仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

授業終了、そして気持ちを東北へ

2011-07-10 14:38:34 | 生きる犬韜
さて、ようやく春学期の授業が終了となった。節電対策の関係で当初日程より2週間早い店じまいとなったが、それでも今年は例年の3~4倍はあろうかという校務量のため、本当に「やっとたどりついた」という感が強い。前にも書いたが、金曜の授業には明らかに校務の影響が出て、学生たちに迷惑をかけてしまった。秋学期はこういうことのないようにしたいが、しかし自分がパネリストを務めるシンポジウムが2つ、プロデューサーを務める学内学会ミニシンポが1つ控えているので、やはり時間配分を工夫しなければまた同じ結果になるかもしれない。だいたい、歴史学の講義を毎年新しいテーマで行おうとすると、1コマ90分の準備に出勤日1日・休日1日は確保しないと間に合わない。今期最後の2週間は、院ゼミでの報告や補講もあったのでかなりきつく、本当に授業の始まる直前まで資料を作っていて、ギリギリで印刷し見直しもしないで飛び出してゆくような状態だった。何とかもう少し余裕をもって作業し、落ち着いて聞いていられる講義にしたいものだ。
内容的には、自分では「あまり勉強ができなかった」という印象が強いのだが、それでも、一度扱ったことのある史料は細部にわたって見直しができたし、多少は新しい着想も得ることができた。概説では、鈴木靖民氏らが唱える府官制の問題を復習し、(ちょうど院ゼミで南朝関連の史料をみていたので)5~6世紀のヤマト王権の官制がやはり中国的モデルの援用であることを確認、中臣=史官(・卜官・祝官)説に大きな裏付けを得ることができた。特講では、『周礼』や『左伝』を綿密に読むことができたし、許兆昌『先秦史官的制度与分化』にも踏み込めた。そして何より院ゼミでは、西洋史や東洋史専攻、他学科・他大学から参加してくれたたくさんの院生と意見交換し、例年より多くを学ぶことができた。概説や特講との関連のなかで、『集神州三宝感通録』と「五行志」との構成的類似などを発見できたのも収穫だった。これらは、ちょうどいま書いている単行本にもすぐに活かせる成果である。また今年は、ゼミも非常にいい雰囲気で運営できている。院生のI君がしっかり報告のフォローをしてくれるし、哲学科出身のO君がスパイスを効かせてくれるのもありがたい。3年生も、だんだん積極的に発言してくれるようになってきた。学生たちにはきつい時間かも知れないが、彼らの成長を肌で感じることができるので、ぼくにとっては「かなり」嬉しく楽しい時間である。4年生は就職活動が厳しく、みていて可哀想になるほどだが、この猛暑、身体にだけは気を付けてほしい。とにかく、今期も学生には感謝である。

それにしても、これでようやく単行本執筆と東北講演の準備に時間が割けるようになった。東北学院大学博物館のブログ、ホスト役の加藤幸治さんのブログにも紹介記事が掲載されたので、責任の重さもヒシヒシと感じている。自分でもまだ落としどころはみつけられないが、とにかく海へ乗り出さねば。…ちなみに、先週特講で学生たちに易の実践をしてもらった際、東北へ研修旅行(ボランティア活動含む)へゆくことになっているゼミ生のグループに、「元いに亨る。牝馬の貞に利し。君子往く所有るに、先には迷ひ、後には主の利を得。西南には朋を得、東北には朋を喪ふ。貞に安んずれば、吉」との卦辞を持つ坤卦が出た。よりによってあの大部な『易経』のなかから、この言葉がひねり出されるとは…やはり、卜占とは恐ろしいものである。
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