今回の日文協のシンポジウムは、ぼくの立場からすると大失敗であった。いうまでもなく、他の報告者との議論が、しっかりできなかったからである。シンポ終了後の懇親会ではたくさんの人から労いを受けたが、その後、ぼくの研究をずっと読んでくれている人やふだんの様子をよく知る人からは、「君の立場からすると納得できない議論が多かったのに、なぜ批判をしなかったのか。反論しなかったのか」とか、「会場からのリアクションにも、いつものようにきちんと応じていなかったのはなぜか」との質問を多く受けた。ぼく自身も、いまだによく分からない部分が多い。シンポジウムの席で批判にさらされることは、これまでにも多々あった。しかし、全般的に言葉が出て来なくなるという経験をしたのは、今回が初めてである。外からの語りかけがまったく心に響かず、失礼な話、それに対して応答したいという衝動がほとんど生じてこなかったのだ(会場にいた院生は、「先生、どんどん不機嫌になっていましたよね」といっていた。彼にはそうみえたらしい)。明らかに様子が変だと、体調を心配してくださった方もいた。まあ、2週間以上も休みのないまま報告に至ったのは確かだし(あと2週間以上その状態が続く)、万全の健康状態とはいえなかったが、徹夜明けで臨んだ他のシンポでもこうしたことはなかった。
やはり、今回の震災について直接的に語るということは、ぼくのなかで異常な負荷を発揮するようになっているらしい。野蒜に立ったときの思考停止の状態は、未だにどこかで続いている。今回、東北における自分の経験については言及せず、転換論・画期論批判に終始したのもそこに一因があるのだ。シンポ終了直後は、当事者性に基づくひけめなのかとも思ったが、そうではない。以前にも書いたとおり、語ることそれ自体に対して強烈な罪悪感(それを、文献学者のひけめというなら、否定しないけれども)が存在することを、あらためて痛感・自覚した。
それが克服すべき障害なのか、それとも大切にすべき感性なのかは、もうしばらく考えてみたいと思う。
やはり、今回の震災について直接的に語るということは、ぼくのなかで異常な負荷を発揮するようになっているらしい。野蒜に立ったときの思考停止の状態は、未だにどこかで続いている。今回、東北における自分の経験については言及せず、転換論・画期論批判に終始したのもそこに一因があるのだ。シンポ終了直後は、当事者性に基づくひけめなのかとも思ったが、そうではない。以前にも書いたとおり、語ることそれ自体に対して強烈な罪悪感(それを、文献学者のひけめというなら、否定しないけれども)が存在することを、あらためて痛感・自覚した。
それが克服すべき障害なのか、それとも大切にすべき感性なのかは、もうしばらく考えてみたいと思う。