昨日14日(月)は、大学院の入試。ものすごく大きな共通問題が出たが、受験生はそれなりに頑張ってくれたようだ。採点と面接、合格判定会議を終えて、ひとまず入試関係は一段落した状態である。秋学期の成績の入力もほぼ終えたので(原典講読受講者は、講義ブログで正答を確認しておいてください)、水曜の学科長会議・教授会が終了すれば、各種委員会の残務を除き、あとは研究に専念できるはずだ。3月末からはまた忙しくなりそうだから、とにかく依頼原稿、単行本の原稿など、できるだけ早いうちに仕上げてしまわなければ…。と、待っていただいていた『アジア民族文化研究』の原稿を脱稿、研究室からメールで送信した。久しぶりに映画でも観て帰ろうかとも思ったが、何となく雲行きが怪しくなっていたので、諦めて直帰。案の上、武蔵境の駅に到着したとたんに、ものすごい勢いでぼたん雪が降り出した。
一夜明けてみると、周囲は一面の雪景色である(休みでよかった!)。食器を洗い、風呂を洗って沸かし、モモを送り出してから、家の前の雪かきを始めた。寺には何でも揃っていたが、こちらの家にはスコップもない。仕方ないので、先日モモが買ってきたばかりの熊手を駆使していると、ご近所さんがスコップを貸してくださった。そこでご近所さんと一緒に、通り一面の雪を粉砕。まあ、気温も上がってきたので、すぐに溶けてなくなるだろう。運動になったし、久しぶりに、お隣の方々とコミュニケーションがとれたのもよかった。頭にも血が回ってきたので、さて、研究にとりかかるとしようか。
写真は、石井公成さんに教えていただきアメリカから取り寄せた、Lambert Schmithausenの"Plants in Early Buddhism and the Far Eastern Idea of the Buddha Nature of Grasses and Trees"。草木成仏の概説を書くのに使うつもりだったが、なかなかゆっくり読む暇がなかった。しかし、「原始仏典において樹木が人や獣のように生命あるものとして扱われなくなるのは、仏教教団が戒律によって肉食を抑止するようになり、植物を主な食料として生きてゆかざるをえなくなった結果だ」とするのは極めて重要な指摘であり、環境文化史の観点からも熟考を要する問題である。仕事を引き受けすぎることによる弊害のひとつは、こうした海外文献の消化が充分にできないことだ。院生、非常勤講師の時代は、"History and Theory"誌も丸善を通じて定期購読し、ポストモダン歴史学の方法論的展開を注視していたものだが、今は自分のアンテナに引っかかってきたものを概観するのがやっとである。やはり、7年に1度は研究休暇を貰って脳内の刷新を図らないと、研究も教育も質が下がる一方だ。とにかく、心せねばなるまい。
一夜明けてみると、周囲は一面の雪景色である(休みでよかった!)。食器を洗い、風呂を洗って沸かし、モモを送り出してから、家の前の雪かきを始めた。寺には何でも揃っていたが、こちらの家にはスコップもない。仕方ないので、先日モモが買ってきたばかりの熊手を駆使していると、ご近所さんがスコップを貸してくださった。そこでご近所さんと一緒に、通り一面の雪を粉砕。まあ、気温も上がってきたので、すぐに溶けてなくなるだろう。運動になったし、久しぶりに、お隣の方々とコミュニケーションがとれたのもよかった。頭にも血が回ってきたので、さて、研究にとりかかるとしようか。
写真は、石井公成さんに教えていただきアメリカから取り寄せた、Lambert Schmithausenの"Plants in Early Buddhism and the Far Eastern Idea of the Buddha Nature of Grasses and Trees"。草木成仏の概説を書くのに使うつもりだったが、なかなかゆっくり読む暇がなかった。しかし、「原始仏典において樹木が人や獣のように生命あるものとして扱われなくなるのは、仏教教団が戒律によって肉食を抑止するようになり、植物を主な食料として生きてゆかざるをえなくなった結果だ」とするのは極めて重要な指摘であり、環境文化史の観点からも熟考を要する問題である。仕事を引き受けすぎることによる弊害のひとつは、こうした海外文献の消化が充分にできないことだ。院生、非常勤講師の時代は、"History and Theory"誌も丸善を通じて定期購読し、ポストモダン歴史学の方法論的展開を注視していたものだが、今は自分のアンテナに引っかかってきたものを概観するのがやっとである。やはり、7年に1度は研究休暇を貰って脳内の刷新を図らないと、研究も教育も質が下がる一方だ。とにかく、心せねばなるまい。