く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<錦秋の有馬温泉> 関西屈指の紅葉の名所「瑞宝寺公園」

2016年11月22日 | 旅・想い出写真館

【秀吉お気に入りの〝日暮らしの庭〟、愛用の「石の碁盤」も】

 国内最古の温泉ともいわれる有馬温泉(神戸市北区)で1泊2日の同窓会。関東や九州方面から懐かしい面々が2年ぶりに集う。20日早めに有馬入りし、下見のため関西屈指の紅葉の名所といわれる瑞宝寺公園へ。モミジは盛りをやや過ぎていたが、それでも多くの観光客でにぎわっていた。湯治のため度々有馬を訪れた豊臣秀吉は、ここの紅葉を「いくら見ていても飽きない」と褒めたたえて終日を過ごしたとか。そこから〝日暮らしの庭〟とも呼ばれている。

 瑞宝寺公園には太閤秀吉が愛用したといわれる「石の碁盤」(下の写真㊧)や伏見城から移築したという旧瑞宝寺の山門も残る(瑞宝寺は1873年に廃寺)。茶頭の千利休を引き連れて度々茶会も催したそうだ。この公園など温泉街では有馬をこよなく愛した秀吉を偲んで毎秋11月2~3日「豊公を偲ぶ有馬大茶会」が開かれ、多くの茶道愛好家が集う。1950年に始まって今年で67回目。さらに、公園を訪ねた20日も野点を気軽に楽しんでもらおうと「もみじ茶会」を開催中で、和装の女性たちがお茶をたてていた。

 

 有馬の湯が広く世に知られるようになったのは奈良時代に僧行基が温泉寺を建立したのがきっかけ。温泉街の一角にその行基像が立つ(下の写真㊧)。鎌倉時代に入ると仁西上人が12の宿坊を設けたことから湯治場としての名声が一気に広まり、その後、秀吉は有馬に「湯山御殿」を建てた。その御殿も徳川時代になると取り壊されて、跡地に浄土宗の念仏寺、極楽寺(下の写真㊨)が建てられた。念仏寺がある場所には秀吉の正室ねねの別邸があったと伝えられている。

 

 

 「湯山御殿」の存在が再び脚光を浴びるのは1995年の阪神大震災後。震災で壊れた極楽寺の庫裏を再建するため発掘調査を行ったところ遺構の一部が見つかった。その場所にはいま「神戸市立太閤の湯殿館」がある(上の写真㊧)。岩風呂(㊨)や半地下式の蒸し風呂の遺構、出土した瓦や茶器などの陶磁器類(下の写真㊧)が展示されている。温泉街には他にも秀吉に因むものが多い。有馬川には赤い欄干の「太閤橋」と「ねね橋」が架かり、その間の親水公園の中には秀吉の馬印「千成瓢箪」のような模様も。ねね橋のそばには「ねね像」が立つ。真っ赤なモミジが映えるその像の前は絶好の紅葉撮影ポイントにもなっていた。

 

 

 同窓会は半年前に予約しておいたホテル側(兵衛向陽閣)の見事な会場設営や美味な料理、瑞宝寺公園への送迎などきめの細かい配慮もあって無事に終了。参加者は翌日、一緒にロープウエー・バス・ケーブルカーを乗り継ぎながら六甲の紅葉を堪能した後、それぞれ帰途に就いた。その翌日、参加者の一人から「同窓会も有馬も六甲もみんな良かったです」とのメールをもらった。遠路各地から集まってくれた参加者に満足してもらえたのがなによりも嬉しかった。

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