仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

とり・みき『パシパエーの宴』

2006-02-28 03:33:20 | 書物の文韜
パシパエーの宴

チクマ秀版社

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とり・みきは本来ギャグマンガ家なのですが、時折、シリアスな伝奇ものを書いたりします。活劇的で分かりやすい星野之宣に比べれば、諸星大二郎的なニュアンスのものが多いのですが、その根底には東宝特撮作品への深い愛情(執着?)が流れていて、ちょっと異質な印象があります。絵はさほど巧いわけではなく、一時期は多分に大友克洋的になったりしていましたが、最近では太い面線を主体にかなり単純化され(これも江口寿かなにかの影響かも知れませんが)、なかなか独特の味わいが出るようになってきました。

さて、上記の最新単行本は「シリアス系伝奇・怪奇・SF作品集」と銘打っていますので、ギャグ色は控えめですね。初出で読んだことのあるのは、『SF Japan』2000年秋号に掲載されていた「甕」だけです。縄文時代、突然の八ヶ岳の噴火によって、完了できないままに埋没してしまった土偶による再生の呪術。甕に葬られた死産児が、現代の恋人たちの身体を通じて蘇ろうとする……という内容。水野正好氏の土偶祭式論に基づき、独自の解釈を加えたものです。古代史研究者としては分かりやすいうえに、ホラーというより、割合に爽やかなラストになっているので好きな作品です。
作品集のタイトルにもなっている「パシパエーの宴」は、現在も西日本に都市伝説として残る、人面牛身の妖怪「件」を題材にしたもの(昨年の映画『妖怪大戦争』でも、冒頭に登場していました。私にとっては、内田百間の小説の方が印象深いですね。『新耳袋』などに収録されている兵庫あたりの噂も、なかなかに面白いです)。「甕」と同じく、南方熊楠の「十二支考」を絡めるなど、民俗学的な道具立てがなされています。しかし、国家が危機管理のために件を飼育しているという設定は、諸星大二郎「詔命」(『失楽園』収録)の焼き直しといった感もあります。
ところで、「シリアス」といっておきながら、この作品集には幾つかのナンセンス・ショートも収められていて、こちらの方こそ著者の本領が発揮されている気がします。例えば、あるとき主人公の女性がふと気づくと、彼氏の部屋で冷蔵庫になって立っているという「冷蔵(庫)人間第1号」。相当に奇妙な発想で、カフカも驚くでしょう。なかには、ここでは書けないような内容のものもあり、未だにエッジの尖ったさまをみせてもらった気がします。

そうそう、書き下ろしの新録として、乱歩の「鏡地獄」がマンガ化されているのも見逃せません。出来はあまりよくないのですが、明智小五郎が明らかに「岸田森」であるところに、マニア的な共感を懐いてしまうのでした。
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