仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

環境/文化研究会(仮)9月例会:古代の論理、中世の論理

2006-10-08 05:08:18 | ※ 環境/文化研究会 (仮)
北原糸子編『日本災害史』

吉川弘文館

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常に1週間遅れの記述になってしまいますが、先週の土曜日、環境/文化研究会(仮)の9月例会がJ大学にて行われました。前回から4ヶ月のインターバルが開いてしまいましたが、その際の議論を引き継ぎ、しばらくは動物と人間との関係をテーマに据えることに。今月の報告は、中世史の黒田智さんと、古代文学の三品泰子さんにお願いしました。黒田さんは、説話や絵巻なども積極的に活用、中世的イマジネールを果敢に開示する注目の研究者です。修士時代からの知り合いなうえに、研究対象・領域も様々に繋がるところがあるのですが、なぜか今までちゃんとお話しする機会がありませんでした。今後は共同研究などにもお誘いしたいと思うのですが、敬遠されそうな気もします……(東アジアにおける夢の文化誌なんて、どうですかね?)。三品さんは、このブログにも度々登場していただいている先輩研究者。思えば、「ふの会」や「宗教的言説研究会」など、私の方法論的転機となったゲリラ的研究会には、いつも三品さんがいらっしゃって本質を抉るような質問、指摘を投げかけてくださいました。今年も古代文学会シンポ、首都大の〈夢見の古代誌〉など、いつも以上にお世話になっています。他に参加された方々は、石津輝真、猪股ときわ、工藤健一、榊佳子、土居浩、東城義則、中澤克昭の各氏でした。

さて、発表は黒田さんの「『十二類合戦絵』のニワトリと柳・鞠」から。『十二類合戦絵』は、十二支に属する動物たちとそれ以外の鳥獣たちとの合戦を描いた、15世紀頃成立の絵巻物。恥ずかしながら内容をよく知らなかったのですが、非十二支軍の中心メンバーである狸が、最終的な敗戦のあと遁世、踊り念仏に興じる結末のくだりなどなかなか強烈な物語です。しかし黒田さんが注目されたのは、登場する動物たちのセリフや着物の絵柄、持物、仕草などの背景に隠れている中世的連想の世界。例えば、今回中心的に扱われていたニワトリ。絵巻には、柳と鞠の紋の入った着物、日輪の烏帽子などを身につけて登場、龍にお酒をついだり、狸軍を蹴り倒したりする動作が描かれています。日輪は容易に見当がつきますし、蹴るという属性も理解できるのですが(ヒヨちゃんですね)、問題は酒に柳と蹴鞠。黒田さんの考察によれば、酒は「酉」字からの連想で(このように漢字を分解、別の意味を付す表現は他にもみられる)、柳は中世京都における酒の異称とのこと。蹴鞠も蹴る属性と関わりがあるだろうが、鞠屋と鳥かごがセットで描かれる『慕帰絵』『彩画職人部類』などが気にかかる、というお話でした。近現代人ではまったく分からない中世的思考の論理を、多種多様な史料の断片を繋ぎ合わせて復原してゆくさまが、大変スリリングでしたね。深く追究してゆくと、漢籍や古代神話の変奏も顔を出しそうです(実際、「鶏鳴狗盗」は使われているし)。鳥かごと鞠屋の件は、鞠が鹿革から作られているとすると、平林章仁さんの研究(『鹿と鳥の文化史』)が関連するかも。
続いて三品さんの報告は、「鳥獣言語を論じること―境界領域で揺れるもの―」。三品さんは、中澤さんや私の言説分析が持つ〈正当化〉や〈相対化〉といったベクトル設定に対して、「動植物と人とが入れ替わったり、言語を交え合えたりという、〈対称性〉をもったはじまりの神話を語ることのもつ「比喩」の力への注目」も必要と主張。「鳥獣言語」の対策文に並列された、博覧強記の漢籍・仏典の世界を紹介されました。中国王朝の史官にとって、森羅万象から他界のメッセージを読み解くことは必須の任務であったはず。日本の官僚たちもその記録をなぞり、頻発する怪異に対応すべく同様の能力を身に付けようとしたのか。それとも、単なる試験のための暗記項目、中国的教養の表明にすぎなかったのか。当時の文人貴族が漢籍類書により自然を分節して文章化可能にし、目にみえる現実世界自体を中国的に作り変えようとしていたことを考えると、三品さんのいう比喩の実践によって、分節の枠組み自体が強固に構築されてきたことだけは確かでしょう。その結果、〈他界からのメッセージ〉自体も、中国的になっていったのでしょうか。このあたり、もう少し深く考えてみたいところです。

報告のあとは、恒例の飲み会。社会史ブームの終焉を嘆きつつ、環境史の先行きについても一同不安視。集まった歴史学の面々はみな社会史の申し子なので、一様に現状には不満な様子。今年卒論を出すよしのぼり君のレジュメに、昔の自分をダブらせた人も多いのでは……。
ところで、上の写真はようやく出ました『日本災害史』。何を隠そう遅れたのは私が原因、関係の皆様には深くお詫び申し上げます。私は古代を担当していますが、考古学のデータに依拠したありがちな事例列挙的叙述を避け、災害をめぐる古代的心性の特徴について東アジア的広がりのなかで把握したつもりです。とうぜん不十分な記述は多いですが、ご笑覧いただければ幸いです。環境/文化研(仮)で合評会やりたい(やってほしい)なあ。
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