(67)は「資金調達が困難な高齢者の自宅再建とその後の生活は相当に厳しい」と指摘します。
真備歯科診療所が5月末に被災患者に尋ねたアンケート(79人回答)では、高齢者の多くが「家を建て替えて貯蓄がなくなり、不安」と訴え。「気分が沈みがち」(複数回答、20・5%)、「意欲がわかない」(17・6%)、「よく眠れない」(16・5%)と答えています。
支援センターによく顔を出す60代の女性は車で30分ほど離れたみなし仮設のアパートに一人で暮らし、「知人と会うこともなく、気がめいる」。リフォーム中の自宅は業者の不誠実な対応に悩み、「住みたくなくなってきた」と話しました。
支援センターは餅つきなどの催しを毎月のように開いて交流。被災者を訪ね、要望などを聞く活動も進めています。伊原さんは「コミュニティー再生のお手伝いや被災者の問題解決のために行政とのパイプ役を務めていきたい」と語ります。(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年7月4日付掲載


真備町で川が決壊した理由は、支流よりも本流の高梁川の水位がダムの放流に高くなったことが原因だと言われています。
被災した真備町の人たちが、医療費減免を求めて、1か月の間に人口の1割の署名を集めたってすごいパワーです。
それに応える倉敷市も頼もしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

くらしの防災④ 日常に取り入れる 備蓄は食べなれた物を

2020-04-01 08:09:39 | 震災・災害・復興・地震&災害対策など
くらしの防災④ 日常に取り入れる 備蓄は食べなれた物を
坂本佳奈

「天災は忘れたころにやってくる」。物理学者の寺田寅彦が弟子に対して残した言葉として有名な格言ですが、阪神・淡路大震災はまさに、誰もが備えていないところで起きた地震でした。当時、神戸で災害と言えば、水害を指しました。

切らさず置く
自然の恵みが豊かな場所では普段加工食品を食べないかもしれません。しかし食糧の補給が止まった時には生鮮品は入ってこないことになります。野菜も肉や魚も入ってきにくくなります。
そんな時、缶詰やレトルト食品が活躍します。防災のための特別な食事は必要ありません。というのも、人間は意外と食べるものに対して保守的です。今まで食べたことがない、新しい食べ物をいきなり口にするのは難しいのです。もし日常にレトルトを使うことがあれば、そのレトルトを切らさず、置いてください。明日買いに行けないと思って、明日の分を一つ買っておくといいでしょう。たくさん買う必要はないのですが、切らしてはいけないのです。



被災時に活躍する缶詰やレトルト食品。普段食べ慣れた好きな味のものを、食べながら切らさずに置いておく


食べたことのない備蓄食品は味見しておく

そしてもしも避難袋に食べたことがないものを備蓄している場合、今すぐ、味見してください。もしかしたら好きかもしれないし、嫌いかもしれない。想像してみてください。被災して、疲れ切った時に、おいしくない物に出合ってしまったら?ますますストレスがたまります。特に避難袋の中には、自分の大好きで、食べたい物、楽しみになる食べ物を入れておきましょう。
また、配給でくる食べ物が、好みのものとは限りません。手に入るものは何でも食べなければいけない状態になることもあります。災害に遭った時、普段からは想像もつかないようなストレスの多い状態に置かれます。たとえ被害が少なくても避難するような状態になれば、それだけでもう、日常とは違う世界となってくるのです。
そんな時にお楽しみの食品があれば、体の栄養だけでなく、心の栄養にもなります。常温で置いておけるものなら、何でも構いません。そうして選んだ避難袋の食べ物は1月17日、3月11日といったご自身の防災の節目の日に見直します。賞味期限がきそうなものは食べて、また新しく入れ替えます。見直し期間を考えて、大体3カ月以上の賞味期限があると安心です。



長期保存できる、いり豆やようかんは、非常時に取り入れやすいたんぱく源。発育途上の子どもの脳の発達に必要な栄養素です



豆が救世主に
もう一つ、防災だけではなく、もしかしたらこれからくる食糧難の時代のために一つ、覚えておいてほしいことがあります。肉も魚も手に入らなくなって、たんぱく質が手に入らなくなった時、豆が救世主になるかもしれません。
世界保健機関によれば、どんな飢餓に陥って、食べる量が少なくなっても穀類の10~20%を豆に置き換えると、たんぱく質のバランスが整うといいます。おとなは食べ物がない時、痩せるだけでまた元に戻れます。
しかし発育途上の子どもたちは脳が成長を一度止めてしまうと、もう二度と成長しないのです。
自給率の低い国であり、さらに災害の多い国だからこそ、子どもの頃からぜひ、豆類を食べ慣れておいてほしいと思っています。何が起こってもまあまあ大丈夫、そう思えた時、被災しても立ち直ることができます。防災は日々の暮らしの延長なのです。
(食文化・料理研究家、「まなぼうさいラボ」代表)(おわり)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年3月27日付掲載


備蓄食品は味見しておく必要があります。
いざという時に、嫌いな味だったら最悪です。
「これは好きかも」って若者言葉。
豆類の保存食も良いのですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いのち守る くらしの防災③ 必要なものを知る 近未来「明日」に備えて

2020-03-22 07:37:29 | 震災・災害・復興・地震&災害対策など
いのち守る くらしの防災③ 必要なものを知る 近未来「明日」に備えて
坂本佳奈

災害が起きたら、避難所に行って、避難所でなんとかなる…。身体の安全という意味では正解ですが、まず避難所には入れないかもしれません。
そして避難所に入れても、食料その他が回ってくるとは限りません。
例えば、わが神戸市では、現在約20万人分の備蓄をしています。十分でしょうか。神戸市の人口は2019年で約153万人、人口に対して備蓄量を考えると非常に少ないといわざるを得ません。これは都市部では特に備蓄場所の確保が難しく、どんなに頑張っても全員の分を賄うだけの備蓄はできません。個人個人である程度備えておく必要があります。




避難袋3段階
また災害がいつ来るか、台風や水害の時はあらかじめ、ある程度の予測がつきますが、突発的に起こる地震などは、いつ、どこで、どんなふうに起こるかはわかりません。新聞を読んでいる今この時に起こるかもしれない。今すぐ避難してくださいといわれて、家に取りに帰るわけにはいきません。
「避難袋その1」は、普段持っているかばんです。私のかばんには、財布などの他に、持病の薬、リップクリーム、小さな水筒、アメかチョコレートが入っています(図1)。移動中、電車が止まって動けなくなったとしても、水も食べ物も少しあるので数時間は問題ありません。他にも自分の生活にすぐ必要だと思うものを持っておくといいでしょう。たくさん持っておく必要はなく「今使っているものを、少しだけ」でかまいません。
そして、いわゆる一般的に避難袋と呼ばれるのが「避難袋その2」。リュックサックに3~5日程度必要な準備をしておき、津波等で家を出る必要がある時はそれを持って出ます。それから「避難袋その3」、家全体を備蓄の場所と考え、買い物に行かなくても1~2週間食べつなげるだけの準備をしています。支援物資などがいき渡るのは遅くとも1週間から10日後なので、最初の1週間を食べつなぐ準備をしておけばよいのです。
具体的な備蓄の仕方は、まず先週1週間分の献立を書き出してみましょう。覚えていないなら、今日から1週間、家族全員、間食も含めて何を食べたのか記録してみます。この記録を元にすれば、必要な食品がわかるでしょう。そしてその普段食べているものを、切らさず置いておくようにしましょう。
防災の手始めは「明日、買いに行けないかもしれないから、明日の分は家に置いておこう」から始まります。毎日毎日来るか来ないかわからないことを考えるよりも、少し手前の未来に備えておくだけで十分です。



◆尿・便・紙と三つに分別し、ふたつきの大きな箱に大きなポリ袋を入れたものに貯めておき、衛生上心配ない所に置き、個別に回収することで衛生上の安全を保てる。
便は新聞紙を箱型に折った物を利用しポリ袋へ。尿はペットポトルの上部分をカットしてボトル部分にポリ袋をかぶせ、上部をじょうごの形にして尿を取る。
口を結んでポリ袋に入れるようにすると清潔に処理できる。汚染源となる便と清潔な尿を混ぜると発酵も起きやすい。
(※)ペットポトルシャワー…ふたに5~6個穴を開けてキャップして使う



神戸市中央区のポートアイランド。URの分譲団地では、エレベーターチェアーと称して、非常時に必要な物を備えています。



ごみ対策準備
備蓄というと、食べる方にばかり目がいってしまいますが、出す方の準備も大事です。北極や砂漠など、流す水もなければ、ごみを持っていってもくれない場所ではどうしているのかというと、ごみが回収されるまで貯めておきます。
その時に大事なのが、出すもの全てをひとまとめにするのではなく、水分は水分、固形物は固形物、身体に触れた紙は紙として分けておくことです。一番厄介なのは固形物ですが、ここに尿や紙を混ぜてしまうと全てが不衛生になります。そこで排せつごみを3分別します。(図2)
(食文化・料理研究家、「まなぼうさいラボ」代表)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年3月20日付掲載


通勤バックにも、最低限のものを備えていないといけないのですね。
血圧の薬も数日分を。小さいペットボトルも。そして、おくすり手帳も。
レジ袋NO!のために常備しているビニール袋も、いざという時には役に立つ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いのち守る くらしの防災② 平時に実践 「ない」を想定で暮らす

2020-03-21 09:22:21 | 震災・災害・復興・地震&災害対策など
いのち守る くらしの防災② 平時に実践 「ない」を想定で暮らす
坂本佳奈

日本列島を見渡せば、2000年代以降、ほぼ毎年のように規模の大きな地震や水害に見舞われています。日本で生活する以上、いつかどこかで被災すると想定して準備をしておかねばなりません。
そうは言っても、いつ災害が起こるかと緊張しながら毎日生きるのも難しいことです。神戸では震災後「陶器の器が割れてしまうから毎回箱にしまって、シートに包んで食器棚にしまいます」「地震がもう一度起こってもいいように靴を枕元に置いています」という体験談もありました。



電気やガスが止まった時にも使える卓上コンロ(右)や、電気だけが復旧した時に便利な卓上IHヒーター


子どもが持ち運びできるLEDランプ。普段使い出来る明かりを一人ひとつづつ

日常を眺める
25年たって、今そんな生活をしている人がいるかというと、そんな非常時に焦点を合わせた暮らしをしている人はいません。半分以上が地震を知らない世代になってきたこともありますが、人間には普通の生活があります。朝起きてご飯を食べ、会社や学校に行き、帰ってきてご飯を食べて、風呂に入って寝るという、変わらない日常生活があります。大きな変化なく積み重なる日常こそが、心の安定の元であり、生きていくということでもあります。
普通の日常生活を生きる点から眺めると、防災に必要なものが分かります。朝起きてから寝るまで、何をしますか。持病がありますか。ペットは飼っていますか。ひとりひとり、防災の準備は変わります。
さて災害が起こると何が起こるかというと、電気・ガス・水道が止まり、電気を利用した電話・携帯電話などが使用できなくなります。あなたの生活の中で、これらのものはどう使っているでしょうか。代用品はあるでしょうか。想像するよりも、実際に止めたり使わない状態にしてみると必要な物が分かります。



アルミ缶を使ってランプを作る
①アルミの空き缶を図のように切り開き、ふたの部分は取っ手(持つ部分)として、胴体の開いた部分は切り広げて反射板として使う。
②底の部分に油(サラダオイルなどの液体油)を入れ、そこに灯心(ティッシュをこより状にして作っても)を二つつけたW型のアルミホイルの灯心を置くと、持って移動できるランプができる。底の部分にろうそくを立てても。
◆注意◆…火の上に燃えるものが来ないように。換気や燃え移りに気を付ける

携帯の充電は
災害のない平和な時に、ライフラインを止めてみましょう。厳密なものではありません。冷蔵庫の物が腐ったりすると大変ですから、元の電気は落とさずにいても構いません。「ない」と想定して、実際に使うのをやめてみます。途中で嫌になったり、調子が悪くなったりすれば、すぐ止めましょう。
できれば、朝起きてから寝るまで丸一日家族で生活して、あったらいい物をメモしていきます。明かりがどれだけあればいいか、冷蔵庫はどのぐらい使うのか、携帯電話の充電はどうできるのか、などなど、想像していた通りになるかもしれませんし、想像以上に困ったことが出てくるかもしれません。家の中にいて、野外キャンプのような状態になるので「おうちキャンプ」と呼んでいます。
わが家で、おうちキャンプをしてみたところ、真っ暗だと何となく不安になることがわかりました。猫と暮らしており、ろうそくだと倒されて危険なので、LED電球のランプを用意しました。ろうそくのような小さな明かりをひとり一つ、スマートフォンなどが充電できる蓄電池機能付きのものを一つ用意しました。ろうそくのようなランプは、夜にトイレなどに行く時に使っています。
阪神・淡路大震災では電気が7日後、ガスと水道は3カ月後に戻ってきました。電気は地上にある分、比較的早く回復しやすいようです。
(食文化・料理研究家、「まなぼうさいラボ」代表)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年3月13日付掲載


「防災訓練」で「おうちでキャンプ」って最近よく聞きますね。
ライフラインが止まったと仮定して、一日お家で暮らしてみます。
「あったらいいな」ものをメモしていく。懐中電灯などは複数用意。ラジオ付きがいいかな。
カセットコンロはガスボンベがすぐになくなるので、IHヒーターがあると便利かな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いのちを守る くらしの防災① 何を備えるか 命救われた経験と共に

2020-03-20 11:42:05 | 震災・災害・復興・地震&災害対策など
いのちを守る くらしの防災① 何を備えるか 命救われた経験と共に
坂本佳奈
さかもとかな
食文化・料理研究家。大阪市立大学院生活科学部前期博士課程修了。子どもからの防災教育のスペシャリストとして「まなぼうさいラボ」設立。科学の視点からの防災の食を研究、米粉の推進普及を行う

「防災」と聞くと、どのようなことを思い浮かべるでしょうか。避難所を確かめておく、家の補強をしておく、食料を買っておく、いろいろな事が浮かんでくるでしょう。災害が起こった時のための準備。を引っくるめて“防災”と呼んでいます。その防災、今できていますか?
1995年1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災が起こりました。第2次世界大戦後、初めての都市部直下型地震でした。当時、関西には地震が来ないと言われていました。東京など関東は関東大震災のような大きな地震に襲われると思われていました。

突然の大地震
ところが、本当に突然、大きな地震がやってきたのです。幸いにしで津波はありませんでした。わが家はまさに活断層のすぐそばにあり、震度7の場所にありました。家は無事だったものの、本棚が崩れ、私はその下敷きになりました。朝、陽が昇る前の真っ暗な時間帯で、かぶっていた布団を顔にかけてしまい、それで顔を圧迫して窒息しました。
暗闇で「これは夢を見ているに違いない、早く起きなくては」と焦りました。いくら目を覚まそうと思っても、身体を起こそうと思ってもビクともしませんでした。動けないでいたまま、意識がなくなりました。
気がつくと、隣の部屋にいた両親が私を掘り起こしてくれ、ほとんど止まっていた息を習いたての心肺蘇生法で吹き返してくれました。大きな地震があったのだと分かったのは日も高くなってからで、情報源はラジオのみ、どこで何が起こっているかはほとんど分かりませんでした。
いまと違うのはインターネットがまだなく、携帯電話も普及が始まったばかりの頃で、情報の量が格段に少なかったのです。避難所には支援物資や情報が来ました。避難所に人が殺到し、救援活動をしていたり、足が悪かったり、なんらかの理由で先に入れなかった人たちは、家または別の場所に行かざるを得ませんでした。


マスクは震災時の粉じんから命を守る大切なもの。伸縮性のあるキッチンペーパーで、ぴったりしたマスクが簡単に作れます
マスクの作り方


①三角に折って切り込みを入れる

②サイドに当たる所を折り込む

③下を折る

④上を折る。三層安心フィルターマスクができる

⑤切り込みを耳にかける

⑥赤ちゃんにも

避難生活では
その日から、自宅にいての避難生活が始まりました。電気なし、水道なし、ガスなし。まるで野外キャンプのようでした。台所にあるビニールや、アルミホイル、キッチンペーパーが生活の役に立ちました。
あれから25年たっても、つい1週間ほど前の出来事のように当時を思い出します。「あの時、心肺蘇生法を知っていてよかった。あなたを救えてよかった」と母は亡くなるまでよく言っていました。
大きな災害では、一瞬にして平穏な暮らしがなくなります。どんなに不便で困難な時でも、人間は食べて、出して、寝て、その基本的な暮らしを止めることはできません。いつものように買い物に行き、いつものように苦労することなくご飯を作る、ゆっくりお風呂に入って休める暮らし、復興とは、そんな日々の暮らしが戻って来ることでもあります。
では、復興するために何を備えていたらよいのか、それは毎日の生活の中に答えがあります。日常に全く必要を感じないものは、実は災害時もいらないものが多いのです。物の準備の後は、いくつか知っておくと便利なことがあります。例えば心肺蘇生法を父母が知らなかったら、私は、ここに居ないでしょう。
(金曜掲載)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年3月6日付掲載


坂本さんのおうちは倒壊しなかったのですね。それは良かったですね。
僕の住んでいた文化住宅は、倒壊もまぬがれて、電気も早く復旧しました。水道も近くの烏原浄水場からの水で止まることはありませんでした。
食事はともかく、トイレやお風呂に困りましたね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする