仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

草木成仏:良源と樹木と長谷寺観音の意外な関係?

2008-02-08 15:02:25 | 議論の豹韜
入試関係の業務に携わりながら、200通にもなるレポートの採点、『狩猟と供犠の文化史』の書評、某氏還暦論集の校正、『歴史家の散歩道』の校正、千代田学小冊子の編集を並行して進めている。みんな12日(火)が締め切りなので、大変だけれども仕方ない。

レポートの方は、今のところ非創造的ブリコラージュ(すなわちコピペのツギハギ)には当たっていない。割合に読ませる文章が多く、安心しているところである。ついこの間も、特講のレポートに面白いものがあった。東洋史専攻にもかかわらず、ずっとぼくの講義に出てくれている3年生のY君のものだ。先日も書いたとおり、特講では古代から中近世に至る藤原鎌足像の変遷を扱ったが、とくに、藤原仲麻呂が漢籍を駆使して作り上げた『家伝』の分析に力を注いだ(「大織冠伝」は、仲麻呂が過去をデザインし直すことによって、現在・未来のあるべき姿へ繋げようとした歴史叙述なのだと)。Y君はまず、中沢新一の『僕の叔父さん網野善彦』に言及するが、その視線はやはりブログに書いた中沢新一作品=シャーマニズム文学説に重なる。そのうえで彼は、「大織冠伝」について、「この書物は『僕の曾祖父さん藤原鎌足』だったのではないか」と結論するのである! 大笑いしたが、まさに我が意を得たり、の感がある(シャーマニズムや占いとの関わりを通して、東アジアにおける歴史叙述の前近代的特性を明らかにするのが、講義の隠しテーマだったのだから)。

ところで某氏還暦論集に掲載される「長谷寺縁起」の分析だが、ある必要があって浄土論との接続を試みていたところ、祟る木霊の解脱が日本天台の「家説」〈草木成仏説〉に関係することに思い至った。気づいてみると当たり前のことなのだが、なぜ今まで思いが及ばなかったのかと不思議でならない(恐らく長谷寺が、華厳や法相との関連でのみ把握されてきたためだろう)。徳道が祟りなす樹木に語りかける、「礼拝威力、自然造仏」との言葉は、今まで観想行の範疇でしか捉えていなかったが、非情発心修業成仏との関連で考えた方が理解しやすい(しかし「成仏」でなく「造仏」としているところが、未だ仏や有情の供養を前提とする「非」発心的体裁で、過渡期の不安定な解釈ともみられよう)。またもしそうだとすれば、やはり『三宝絵』長谷寺縁起の記述は、天平五年の「観音ノ縁起并ニ雑記」そのものというより、為憲の述作にかかる割合が高くなろう。彼が参加していた勧学会は『法華経』と念仏を勉強・実践し詩文をなす、天台僧と文人貴族(大学寮文章院の学生ら)からなるサロンであった。とくに、『三宝絵』の形成には、尊子内親王への授戒の師となった良源が大きな影響を与えていると考えられるが、彼は応和の宗論で法相の仲算と論を戦わせ、草木発心修行成仏説(単に草木も真如の発現でありそのままで仏であると捉えるのではなく、草木自体が主体的に発心・修行して成道するという考え方)を展開した。没後、弟子の覚運がその論旨をまとめた『草木発心修行成仏記』も残っている(もちろん仮託との説もあるが)。彼を輩出したのは近江国浅井郡の〈木津〉氏だが、『新撰姓氏録』によれば東漢氏系渡来氏族で、高島郡木津郷を本貫としたらしい。高島といえば、かつては造東大寺司関連の高島山作所が置かれていた。材木の切り出しや運搬、水上での管理を担っていた氏族とすれば、良源が草木成仏説を宣揚したのも頷ける(源信が二上山の麓で生まれ、『往生要集』を書いたように…というのは極論かな)。そして、十一面観音となる祟りなす樹木こそは、その高島に現れ、木津川ルートを介して(文章には陸路と記されるが)初瀬に至るのである。「縁起」前半部の巨樹の遍歴譚自体、良源の周辺から出たものなのかも知れない。

『狩猟と供犠の文化誌』にも、草木成仏に関わる論文が複数ある。大変だが並行してこなしていると、お互いの作業が思わぬところで関連して化学反応を起こし、停滞していた思考が大きく進展することも多い。

※写真は、京都の八坂神社境内にあった神木。昨年6月に撮影。
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2 Comments

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長谷寺と草木成仏 (tonga)
2008-10-20 15:17:57
はじめまして。
私は卒業論文に取り組んでいる一介の学生であります。
ちょうど地元の長谷寺について調べていたところ、本尊と草木成仏が結びつくのではないかと考えに行き着き、いろいろと資料を漁っていたところでした。
こちらのページには参考になることが多く書かれていたのでとても勉強になりました。
ありがとうございます。
自分なりに稚拙ながら文章を書いていきたいと思います。失礼いたしました。
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ありがとうございます (ほうじょう)
2008-10-20 17:23:27
そうですか、参考にしていただき恐縮です。
5月に法蔵館から刊行された、『親鸞門流の世界-絵画と文献からの再検討』という論集に、上記についてまとめた「礼拝威力、自然造仏」なる拙論を書いています。
よろしければこちらもご覧ください。
立派な卒論を仕上げられますよう祈念しております。
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