仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

週末もフル回転:が、寝不足で舌は回らない

2007-01-30 23:42:33 | 生きる犬韜
27日(金)は、毎年恒例、中野区沼袋のあけぼの会で講演。今年のタイトルは、上にも掲げてあるように「夢解きの古代史―東アジアから日本へ―」。夢見と夢解きに関する日本文化の成り立ちを、中国古代からの水脈のなかに捉えてゆく内容。とても1時間や2時間で終わるようなものじゃないんですが、10年以上前からお世話になっている方々なので、ついつい張り切って準備をしてしまい、結果、いつも中途半端で難解な話になってしまう。おまけに完徹でうまく舌が回らない。それでもあたたかく許容してくださるお姉様方!に感謝。終了後は駅前の喫茶店で、古代の祭祀や宗教の話をひとしきり。皆さん、たいへんお詳しい方々ばかりなので、こちらがいろいろ教えていただいているようなものです。主催者のWさんは、折口の話もぜひ聞きたいと仰ってくださったのですが、あいにく栄区でも話さないことになっちゃったんですよね。可能性があるとすれば、6月京都の仏教史学会講演会でしょうか。

28日(日)は環境/文化研究会(仮)1月例会。開始前に中国から帰国中の水口幹記君とランチ。杭州へ渡ってからも、彼の旺盛な活動は相変わらず(貴族社会における中国的知の認識論を専攻にしているはずが、どんどんとコアで怪しい世界に入り込んでいるような気がしますが…)。でもちょっとやつれたかなあ。いつも楽しげな筆致のブログを書いているけれども、本当はナイーヴな男なので(なぜか、そういう人間が友人に多い。たぶん悩める人間が大好きで、覚りきった人間が鼻持ちならないからでしょう)、人にいえない苦労もあるのでしょう。できることは協力するからね。
ところで、今回の報告は、東城義則君と山口えりさん。内容はまた詳しく書きますが、お2人とも、こちらの想像力を刺激する力のこもった発表でした。東城君のは、まさに〈浮遊するシニフィアン〉に関する研究というべきか。しかしシニフィアンは、我々の前には必ずシーニュとしてしか現れえない。研究者にとっても、そこがいちばんに難しいところでしょう。山口さんのは、彼女がずっと取り組んでいる請雨儀礼の研究。なぜ神泉苑に龍が現れるという認識が成立したのか、平城京/長岡京/平安京の左京三条三~四坊の空間は、道教的にも仏教的にも、時空を超えて龍蛇に貫かれているようですね。
飲み会の終わりに土居さんの語ったひとことはなかなかに秀逸。なるほど、未来への投資か…。しかし、ぼくの場合は志が低いので、もう少し利己的かも。早く偉くなって、物知りになって、ぼくに知らない世界をた~んとみせてくださいという。よろしく頼みますね。

29日(月)は、某大学で修論の口頭試問。副査を引き受けていたので、いろいろ準備をして臨みました。院生のA君とは、数年前に東京で開催された〈宗教史懇話会サマーセミナー〉を手伝ってもらって以来。そこで企画された陰陽道の部会をみて、最終的に修論のテーマに選んだとか。全体的に時間不足の感は否めませんでしたが、安倍氏・賀茂氏の家説が正統的言説として起ち上がり、他氏の解釈を排除してゆくさまはよく描けていました。ドクターには進まないとのことでしたが、ぜひこれからも研究を続け、投稿論文として完成させてほしいものです。「北條さんとお会いしたサマーセミナーでこのテーマと出会い、修論の副査も北條さんだったのでよかったです」とコメントをくれたのですが、少しは責任を果たせたでしょうか…。もやもやしたのか、本務校へ帰る途中に現代思想関係の本を幾つか買い込みました。

30日(火)は、午前中に兄と親戚のご葬儀を勤めてから出勤。研究室で、2日後に迫った卒論口頭試問のチェックをしつつ、部屋を訪ねてくる2年生、3年生、4年生と来年度の相談をしました。相変わらず部屋のなかは本もまばら、殺風景な状態が続いているので、これからめくるめく怪しい空間にプロデュースにしようと思案中。

さて、左は森見登美彦の快作、『夜は短し歩けよ乙女』。映画へゆく時間がまったくとれないので、電車内でのストレス発散にと購入したのですが、いやあ、こんな楽しいハナシは久しぶりに読みました。破天荒にばらまかれた物語のピースが、終局へ向けて猛スピードで繋がってゆく離れ技。神の視点に立つ読者は、パズルがどのように組み上がってゆくのか、ハラハラしながら見守るばかり。〈運命じゃない人〉効果とでもいいますか、〈シムラシムラ!〉効果とでもいいますか(『8時だヨ!全員集合』の冒頭コントで、背後から忍び寄る忍者やお化けに襲われる志村けんを、観客の子供たちが「シムラ!シムラ!」と教えて助ける仕組みから、物語の内的世界では認知されていない事象を読者が俯瞰して察知、いても立ってもいられなくなる情況を生み出す作法を呼ぶ。…って、ぼくが勝手に命名しているだけだけれども)。京都と古本屋と大学という奇妙な空間、そしてちょっぴりの怪異を愛する人間にとっては、きっと宝もののような一冊になることでしょう。ぼくもこんな青春を送りたかった(知り合いからは、似たようなもんだったといわれるかも知れないが…)。
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