本格的に授業が始動してきた。学期全体のアウトラインを構想する初回の時間というのは、否応なく「講義も歴史叙述であること」を意識させられる。ぼくは最初から、既存の日本史の枠組みを外すことを念頭に置いているので、その自覚はかなり強い。近年、方法論的には解放されてきているが、歴史学的ディシプリンとの距離は、適切に推し量れるようにしておかなければ…。そういえば今週は、歴史が良くも悪くも「叙述」に過ぎないことを、痛感させられることがままあった。
6日(火)はゼミの希望者を連れて、宮内庁書陵部の特別展示会に行った。今回は考古学関係ということで、文書主体の展示会に比べ中身が薄い気がしたが、陵墓名称等も含め、これが「宮内庁の歴史叙述である」ことをはっきりと意識させられた。近年、歴史学3団体などとの間で陵墓公開に関する打ち合わせが進んでいるが、考古学者・歴史学者の視線と宮内庁の視線とが重なり合うことはあるのか。同庁で研究を担っている人々も、実は学界に所属する仲間であるという事実がある分、ねじれは激しい気がする。
7日(水)は、1限に全学共通「日本史」。今年は動物の日本史を本格的に論じる予定だが、なんと登録者が現時点で209人いる。レポートを読むのが大変そうだ。出だしは亀卜の問題を小ネタにアレンジして話すつもりだったが、どうでもいいNHKドラマの話題に終始してしまった。少々反省している。午後は、史学科で博士後期課程のU君の学位論文公開審査があったので、専門はまったく異なるが参加。1949年を画期に決定的となる中国共産党の覇権を、メディア論の立場から捉え直したもの。興味深く聞いたが、対象の捕まえ方が新しい分、未だ整理の仕方が図式的で、恐らくはその構図を逸脱してゆくであろう具体的分析に乏しい気がした。メディアの発達を通じて中共の意図が「基層社会」に浸透してゆくとするが(「基層社会」という言葉の使用の仕方も問題)、そこで生じる誤解や誤解のもたらす結果こそが、歴史学的にみて面白い題材なのだろう。ただし、講評をした教員のなかに、中共が憲法をもメディアとして機能させたというU君の捉え方について、「憲法は情報そのものだからメディアとはいえない」と批判があったのには首を傾げた。メディアとは媒介の意味だから、現在のメディア論の定義からすれば、あらゆるものがメディアになりうる。それがアプリオリな実体を意味するという議論は旧態依然としすぎている。外部から招聘した先生の見解だったので異は唱えなかったが、後で聞いたところによると、指導教官のB先生は正当に評価をされていたようだ。U君には、説得力のある語り口で新しい叙述を目指してもらいたい。
9日(金)は院ゼミ。『法苑珠林』の輪読を再開する前に、参加者に、夏期休暇中の成果を聞いてもらった。角川学芸出版の『地域学への招待』に寄稿した、アジアにおける死者の捉え方について論じたが、アジア的アニミズムの根幹ともいうべき、祖霊、精霊、鬼神、穢れ等々、あらゆるものの原郷である他界の実相が掴めそうになっている。(とくに歴史学的分野において)方法論的な説得力を持たせるのは難しいが、やはり、ほんの「一瞬」とはいえ納西族の文化に触れる機会を得たせいか、自分なりに確かな手応えは感じている。この日は突然、卒業生のY・N君もやって来て、議論に参加してくれた。彼は博識で中国のことにも詳しいので、会話は大いに盛り上がった。翌日には、九州で奮闘している卒業生のS・N君からも、無事試験に合格し、熊本県の教員として採用されたとの連絡があった。喜ばしい限りである。若者たちの頑張りに期待するばかりだ。
※ 写真は、先月末に訪れた京都・下賀茂社の神宮寺跡。糺の森の参道脇に、ひっそりと、しかし明らかに、何かの建っていた空間が確保されている。雰囲気のある場所である。まったく話は違うが、左は三浦健太郎『ベルセルク』の最新刊。ブリューゲルを思わせる画力に圧倒される。画的にも物語的にも神話の領域に達している。必見である。
6日(火)はゼミの希望者を連れて、宮内庁書陵部の特別展示会に行った。今回は考古学関係ということで、文書主体の展示会に比べ中身が薄い気がしたが、陵墓名称等も含め、これが「宮内庁の歴史叙述である」ことをはっきりと意識させられた。近年、歴史学3団体などとの間で陵墓公開に関する打ち合わせが進んでいるが、考古学者・歴史学者の視線と宮内庁の視線とが重なり合うことはあるのか。同庁で研究を担っている人々も、実は学界に所属する仲間であるという事実がある分、ねじれは激しい気がする。
7日(水)は、1限に全学共通「日本史」。今年は動物の日本史を本格的に論じる予定だが、なんと登録者が現時点で209人いる。レポートを読むのが大変そうだ。出だしは亀卜の問題を小ネタにアレンジして話すつもりだったが、どうでもいいNHKドラマの話題に終始してしまった。少々反省している。午後は、史学科で博士後期課程のU君の学位論文公開審査があったので、専門はまったく異なるが参加。1949年を画期に決定的となる中国共産党の覇権を、メディア論の立場から捉え直したもの。興味深く聞いたが、対象の捕まえ方が新しい分、未だ整理の仕方が図式的で、恐らくはその構図を逸脱してゆくであろう具体的分析に乏しい気がした。メディアの発達を通じて中共の意図が「基層社会」に浸透してゆくとするが(「基層社会」という言葉の使用の仕方も問題)、そこで生じる誤解や誤解のもたらす結果こそが、歴史学的にみて面白い題材なのだろう。ただし、講評をした教員のなかに、中共が憲法をもメディアとして機能させたというU君の捉え方について、「憲法は情報そのものだからメディアとはいえない」と批判があったのには首を傾げた。メディアとは媒介の意味だから、現在のメディア論の定義からすれば、あらゆるものがメディアになりうる。それがアプリオリな実体を意味するという議論は旧態依然としすぎている。外部から招聘した先生の見解だったので異は唱えなかったが、後で聞いたところによると、指導教官のB先生は正当に評価をされていたようだ。U君には、説得力のある語り口で新しい叙述を目指してもらいたい。
9日(金)は院ゼミ。『法苑珠林』の輪読を再開する前に、参加者に、夏期休暇中の成果を聞いてもらった。角川学芸出版の『地域学への招待』に寄稿した、アジアにおける死者の捉え方について論じたが、アジア的アニミズムの根幹ともいうべき、祖霊、精霊、鬼神、穢れ等々、あらゆるものの原郷である他界の実相が掴めそうになっている。(とくに歴史学的分野において)方法論的な説得力を持たせるのは難しいが、やはり、ほんの「一瞬」とはいえ納西族の文化に触れる機会を得たせいか、自分なりに確かな手応えは感じている。この日は突然、卒業生のY・N君もやって来て、議論に参加してくれた。彼は博識で中国のことにも詳しいので、会話は大いに盛り上がった。翌日には、九州で奮闘している卒業生のS・N君からも、無事試験に合格し、熊本県の教員として採用されたとの連絡があった。喜ばしい限りである。若者たちの頑張りに期待するばかりだ。
※ 写真は、先月末に訪れた京都・下賀茂社の神宮寺跡。糺の森の参道脇に、ひっそりと、しかし明らかに、何かの建っていた空間が確保されている。雰囲気のある場所である。まったく話は違うが、左は三浦健太郎『ベルセルク』の最新刊。ブリューゲルを思わせる画力に圧倒される。画的にも物語的にも神話の領域に達している。必見である。