仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

薬師堂の後戸に立つものは

2006-03-07 03:56:11 | ※ 環境/文化研究会 (仮)
4・5日(土・日)、和歌山にて環境/文化研究会(仮)の関西・関東合同合宿が行われました。島根県古代文化センターの森田喜久男さん、紀伊風土記の丘歴史民俗資料館の加藤幸治さんが個人報告、総合研究大学院大学博士課程の蘇理剛志さん、和歌山県立博物館の高木徳郎さんが見学地の関連報告。全体のお膳立ては、加藤さん、蘇理さん、高木さんがしてくださいました。
私は3日に前泊して参加。いろいろなことを片付けてから慌てて出て来たので、和歌山中心部に以前論文で触れた日前国懸神宮、やや離れて伊太祁曾神社、宮井川用水などがあることに後から気づきました。もっと早く計画的に動けば、ちゃんと観られたのに……!と大後悔。しかし合宿の内容は、その残念さを補って余りあるものでした。これから何回かに分けて、合宿の報告と感想を書いてゆきたいと思います(すでに土居さん加藤さんのブログ、高木さんのhpにも紹介されていますのでご参照ください)。

正午、和歌山駅東口のバス・ターミナルに集合。参加者は、関西から稲城正己さん、加藤さん、蘇理さん、高木さん、藤井弘章さん、森田さん、関東から亀谷弘明さん、工藤健一さん、土居浩さん、宮瀧交二さん、私の11名。工藤さんは寝過ごしてしまったらしく、遅れるとの連絡あり。先に10名で3台の車に分乗、出発することにしました(ここで、分野別にまとまりができてしまうところが面白かったですね)。

阪和道を経て最初に立ち寄ったのは、清水町粟生の吉祥寺薬師堂(写真)。応永34年(1427)建立のいわゆる村堂で、ご覧のとおり茅葺きの美しい建築です。屋根の高さと急勾配は、ランドマークとしてもなかなかのもの。かつては同地域の信仰の中心だったのでしょう。その結びつきは、現在も「主講(おもこう:主立った家々による講組織)」として機能しているそうです。
個人的に気になったのは、向拝に掲げられた題額に「天竺伝来薬師如来」とあったことと、堂の背に後戸が作られていたこと。ちょうどここに向かう車内で、稲城さんや高木さんと三国伝来について雑談をしていたところで、あまりのタイミングの良さにビックリ。果たして、どのような将来伝承をもつ仏像なのでしょう。現在は本寺吉祥寺の宝霊殿に収蔵されているらしいのですが、時間もなく観ることができませんでした。周辺の畠や山裾に植林されている特徴的な植物、「棕櫚」(シュロ:中世では寺院を象徴する記号のひとつでした。毛状の繊維をたわしや縄に使い、幹は梵鐘を打つ撞木に適しているといわれます。ちなみに、ウチの寺でも境内に棕櫚があり、撞木にも使っています)などと関係があるとすれば面白いのですが、どうなんでしょうね。お堂が川に近いことからすると、広隆寺の薬師如来のように、洪水を防ぐ霊験が期待されたのかも知れません。この像が、薬師堂創建と近い応永21年(1414)の『法輪寺縁起』によってよく知られるようになったこと、この像を広隆寺に安置し霊験を発揮させた別当道昌が、清水町の仏教の根幹をなす高野山の開祖・空海の高弟であることからしても、可能性はありそうです。後戸は、中世的な宗教建築では神の出現する場所のひとつ。一体どのような法要儀式が行われていたのでしょう? 興味は尽きません……。
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