く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<沖縄点景⑦> 「仲田幸子芸能館」 座長は〝沖縄喜劇の女王〟

2016年11月03日 | 旅・想い出写真館

【メジャーデビューの孫まさえさんが熱唱・熱演!】

 沖縄観光の後は那覇市の繁華街にある「仲田幸子芸能館」で沖縄民謡などを堪能した。〝沖縄喜劇の女王〟として知られる仲田幸子さん主宰の「劇団でいご座」のホームグラウンドだ。幸子さんとその娘で2代目の明美さん、さらにその娘の3代目まさえさんを中心に仲田ファミリーが連日、沖縄民謡や琉球舞踊などを披露してくれる。看板娘は2年前ソロアルバムを発表しメジャーデビューを飾ったまさえさん。その透明感あふれる歌声や愉快なステージに魅了され、結局3日間通い続けた。(写真は三線を弾きながら『ハイサイおじさん』を歌う孫の仲田まさえさんと、独特な身振り手振りでおじさん役を演じる仲田幸子さん)

 座長の仲田幸子さんは1933年生まれ。劇団に入ったのは終戦直後、12歳のときだった。芸歴は実に70年に及ぶ。この間、喜劇芝居の第一人者として沖縄の大衆芸能を引っ張り、1997年には沖縄県文化功労者として表彰された。80歳を過ぎた今も現役。今年も9月19日に「でいご座」の敬老の日公演を行い、芸能館でも毎晩舞台に上がる。

 芸能館のライブは孫のまさえさんたちの歌と演奏で始まる。まず『安里屋ユンタ』『沖縄ジントーヨー』など3曲。太鼓、三線、三板(さんば=カスタネットのような小さな打楽器)のリズミカルな演奏が心地良い。さらに『豊年音頭』や琉球古典舞踊、少しHなお笑い舞踊などが続く。盛り上がったところで幸子さんの登場だ。「カギ閉めて。(お客さん)逃げるなよ。ストレスたまれば糖尿病。健康で楽しく生きようよ。生きてる限り死なないさぁー」。挨拶が終わると、まさえさんたちの『ハイサイおじさん』の演奏に乗り、独特な身振り手振りでおじさん役を演じた。

 

 幸子さんはカウンター内で座って『泡盛の歌』も歌ってくれた。まさえさんは伸びやかな歌声で母の明美さん(上の写真㊨の左側)と一緒に歌ったり、伯母の和子さん(下の写真㊧の右側)と2人で琉球舞踊を披露したり。『オジー自慢のオリオンビール』では「新築祝いであっり乾杯 誕生祝いであっり乾杯……」に合わせお客さんもグラスを高く掲げて「乾杯」を繰り返す。最後はステージ前で三線の速弾きに合わせ、お客さん総立ちでにぎやかにカチャーシー。毎晩、舞台と観客席が一体となった楽しいひとときを過ごさせてもらった。

 

 ステージ上でひときわ輝きを放つまさえさんだが、高校卒業後は上京を目指し新聞配達などで資金を貯めていたという。祖母が主宰する劇団「でいご座」で沖縄芝居の世界に入ったのは20歳の頃。母明美さんが舞台を休んだとき急遽代わって舞台を踏んだのが転機となった。その後、三線や琉球舞踊、太鼓、三板などを猛練習。三線では琉球民謡協会の最高賞を受賞し、舞踊でも新人賞を受賞した。さらに空手小林(しょうりん)流の有段者(4段?)でもある。ステージでも剣を手に動きに切れのある見事な舞を披露してくれた。歌うときの柔和な表情が一変、きりりと引き締まった表情が印象的だった。

 

 キングレコードから発売されたまさえさんのソロアルバムのタイトルは「まさえ自慢のうちなーソングス」。BEGINの『三線の花』『オジー自慢のオリオンビール』、前川守賢の『世界報でーびる』、照屋正雄の『ちょうんちょうん節』などのカバー曲に加え、沖縄のフォークデュオ「アイモコ」に作ってもらったオリジナル曲『おばあちゃんの花』など全10曲入り。『安里屋ユンタ』や『沖縄ジントーヨー』ではバックで祖母と母のコーラスも入る。

 『おばあちゃんの花』の歌詞とメロディーがとても素晴らしい。「♪響きわたるのは 私の名を呼ぶ 元気いっぱいの大きな声 笑わせることが 好きなおばあちゃん 膝の痛みすら忘れてる 嵐のときでも お店を開けるの 心細い人招くために 胸に咲いている 朱赤のでいご ありがとうの花 笑顔の花」。まさにおばあちゃん幸子さんのことを歌った内容だ。5年前ドキュメンタリー映画『オバアは喜劇の女王 仲田幸子沖縄芝居に生きる』(出馬康成監督)が公開された。その中でまさえさんは祖母のことをこう話していた。「笑いでみんなに幸せをあげるために生まれてきた人だと思う」。まさえさんは「おばあちゃんの元気が全ての源にもなっている」とも話す。

 

【追記】

 今回の沖縄旅行は男3人・女1人の4人連れ。そのうちの1人「T.T」が大の沖縄ファンで、この旅行計画も全て立案した。頻繁に沖縄を訪ねては「仲田幸子芸能館」に通ったという。いわば馴染みのお店。今回も親子三代と一緒に写った写真を持参していた。ところが初日入店しても誰も気づかない(自らは名乗らなかった)。彼の落胆ぶりといったら。6年ぶりのうえ、この間に髭を伸ばし容貌も隋分変わっていた。まあ、仕方ないか。ところが翌日のこと。まさえさんの伯母和子さんが突然思い出したように大きな声で彼の名前を叫んだ。「T.T」と。そのときの彼の喜びようといったら。「さん」付けではなく呼び捨てだったところに、逆に芸能館の方々に親しく受け入れられていたように感じた。

 その後、まさえさんに誕生祝いの花束とケーキが届いた(上の写真)。贈り主はなんと「T.T」。いつ、どうやって手配したのか。連れの私たちはただキョトンとするばかりだった。芸能館ではステージとステージの間にお客さんもカラオケを楽しめる。私たち4人を代表して女性が得意の演歌を披露した。すると翌日、座長の幸子さんがわざわざ客席まで来られて「もう一度歌を聴かせて」。お店の方によると、幸子さんがお客さんに歌を所望することはこれまでになかったことという。これには私たち男性陣も鼻高々だった。

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<フウリンブッソウゲ(風鈴仏桑華)> 球状の花が風鈴のように風に揺れて

2016年11月02日 | 花の四季

【ハイビスカスの一種、別名「コーラル・ハイビスカス】

 アオイ科フヨウ属の熱帯花木。原産地は東アフリカのタンザニア沖ザンジバル島やケニア・モンバサといわれる。ブッソウゲはハイビスカスの別名。風雅な和名は真下に伸びた長い花柄の先の球状の花を風に揺れる風鈴に見立てたもの。下に垂れ下がった長い雌しべが短冊などを吊るす風鈴の舌(ぜつ)のようにも見える。

 高さ1~3mの常緑低木。花期は熱帯地方では周年、沖縄でも3月から11月ごろまでと長い。赤い5枚の花弁が深く細かく裂け大きく反り返って、直径10cmほどの球形となる。その花色や形が海の赤いサンゴに似ているとして「コーラル・ハイビスカス」とも呼ばれる。沖縄ではこの花を「アカバナー」と呼んでいるそうだ。

 ハイビスカスは通常1日花で翌日にはしおれてしまうが、この花は数日間咲き続ける。学名は「ヒビスクス・スキゾペタルス」。「ヒビスクス」はハイビスカスのこと。「スキゾペタルス」はラテン語で切れ込みのある花弁を意味する。英名は花びらのギザギザの縁取りから「フリンジド・ハイビスカス」。漢名は「吊燈花(ちょうとうか)」。

 フウリンブッソウゲは交配親として「コーラル系」と呼ばれる様々なハイビスカスの作出に貢献している。大輪の「ハワイアン系」が暑さにやや弱いのに対し、コーラル系は暑さに強く、もう一つの「オールド系(ヨーロッパ系)」とともに挿し木で殖やすこともできる。沖縄の「伊江島ハイビスカス園」ではこの3系統に、独自に交配した〝伊江島オリジナル〟も含め約1000種のハイビスカスを展示。(写真は沖縄の世界遺産「今帰仁城跡」で)

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<沖縄点景⑥> 海上を走る絶景ポイント、長大な「古宇利大橋」

2016年11月01日 | 旅・想い出写真館

【初体験!「スナックパイン」や青い魚「ブダイ」の刺し身】

 2000年1月以来16年ぶりの沖縄旅行。真っ青な海と空、それに沖縄の方々の温かいおもてなしの心は今回も変わらなかった。ただ、この間に新しくできたものも。「沖縄美ら海水族館」に新館ができて人気が沸騰し始めるのはその2年後から、長大な「古宇利大橋」もまだ架かっていなかった。今回の旅行では手でちぎって食べるパイナップル「スナックパイン」や青い魚「ブダイ」の刺し身など初体験も満喫できた。

 古宇利大橋は名護市の屋我地島と今帰仁村の古宇利島を結ぶ。全長1960m。11年前の2005年に開通した。緩やかにアップダウンする道路で、まさに海の上を走っているような感覚。橋の両側にはコバルトブルーのきれいな海が広がっていた。古宇利島(下の写真上段㊧、左下はグンバイヒルガオの群落)ではスナックパインに初挑戦。皮ごと一口サイズにちぎって食べる。酸味が少なくジューシーだ。しかも芯の部分も軟らかくて全部食べることができた。まさにスナック感覚。原産地は台湾で、正式な名前は「ボゴールパイン」。沖縄本島では主に北部のやんばる地域で栽培されているという。

  

  奇岩〝象の鼻〟で有名な景勝地「万座毛」でも絶景を堪能した。眼下では断崖絶壁の岩に白波が砕け散る。1945年の沖縄戦当時、ここでも多くの住民が飛び降りて自ら命を絶ったという。前回の来訪時と異なっていたのはやはり外国人観光客の姿が目立ったこと。それに駐車場のそばに今上天皇のお歌が刻まれた新しい石碑が建てられていたこと(上の写真㊨)。「万座毛に昔をしのび巡り行けば 彼方(あがた)恩納岳さやに立ちたり」。4年前、沖縄で開かれた「全国豊かな海づくり大会」にご臨席の際に立ち寄られたとき、万座毛と恩納岳が琉歌に詠まれた18世紀の琉球王朝の時代に思いをいたして詠まれたという。

 

  

 「ビオスの丘」(うるま市)ではジャングルクルーズ「湖水観賞舟」に乗船した。水辺には色鮮やかな様々なランの花。ただ鉢植えを配置しているだけとの説明には少々がっかりしたが、琉球舞踊を披露したり、水牛を放し飼いにしたり、乗船客を楽しませるための工夫はあちこちに見られた(上の写真上段)。古宇利島でもここビオスの丘でもセミしぐれ。ただ鳴き方が違う。ビオスの丘はオオシマゼミで10~12月に鳴くそうだ。「おきなわワールド」(南城市)ではエイサーの公演などを見学した後、今回も鍾乳洞の「玉泉洞」に入った(上の写真下段)。鍾乳石の数は国内最多の100万本以上。全長5000mのうち公開しているのは890mとのことだが、16年前より距離が随分長いように感じた。寄る年波には勝てぬ?(下の写真㊧はドラゴンフルーツ=おきなわワールドの熱帯フルーツ園で、写真㊨は那覇市の沖縄料理店「めんそーれ」で)

 

 

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