しばらく更新が滞ってしまった。先週の土日で上智史学会の大会があったのと、それと並行して史学科編『歴史家の工房2』の最終〆切がやって来ていたからである。前者は無難に終わらせたが(ぼく独りでやっているわけではないし)、後者は相変わらずやっつけ仕事になってしまった。初校で何とかしよう……と、脱稿の際にはいつも思うのだけれど、初校が来るときにも恐らく時間はまるでないので、どうせほとんど直せないのである。悪循環にはまり込んでいる。それでもここ数日は、電車のなかで下の本などを斜め読みした。
浅野裕一・湯浅邦弘編『諸子百家〈再発見〉』の方は、『工房2』に投稿した拙文への、上海楚簡『周易』の基本的データの補足のため。やはり、戦国楚簡研究会の学的成果は凄まじい。浅野氏の「孔子は易を学んだか」にはちょっと感動。後藤昭雄『天台仏教と平安朝文人』は、浄土教成立と絡めて書き直さねばならない、樹木婚姻譚論文のための復習。勧学会に関しては、もう少しちゃんと勉強しておくべきだったな。
さて、まとまりはないけれども、あとはこの2週間のことをかいつまんで。
まず、告知もしておいた千代田学特別公開講座「現代に生きる江戸の芸能」。どのくらい集客があるか不安だったが、まずまずの入りだった。藤間先生の身体技法はやはりさすがで、階段教室の演台というおよそ日舞には似つかわしくない場所での演技であったが、気迫に圧倒されるようであった。いつもの受講生、今回限り参加の学生の評判も上々で、やはり来年度は複数回講義をしていただこうと改めて決意。問題は、専任教員が2割は講義を受け持たなければいけないこと。5回程度で、初回、ぼくが簡単に芸能史の流れを解説するか。もしくは、下手な声明を少しだけ披露してしまう、ということでもいいかも知れない(カトリック系大学で可能かどうかは分からないが)。
そうそう、方法論懇話会でずっと研鑽を積んできたメンバーに声をかけて、「異界からのぞく歴史―江戸の街角からアジアへ―」というミニ講座も開いてみることにした。過日「四谷会談」の街歩きを活かして、失われつつある江戸文化の怪異性にスポットを当て、宗教学・民俗学・歴史学の観点から考察してみようというもの。全5回で、最後は聴講生と一緒に四谷界隈を疑似フィールドワークしてみる予定である(疑似フィールドワークは、年末にゼミ生にもやってもらうことにした。こちらはレクリエーション的性格も加味している)。
方法論懇話会といえば、3年ごしに、とうとう『GYRATIVA』4号が完成した。一応の最終号なので、少々感慨深い。しかし最後までトラブル続きで、いつも印刷をお願いしている会社がここ数年のうちに下請けの印刷工場を変えてしまい、製版の精度が悪くなってしまっていた。早速注文をしなおし、性能のいいピンクマスターの可能な工場を探してもらって、再印刷。会費の返納処理もあるので、一般会員の皆さんのお手元に届くのは少々遅れます。特集は「記憶」、収録論文は、稲城正己「問題提起 構築/解体:記憶/忘却―構築主義と記憶論―」、土居浩「「記憶」の居場所」三浦宏文「記憶という知識―時間論からのアプローチ―」、内藤亮「造寺縁起研究の物語論的転回」、須田努「「人斬りの村から―19世紀、民衆運動における暴力の語りと集団記憶―」、師茂樹「記憶を書き出す―総括にかえて―」。まだ頒価は決まっていませんが、非会員でご希望の方は北條までご連絡を。
豊田地区センターの講義の方は、『蜻蛉日記』の夢記事の分析に入った。まずは同書の全体の構成を概説し、上巻の最後の方に載る貞観殿登子の〈夢違え〉について考えてみた。日記に収録された和歌の応答からだけでは、登子がみた不吉な夢とはどのようなものであったのか、また具体的にいかなる夢違えを行ったのかよく分からない。判明するのは物忌みを伴ったらしいことくらいだが、中村義雄氏の業績を再読しながら、陰陽道系の夢祭か仏教系の称名(水垢離をしつつ、「南無功徳須弥厳王如来」と21回称える)の可能性を指摘した。『口遊』や『拾芥抄』には他にも中国由来の呪文が幾つかみられ、鹿に関連するものなど、比較研究すれば面白そうな題材もあった。来年、講義でとりあげてみようか。
浅野裕一・湯浅邦弘編『諸子百家〈再発見〉』の方は、『工房2』に投稿した拙文への、上海楚簡『周易』の基本的データの補足のため。やはり、戦国楚簡研究会の学的成果は凄まじい。浅野氏の「孔子は易を学んだか」にはちょっと感動。後藤昭雄『天台仏教と平安朝文人』は、浄土教成立と絡めて書き直さねばならない、樹木婚姻譚論文のための復習。勧学会に関しては、もう少しちゃんと勉強しておくべきだったな。
さて、まとまりはないけれども、あとはこの2週間のことをかいつまんで。
まず、告知もしておいた千代田学特別公開講座「現代に生きる江戸の芸能」。どのくらい集客があるか不安だったが、まずまずの入りだった。藤間先生の身体技法はやはりさすがで、階段教室の演台というおよそ日舞には似つかわしくない場所での演技であったが、気迫に圧倒されるようであった。いつもの受講生、今回限り参加の学生の評判も上々で、やはり来年度は複数回講義をしていただこうと改めて決意。問題は、専任教員が2割は講義を受け持たなければいけないこと。5回程度で、初回、ぼくが簡単に芸能史の流れを解説するか。もしくは、下手な声明を少しだけ披露してしまう、ということでもいいかも知れない(カトリック系大学で可能かどうかは分からないが)。
そうそう、方法論懇話会でずっと研鑽を積んできたメンバーに声をかけて、「異界からのぞく歴史―江戸の街角からアジアへ―」というミニ講座も開いてみることにした。過日「四谷会談」の街歩きを活かして、失われつつある江戸文化の怪異性にスポットを当て、宗教学・民俗学・歴史学の観点から考察してみようというもの。全5回で、最後は聴講生と一緒に四谷界隈を疑似フィールドワークしてみる予定である(疑似フィールドワークは、年末にゼミ生にもやってもらうことにした。こちらはレクリエーション的性格も加味している)。
方法論懇話会といえば、3年ごしに、とうとう『GYRATIVA』4号が完成した。一応の最終号なので、少々感慨深い。しかし最後までトラブル続きで、いつも印刷をお願いしている会社がここ数年のうちに下請けの印刷工場を変えてしまい、製版の精度が悪くなってしまっていた。早速注文をしなおし、性能のいいピンクマスターの可能な工場を探してもらって、再印刷。会費の返納処理もあるので、一般会員の皆さんのお手元に届くのは少々遅れます。特集は「記憶」、収録論文は、稲城正己「問題提起 構築/解体:記憶/忘却―構築主義と記憶論―」、土居浩「「記憶」の居場所」三浦宏文「記憶という知識―時間論からのアプローチ―」、内藤亮「造寺縁起研究の物語論的転回」、須田努「「人斬りの村から―19世紀、民衆運動における暴力の語りと集団記憶―」、師茂樹「記憶を書き出す―総括にかえて―」。まだ頒価は決まっていませんが、非会員でご希望の方は北條までご連絡を。
豊田地区センターの講義の方は、『蜻蛉日記』の夢記事の分析に入った。まずは同書の全体の構成を概説し、上巻の最後の方に載る貞観殿登子の〈夢違え〉について考えてみた。日記に収録された和歌の応答からだけでは、登子がみた不吉な夢とはどのようなものであったのか、また具体的にいかなる夢違えを行ったのかよく分からない。判明するのは物忌みを伴ったらしいことくらいだが、中村義雄氏の業績を再読しながら、陰陽道系の夢祭か仏教系の称名(水垢離をしつつ、「南無功徳須弥厳王如来」と21回称える)の可能性を指摘した。『口遊』や『拾芥抄』には他にも中国由来の呪文が幾つかみられ、鹿に関連するものなど、比較研究すれば面白そうな題材もあった。来年、講義でとりあげてみようか。
ついに4号刊行(そして、打ち止め)。
いろいろと思い出しますね。うん。
さて、会費が足りなかったら言って下さい。帰国したときにでも払います。もし、余っているようでしたら、再開するらしい方法論懇話会の方へ寄付しますので、返さなくていいです。めんどくさいですし。
では、お互い忙しいだろうけど、何とか乗り切りましょう。
ところでもうすぐシンポですね、成功を祈っています。