少しずつだが、東北学院での講演へ向けて史資料を集め始めている。水辺への定住をめぐる環境的・歴史的・社会的諸条件、水へ惹きつけられる心性、それらを総合的に検証してゆかねばならない。相変わらず当日ギリギリまでの準備となるだろうが、3月以降考え続けてきたことが、ようやく熟成されて形をなし始めたのだ。自分のなかでも、機運が高まってきたということだろう。写真は、昨年から刊行の『東アジア内海文化圏の景観史と環境』シリーズ。地球研の共同研究の成果だが、きっちり読んでおきたい。
さて、先週から今週にかけても、授業準備の合間に校務、校務の合間に授業準備という日が続いた。ここ数日は、提出書類の不備・義務の不履行などでホフマンホールのサークル用小会議室(部室)を2~3団体共有で使わざるをえなくなったサークルへの通知(含諸注意)、課外活動特別助成応募団体への一次審査通過・不通過の通知(含アドバイス)などの業務があり、「ああ、センター長補佐の仕事というのは、基本的に憎まれ役なのだな」ということを痛感した。前者では神妙な面持ちで注意を受ける学生がいる一方、終始ふてくされた態度の者もいるし(子供である。将来が心配だ)、後者では審査の結果に納得がゆかないと食い下がってくる団体もある。学科やゼミなどで、ある程度信頼関係が築けている場合の「注意」ならよいが、まったく話をしたこともない学生との間では、この業務は表面的にも実質的にもあまり報われることがないように思う。まさに「わかりあえない大人たち」のレッテルを貼られた気分である。ま、仕方ないか。
金曜の院ゼミでは、自分で史料読解を担当し報告したのだが、準備に費やすべき時間にちょくちょく予定が入ってきてうまく作業が進捗しないのと、割り当てられている箇所が尋常ではなく長いのとで、完備した発表をすることができなかった。しかし、長すぎるテクストの読解自体が1時間では終わらず、来週に持ち越しとなったのでちょうどよかったか。講読しているのは『法苑珠林』敬仏篇観仏部感応縁だが、列挙されている霊験譚はほとんどが道宣『集神州三宝感通録』からの引用となっている。ここ数回のものはとくに、南朝の政治的事件に阿育王像の霊験を重ねてくる叙述が目立つのだが、その筆法は五行志や志怪のそれと酷似している。聴講している学部生のS君が指摘したように、『感通録』は一種の卜書であるといってもいいかもしれない。2回分短縮されてしまった特講「神秘体験と歴史叙述」でも、最後のまとめとしてこのあたりのことは話しておかないといけないだろう。昨日は古代中国における孝の身体性を介した「歴史との一体感」を前提に、易の実践をやってもらった。学生たちは、易の作業自体は面白がって取り組んでくれたが、リアクションをみると、「歴史叙述と神秘体験との関係がいまひとつ分からない」との感想もみうけられる。占夢の延長上にある『周氏冥通記』『真誥』を経て、五行志や仏教の観相行など、すべてが「悠久の過去と出会い未来を変える」実践である点については念を押しておきたい。日本にも少しは触れておかないと、学生に怒られそうだ。上南戦休講分の補講を含めてあと2回…、構成が難しいな。
さて、先週から今週にかけても、授業準備の合間に校務、校務の合間に授業準備という日が続いた。ここ数日は、提出書類の不備・義務の不履行などでホフマンホールのサークル用小会議室(部室)を2~3団体共有で使わざるをえなくなったサークルへの通知(含諸注意)、課外活動特別助成応募団体への一次審査通過・不通過の通知(含アドバイス)などの業務があり、「ああ、センター長補佐の仕事というのは、基本的に憎まれ役なのだな」ということを痛感した。前者では神妙な面持ちで注意を受ける学生がいる一方、終始ふてくされた態度の者もいるし(子供である。将来が心配だ)、後者では審査の結果に納得がゆかないと食い下がってくる団体もある。学科やゼミなどで、ある程度信頼関係が築けている場合の「注意」ならよいが、まったく話をしたこともない学生との間では、この業務は表面的にも実質的にもあまり報われることがないように思う。まさに「わかりあえない大人たち」のレッテルを貼られた気分である。ま、仕方ないか。
金曜の院ゼミでは、自分で史料読解を担当し報告したのだが、準備に費やすべき時間にちょくちょく予定が入ってきてうまく作業が進捗しないのと、割り当てられている箇所が尋常ではなく長いのとで、完備した発表をすることができなかった。しかし、長すぎるテクストの読解自体が1時間では終わらず、来週に持ち越しとなったのでちょうどよかったか。講読しているのは『法苑珠林』敬仏篇観仏部感応縁だが、列挙されている霊験譚はほとんどが道宣『集神州三宝感通録』からの引用となっている。ここ数回のものはとくに、南朝の政治的事件に阿育王像の霊験を重ねてくる叙述が目立つのだが、その筆法は五行志や志怪のそれと酷似している。聴講している学部生のS君が指摘したように、『感通録』は一種の卜書であるといってもいいかもしれない。2回分短縮されてしまった特講「神秘体験と歴史叙述」でも、最後のまとめとしてこのあたりのことは話しておかないといけないだろう。昨日は古代中国における孝の身体性を介した「歴史との一体感」を前提に、易の実践をやってもらった。学生たちは、易の作業自体は面白がって取り組んでくれたが、リアクションをみると、「歴史叙述と神秘体験との関係がいまひとつ分からない」との感想もみうけられる。占夢の延長上にある『周氏冥通記』『真誥』を経て、五行志や仏教の観相行など、すべてが「悠久の過去と出会い未来を変える」実践である点については念を押しておきたい。日本にも少しは触れておかないと、学生に怒られそうだ。上南戦休講分の補講を含めてあと2回…、構成が難しいな。